城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

登山後の仕事 23.2.24

2023-02-24 13:30:13 | 山登り
 昨日の雷倉登山で登山靴は泥だらけとなり、上下のアウターも泥で汚れたので、その始末をすることにした。登山靴は帰宅後、すぐに水洗いし、影干しした。

 冬靴ではないが、今回これを履いた。冬靴と比べると軽いのが魅力で春山にはこれで十分である
 買ったのは昨年4月でいつも登山前には撥水剤をかけているが、皮の手入れはいまだ一度もしていない。いずれする予定。

 革製の管理用の薬剤 左から保革油、保護・撥水剤、撥水剤、靴用洗剤
 別のヌバック製の登山靴をこれらを使いケアした

 次にアウター(ファイントラック製だとL4以上、ズボンは撥水加工されているもの)だが、冬に使うものであれば、シーズンが終わった時点でケアする。普段は汚れを水で落とすぐらいしかしない。今回は少し汚れてしまったので、洗濯、撥水剤溶液の中につけ込む、脱水、アイロンによる熱処理を行った。

 右が洗剤、左がつけ込み専用の撥水剤(全てモンベルで販売されている)

 10分ほど撥水剤につけ込む
すすぎはせずに軽く脱水する

 中程度の温度でアイロン(布当て)する これを熱処理といって、撥水能力を高めるために行うことが推奨されている

 汚れが酷くないときは、下記のスプレー式の撥水剤を使うのが便利だ。

 両方ともモンベルの撥水剤だが、区別がよくわからない

 登山中には汗を多量にかくので、インナー等の洗濯も必要となる。ウール製品だと手洗いが必要で少々面倒くさい。そうでなければ、洗濯機にネット(ほとんどのウェアがそれを推奨)に入れて放り込むだけで良い。インナーやアウター、登山靴は機能性の高い=値段もそれなりに高いものをできればそろえたい。そして長く使うために、こまめにケアすることが重要となる。登山靴ばかりでなく、アウターの破れなどにもモンベルやファイントラックは応じている。もちろん有料ではあるが、有難い。
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長い林道歩きの果てに雷倉 23.2.23

2023-02-23 19:52:49 | 山登り
 揖斐川町にある小津三山(小津権現山、花房山、雷倉)は、大野町平野ノ庄橋あたりから見ると雪のある時、左から天狗山、小津権現山、花房山は見えるが、右端にあるはずの雷倉は見えない(最初見えるとしていたが、Eさんの指摘から見えないと修正)。今年は雪が少なく、あまり見栄えはしない。三山の中では雷倉(1168.6m)は、無雪期のルートは根尾側の八谷集落からの登山道がメインで揖斐川町からはヤブの道しかなかった。これでは小津三山とした意味がないと思ったのかどうかしらないが、元々あった(知る人ぞ知るルートで自転車あるいはバイクを使っての)林道を使ったルートに林道の入り口に案内板を立てて、少しでも登ってもらうようにしたのではないかとおじさんは考えた。でも林道歩きはとにかく単調で正直好きになれない。もちろん、それで簡単に登れるなら、軟弱派のおじさんとしては歓迎する。雷倉は、2015年の3月8日に今回下りに使ったルートで往復した。その後、2020年3月21日に根尾側から登った。登った回数も少なかったところから、もう一度積雪期に登ってみたかった山であった。

 Eさんが林道を使って雷倉に登る計画を立て、雪山に登り隊(最初2月5日貝月山、2月19日の天狗山は雨のため中止)の例会(2月23日)にしてくれたので、早速その計画に参加した。参加者は全部で12名、雪山としては珍しい大人数の山行となった。朝方集合場所では小雨が降っていた。小津に近づくと雨は雪に変わり、路面は白くなった。小津部落から高地谷をさかのぼり、白倉谷の手前に駐車した。登山口付近にも車を駐車することができるが、土砂が道を狭くしている箇所があったので、その手前の広い場所に駐車。石倉谷の橋を渡るとすぐに登山口の案内板があった。

 駐車場所 7時39分

 登山口の案内板 7時46分

 登山口を過ぎると結構な傾斜がある林道、落石、木などが多い。

 林道入り口

 8時20分 このあたりでは雪は少ない

 9時47分 林道歩き 雪は増えてくるがツボ足で歩く 先頭を順番に変わる
 新雪の下に少し堅い雪の層がある それ踏み抜くことがおおくなると先頭は負荷がかかるようになる

 10時2分 右タンポ1km 雷倉4kmとある 雷倉はもっと距離があるのではないか?
 この先からはほぼ平坦な林道が続いている

 11時43分 まだ林道歩き!!

