城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

面白い本はないか・2020年振り返り 20.12.29

2020-12-29 19:08:08 | 面白い本はないか
 仕事を辞めた人たちは、一日をどのように過ごしているのであろうか。することがなくて時間をもてあましていたなら、もったいない。おじさんの24時間の過ごし方は、多い方から言うと、①睡眠約8時間、②読書(居眠りしていることも多いし、雑念をはらうこともできない状態で読んでいることも多い)、③庭仕事か畑仕事(冬の間は極端に少ないが)、④城台山または別の山へ、⑤食事という順番になりそうである。読書で一日のかなりの時間を過ごしているが、インプットばかりで、その知識を生かすアウトプットをほとんどしていないので、読んでも急速に忘れてしまう。かといって読書サークルなどには入りたくもないし、大学の公開講座や研究生なども大学から距離的に離れているので、参加できない。

 ④番目の過ごし方 寒波襲来が予想されている今日の池田山
 
 アウトプットとは言えないかもしれないが、本の概要をノートにかなり前から書いている。2016年から一時止めていたその作業を今年8月からまた再開した。もちろんすべての本について書き留める訳でなく、印象に残った本について書き留めている。あらかじめ、重要な箇所に付箋を付けておいて、それをノートに順次書いておく。この作業、意外と時間がかかるし、なんのためになるのかわからない。しかし、そのおかげで高校の同級生でつくる掲示板にそれに基づき投稿したり、このブログでも大いに役に立っている。以前に読んだ著者であれば、このノートからどんなことを言っていたのか調べることができる。

 池田山と小島山の間の春日の山々

 今年もいろいろな本の紹介をしてきた。どちらかというと暗い話題が多かった。しかし、日本の現状を考えると明るい話題はあまりない。「イザヤ・ペンダサンを知っていますか」を書くに際しては山本七平の本を随分読んだが、うまく紹介することは到底出来ていない。しかし、おかげで同氏への理解は自分なりに随分進んだ、もちろん、ある程度理解していても、それを人にわかるように説明するのは非常に難しい。ただ、ブログを書くことが読書へのインセンティブになっていることは率直に白状しておきたい。今注目しているのが、日本思想史の先崎彰容、片山杜秀、与那覇潤などである。もし、できるならば彼らの本をもう少し読み込んで、書いてみたいと思っている。

 今年最後なので、教育とくに大学について書かれている本を3冊紹介したい。読んだ順で言うと、小川洋著「地方大学再生」、山本つぼみ著「あたらしい高校生」、平田オリザ著「22世紀を見る君たちへ」。かつて、イギリスの政治家トニー・ブレアは、実施したい政策は、一に教育、二に教育、三も教育と言った。それは今も全く変わっていない。課題先進国と言われる日本だが、その課題を解決するのはこれからの世代であり、その能力を最大限発揮してもらうためには、教育の充実こそが最大の課題であるべきだ。ところが、世界大学ランキング2021で100校に入ったのは、東大が36位、京大が54位、日本の大学ではこの2校しかランクインしていない。アメリカ37校、イギリス11校、ドイツでオランダが7校、オーストラリアと中国が6校、カナダ5校、スイス4校、シンガポールと香港が3校、日本、韓国、フランスが2校となっている。英語がネイティブでないとか、使用言語ではないとかハンディはあるが、やはり劣勢である。

 大学は今や入学希望者が大学の定員数に満たない全入状況となっている。このため定員割れで運営危機に陥っている大学がかなりの数出ている。特に地方の大学は厳しい状況におかれていて、今や厳しい淘汰の時代となっている。今や高校生に選ばれない魅力のない大学は閉鎖される運命にある。21年度から記述式の導入などセンター入試の改革が行われる予定であったが、実施が見送られた。少し平田氏の主張を書いてみる。現行の教育改革の多くは、産業界の要請によってなされている。あるいは振り回されいる(教育再生会議の委員の構成をばわかる)。短期利益の追求を旨とする企業の要請で、「即戦力」と呼ばれる人材を育成することに教育が汲々としていて、国家百年の計を守ることができるのか。論理的に考えれば、今取り得る現実の選択肢は二つ。一つはより格差の少ない従来型の入試に戻すこと、「努力」は測りやすい指標であり、またこれを指標とすれば、生徒も学校という組織自体も統治しやすい。しかし、この「逆コース」ではおそらく大学は多様性を持つことができず、国際競争力も衰える一方となるであろう。もうひとつの選択肢は、大学入試改革を進める一方で、その改革の本質を理解し、少しでも子どもたち一人一人に身体的文化資本(さまざまな人とうまくやっていく力)が育つような教育政策に切り替えていくことだ。「主体的・対話的で寛容な学び」、異文化に対する寛容さこそ、日本の子どもたちが学ばなければならいない点だ。

 「新しい高校生」は、偏差値50の日本の普通の女子高生がアメリカのトップ大学に合格したストーリー。公募制により就任した校長先生、SET(super English Teacher)の先生の支援をもらって最難関のウェズリアン大学(ハーバード、イェール、プリンストンが名門の総合大学ビッグスリー、これに対しアマースト、ウィリアムズ、ウェズリアンが名門のリトルスリー)合格。しかし、ネイティブでない著者が授業についていくための奮闘、そしてそれを手厚く支援する教授陣(オフィスアワーといって授業終了後教授から個人で指導を受けることができる)。そこには、アメリカ人の他沢山の国から留学生を受け入れており、日本の和太鼓などの授業もあり、人も授業も多様性に富んでいる。もちろん、授業料は年間600万円(他に寮費などで150万円)かかり、彼女の場合はユニクロの柳氏から奨学金(4年間で3000万円)を受けている。

 彼女のような才能ある人間が日本で早く活躍するよう望みたいものである。このような異能者達を果たして日本の社会は生かすことができるかがちょっと心配であるが。今年一年ブログを見ていただいて有り難うございました。


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2020年の山登り振り返り 20.12.27

2020-12-27 19:16:28 | 山登り
 コロナで明け、コロナで終わった2020年もあと4日を残すばかりとなった。20年はとにかく少雪で、奥美濃の山には雪がなかった。おまけにコロナの影響で遠出をほとんどすることがなく、予定していた北アルプスも早々と止めにした。そうした中でも、特筆すべきこととして、昨年まで所属した大垣山協が定める美濃100山、特にC級の山に今まで以上に登ることができた。振り返れば意外と充実した山登りができた。

2月 土蔵岳(初登、1008m)途中でワカンを着けたが、すぐに雪がなくなりワカンを脱いだ
   ミノマタ(初登、1101m)900m付近から雪があったが、20cm程度
3月 雷倉(2回目、1169m)根尾側から登山道経由で登る、雪ほとんどなし
   上谷山(2回目、1083m)ほとんど雪無し
4月 男だる山(初登、1342m)・ロクロ天井(2回目、1471m)まさか一日で両方に登るとは!!
   薙刀山(初登、1647m)・野伏ヶ岳(2回目、1674m)3月の挑戦では敗退、2回目に挑戦で山頂に立った
   明神山(初登、1136m)意外と短時間で登れた、スマホを忘れたため自前の写真無し
5月 井出ノ小路山(初登、1840m)林道歩き2時間半、稜線からもやぶ漕ぎ、とにかく疲れた
   蕎麦粒山(2回目、1297m)2回の急登があり、結構大変
   焼山(初登、1709m)ここも林道歩きが長い
6月 千回沢山(初登、1246m)沢歩きの末に山頂が!! 帰りホハレ峠に登りでバテバテ
9月 恵那山(2回目、2190m)初めて長野県側から登る
11月 三国岳(初登、1209m)去年10月敗退、因縁の山、紅葉が素晴らしかった
    屏風山(2回目、1354m)倒木地帯が印象的、紅葉も終盤
12月 左門岳(2回目、1224m)若いときに板取に降りてしまって遭難騒ぎ、やっとこの汚名から自由になった
                  人懐こいカモシカとご対面
このうち14の山をEさん(ブログ奥揖斐山荘の主)と登った。本当に感謝に堪えない。  
 
 ここからベスト3を選ぶ
第一位 千回沢山 沢歩きが魅力的(体力不足で余裕はなかったが)、沢沿いにある大カツラの木が素晴らしい、花も多い

 写っている木はカツラではないかもしれない

第二位 土蔵岳 雪は少なかったが、長年登りたいと思っていた山。再度雪の中是非もう一度登ってみたい

 土蔵の途中で見えた蕎麦粒山 形は奥美濃屈指(登るには手強い)

第三位 屏風山 2回目だったが、やはり奥美濃における名山、ドウの天井から見る屏風山は最高

 急な登りの後稜線に達する、そこからの屏風山 

 ドウの天井中電管理道から見る屏風山

特別賞 薙刀山 やはりここは別天地 それでも雪の少ない中6時間弱かけて山頂に立つことができた(少しの希望!)
        第一位にしても良い 

 薙刀山山頂 Eさん撮影

2021年さてどんな山登りができるであろうか?まだできるという少しの希望、期待とともに体力の衰えによる不安相半ばの年になるであろう。
   
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雪の池田山 20.12.26

2020-12-26 17:26:53 | 山登り
 10日ばかり前にかなりまとまった雪が降った。そこで、池田山か小島山に雪がしっかりあるうちに登って、ワカンあるいはスノーシューの感覚を楽しんでみたいと考えた。折角だからと左門岳(毎週金曜日おじさんの地元の城ヶ峰に登っている)4人のグループにも声をかけ、さらに既に何回か登っているYさん、Sさんも加わり、講師役のEさんも含め総勢7名で登ってきた。このうち2名は全くのワカン未経験者、3名はまだワカンを使った経験が少ない者だったので、ワカン講習会と称することとした。未経験者にはEさんの予備のワカン、おじさんのワカン(おじさんはスノーシューを利用)を使ってもらった。

 前日の金曜日はときおり青空も見え、きれいな虹もかかっていたが、雨が断続的に降り続いた。今日の朝方も小雨が降っている状態であったが、山の上の方には新雪らしきものが見えていた。霞間ヶ渓の下の駐車場に7時半集合し、まず始めにワカンの付け方を勉強した。きつくバンドを締めないと使用中に緩んでしまう。8時に駐車場を出発。獣害柵を越え、ベンチに片足の12本のアイゼンが置き忘れてあった(なぜ片方なのか?履いていれば忘れるはずないから、はずした後片方だけ置き忘れたのかあるいは落としたのか?)。東屋が近づくにつれ、雪が現れ、次第に深くなってきた。

 東屋の手前 9:14

 東屋でワカン等を装着し、いよいよ本番の始まりだ。

 東屋前の林道9:31 何故か林道は除雪されていて、その後の新雪のみが残っている

 いよいよワカンをつけて歩く 前日までに登ったトレースがあるので、さほど深くはない

 交替で10分間先頭を務める 10分後先頭は最後尾につく

 前方に池田山の山頂が見えてくる11:00 練習のためあえてトレースのない電波塔の立つ尾根を登る
 ワカンを履いていても結構沈む

 たまには前から撮影

 同上

 林道を歩く11:12 ここも除雪されていた

 山頂は近い 11:39

 出発から約4時間で山頂に到着。

 昼食後全員で記念撮影に向かう

 山頂すぐ下で今日初めての単独登山者に会う。そして、峠の茶屋からの林道でトレラン(短パン!)に会った。これにはびっくり。東屋の少し上でやはりトレラン風の2人組を見たが、少し時間が遅いのが気に掛かる。

 帰り道 12:34

意外と登山者は土曜日にもかかわらず少なかった。下界では午前中雨が降っていたようである。山では小雪、ときには陽もさしていた。木の枝についた新雪を見ながらの歩行はやはり楽しい。ワカン未経験者も疲れたようであるが、良い経験ができたと話していた。

コースタイム 登山口8:00→東屋9:30→山頂12:00~12:25→登山口15:00
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日本社会の持続可能性は? 20.12.23

2020-12-23 21:33:04 | 面白い本はないか
 先日岐阜県図書館の「清流文庫」コーナーから3冊の本を借りてきた。1300haの森林経営者が語る田島信太郎著「断固、森を語る」、浜田久美子著「スイスの林業と日本の森林」そして今読んでいるのが中嶋尚志著「木の国の物語」。最後の本で出てくる昭和の大棟梁西岡常一氏への言及を見るにつけ、昔同氏の本をよく読んだことを思い出した。今同氏の本で本棚に残る唯一の本は、「法隆寺を支えた木」である。法隆寺の建造には1000年のヒノキが使われており、建造後1300年経った今でも健在である。もちろん、維持のため何もしていないわけでなく、過去何度も修理が行われている。その昭和の大修理を行ったのが西岡氏である。伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮も、ある意味こうした匠の技術を継承する良い機会となっている。このほか、仕事の関係もあったが、まちづくりなどの本を沢山読んだ。日本は、京都や小京都と言われる高山など歴史のある町並みは多くある。しかし、その素晴らしい町並みも一歩出れば醜悪な町並みとなっている(看板は乱立、家並みはばらばら)。あくまでも経済優先のまちづくりを戦後行ってきたことの結果である。

 例えば岐阜市や大垣市どこをとってもへそともなるような歩行者が安心してウィンドウショッピングを楽しみながら、あるいはお茶や食事のできる場所が非常に少ない。中でもお年寄りが歩き、買い物し、食事もするといった場所は極めて少ない。お年寄りが集まる場所はモーニングの提供される喫茶店、あるいは病院の待合室くらいしかない。揖斐でもかつて商店街があり、今やシャッター街さらに進んで歯抜けの町並みとなってしまったところを歩くお年寄りなど滅多に見ない。唯一、足腰の衰えを感じたお年寄りがその行き先に三輪神社を選んだり、あるいは市街地?を少し離れた田んぼのまわりを歩く人を見かけるくらいとなっている。さらに商店街がなくなり、自動車に頼ることができなくなるお年寄りは買い物難民になる。このブログでも話題にしたが、市街地の中にあったスーパーが閉店し、市街地から少し離れたスーパーに行かなければならなくなった。要するにまちづくりと福祉は非常につながりのあったということを日本国民は理解していなかったし、その国民の選ぶ政治家たちも認識していなかったということになる(これは広井氏の主張するところだが、全く同意する。日本の施策はとにかく縦割りである。)木の話では、植林から50年経ってやっと切り出せるようになる。ここまで先のことを考えることはできないにしても、もう少し先のことを考えて対策する必要があったのだ。

 前置きが随分長くなってしまった。広井良典氏の「人口減少社会のデザイン」の述べることを書いてみる。著者は、日本社会は持続可能性という点において危機的だと言う。①政府の膨大な借金=将来世代にツケ回し、②格差拡大、人口減少(少子化)、③コミュニティないし「つながり」の喪失。この危機に対処することが失敗した場合、その破局のシナリオとして、財政破綻、人口減少加速、格差・貧困拡大、失業率拡大、地方都市空洞化、買い物難民拡大、農業空洞化をあげている。

 著者の言う日本の地方都市の空洞化は、国の政策の失敗の帰結ではなく、むしろ政策の成功、つまり改革が思い描いたような都市、地域像が実現したと書いているが、これには少々驚いた。つまり、地方都市の中心市街地を維持することの価値が考えられていなかったと。思い浮かぶのは、大店法(スーパーと地元商店街の利害を調整する。このためスーパーの中心市街への立地を制限した。)によって、大規模ショッピングセンターが郊外にたくさん作られ、空洞化したという理屈(おじさんはモータリゼーションの影響の方が多かったと思っているが)。
実は2000年前後にアメリカの圧力もあり、緩和され(今は廃止された)、中心市街地活性化のための施策が行われてきた。しかし、地方都市の中心市街地は例外なくシャッター街と化している。

 そして著者の心配するところは、日本人の孤立の度合いが海外と比べて異常に高いことである。かつて多くの日本人が「農村型コミュニティ」に属していた。所属する者は共同体的な一体意識を持ち、ウチとソトを明確に区別し、部外者は排除する。一方で「都市型コミュニティ」は個人をベースとする公共意識によりつながり、異質な個人間のネットワーク的つながりである。ところが、農村型コミュニティは失われつつある一方で都市型コミュニティは十分発達してきていない。さらに個人レベルでも「知っている者同士」の間では極端なほど気を遣い、「見知らむ者同士」ではほとんど関心を向けないか、潜在的な敵対関係が支配する。海外では見知らぬ同士がちょっとしたことで声をかけあうことが日本よりずっと多い(最近の「日本素晴らしい」といったテレビ番組を見ていると日本人は外国人にも親切だとほめたたえているがさて本当だろうか。外国人には親切でも日本人には冷淡?むしろ他人のことに無関心な人はどんどん増殖していると思うが。)仕事をしているうちは社縁でつながっているが、仕事をリタイアすると身の置き所がなくなってしまう。そして地域でもつながりを持つことができない。

 著者の主張するところは多々あるが、今後世界全体が「定常」社会に入っていく。すなわち量的な拡大(経済成長政策でモノ中心の経済拡大)を求めるのではなく、「個人の自由な創発」が生かされる質の充実を求めることに重点を置いていくべきだと。その中で福祉政策においては人生前半の福祉施策の充実(若者、子育て層)、そしてきちんとしたビジョン、「中福祉・中負担」(実質は中福祉を享受しながら、負担は低負担で、その差額を将来世代にツケ回ししている)に基づき消費税を少なくともヨーロッパ並みにあげるべきだと。さらに、鎮守の森やスプリチュアルなもののを中心としたつながりについて提案している。 

 
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八朔の収穫 20.12.21

2020-12-21 19:23:50 | 野菜作り
 今日はおじさんの◯◯歳の誕生日である。毎年の娘からのプレゼントに感謝(息子からはいつものごとく何もない、やはり持つべきものは息子より娘かと強く感じる!!)し、家内が本巣市まで行って買ってきたオードブルに自分で買ってきた千円以下のスパークリングワインでささやかなお祝いをした!!

 昨日、八朔の2本の木のうち新しい小さい方の収穫をした。いつ植えたかは忘れたが、10年は経っていないと思う。数は全部で88個、実がとにかく大きい。色が鮮やか!


そして今日は、大きな方の木、植えてから20年以上経っている。山とものEさんに脚立つきで助っ人をお願いし、9時少し前から作業開始。まず、おじさんは背の届く範囲を収穫し、Eさんは脚立に乗って作業した。背の届く範囲の収穫が終わると今度は木に登って収穫作業。まわりからあまり見えないところに意外と沢山ある。

 木の中
木の高さが3m以上あるので、結構上の方まで登っていかなければならない。買い物袋に肩にかける紐をかけて、10個から15個になったら一旦下に降りる。だから何回も往復する必要がある。下のかごに一杯になったら、今度は車の中のかごに移す。途中、一回家に置きに帰る。箱が足りずにブルーシートにぶちあける。収穫作業が終了したのは11時過ぎだった。数はわからないが数的には去年(おそらく800個以上あった)よりも少ない(たぶん500個から600個くらい)が、実は大きくなっている。


 八朔のいわれを少し調べた。八朔とは旧暦の8月1日のこと、新暦で言うと8月25日から9月23日頃のことをいうようで、この頃から食べ始めたとある。しかし、この時期、実は堅く緑色をしており、とても食べることはできない。原産地は江戸時代末期の頃、尾道市で原木が発見されたとある。いずれにしても蜜柑や夏みかんなどを掛け合わした雑種であったことは間違いないようである。さらに、揖斐地域には八朔の木が家の敷地に沢山植えられている。おじさんの家のように、この時期全てを収穫するのは珍しく、大概1月、2月頃まで見かけることが多い。ある人が言っていたが、この辺は八朔にとって適地だそうだ。収穫後、最低でも一週間おくと、少し酸っぱさが和らいでくる。もちろん、酸っぱいのが好きならすぐに食べた方が良い。日にちをおけばおくほど、味はマイルドになってくる。収穫後3月施肥そして剪定を行う。5月柑橘系の香りが農作業をしていると漂ってくる。摘果は面倒なので行わない。病害虫にも強いので、農薬は使わない。そして12月下旬に収穫となる。

 収穫後、隣近所、親戚、友人などに配って歩く。家ではまずそのまま食べるか、蜂蜜か砂糖をまぶして食べる。あるいはジュースにして飲む。天然100%のジュースであり、風呂上がりに飲むと美味しい。家内は皮をむいた状態で瓶に入れて保存する。そして、マーマレードにする。我が家のジャム系は自家製のこのマーマレード、ブルーベリー等が中心となる。

 去年の八朔で使ったマーマレード



 
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