 林道らしきものが終わり最後の登りとなる。

 12時28分 やっと雷倉に到着 標識が出ているので積雪は1m程度?

 山頂周辺はなだらか
 昼食(12時30分から13時) 下りは距離が短い15年3月に使ったルートで降りることになった。距離が短いことは、すなわち急なことだが、雪が少ないことが気にかかる。

 下り開始
 急な下りになると経験の差がもろに現れる。少ないととにかく何回も転ぶ。怖がっていると余計に転ぶ。これらは場数の問題かもしれない。雪がなくなると余計に始末が悪い。ゆるんだ斜面、さらに落ち葉、雪面になっていれば気持ちよく下れるのにと思うばかり。とにかく慎重に降りるしかない。

 この斜面の下りに難渋する 15年の時もどこを登ったら良いのかと聞いたことを思い出した。

 トイレができていた 樽谷の滝1.2kmの標示がある

 ここはかつて渡渉したところ 上流には堰堤が複数できていた 16時8分

 久しぶりの長丁場、何とか無事に駐車地まで全員無事に戻ってこれた。リーダーのEさんご苦労様でした。

コースタイム 駐車地7:40→分岐(雷倉、タンポ)10:02→雷倉12:28~13:00→駐車地16:20


 青の矢印:林道登り 赤の矢印:下り
 下の図は登りと下りの傾斜の差を示す




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四つの小話題(後編) 23.2.19

2023-02-19 13:30:14 | 地域のこと他
 前編は経験してきたことを書いたが、後編はテレビで見たこと、本で読んだことについて書く。いずれも印象深いものであったので、その印象も含め紹介することにする。

③おひとりさまの看取り
 昨年の9月4日NHKテレビで放送された「おひとりさまでも、家で死ねますか?」という少しある意味挑戦的なタイトルの番組を録画しておいたのを、つい最近見た(録画したことさえ忘れていたが)。この番組の主人公は岐阜市内で開業している小笠原医師、そして二人の終末期のガン患者である。NHKいろいろ批判もあるが、このような長期取材の番組を作ることが出来るのはNHKしかないと思う。

 ネットで検索したら真宗大谷派の記事に載っていた 小笠原医師はまた同派の住職でもあるから

 二人のガン患者、家庭環境は全く対照的で、一人はおひとりさまだが、二人の娘が近くにいて、いつも父親のことを気にかけている。もちろん、二人の娘も様々な問題を抱え、同居はできないし、何より父親自身が同居を望んでいない。彼を支えているのが、小笠原医師を中心とする看護師(看護ステーションを併設)、ヘルパーなどのチーム。痛みがひどくなるにつれて、モルヒネなどの痛み止めの処置がなされる。父親自身、調子の良いときには庭に出て作業をする。最後の看取りができないという娘に小笠原医師は言う。誰でも最後までつきあうことはできないし、父親もそれを望まない。日頃のお互いの信頼があればそれで十分であると。

 もう一人、年齢は60代前半。随分好き勝手な生活をしてきたようで家族との連絡は途絶えている。担当の医者に対しても時に感情をぶつけるくらい、難しい性格。カメラはベッドのシミ、周りのごみの山まで写す。調子の良いときには福祉事業所で簡単な作業をしている。ご機嫌の良いときにごみを片付ける提案をし、やっとのことで片付けられた。この担当医自身もかつては外科医であったが、心を病み、その後小笠原医師のもとで復帰した経歴を持つ。家族への連絡はできないまま看取りは終わりを迎える。

 小笠原医師は、一日を明るく過ごすことを重視する。そうすることが残されたいのちを長くする。2020年3月3日付けで「終活について考える」というブログ記事で中村伸一医師のことを取り上げた。我家では母親を昨年2月特別養護老人ホームに入居させた。小笠原医師や中村医師が行っているような在宅ケアはこの地域で受けることができないので、介護する家族が大変な負担を背負うことになってしまう。現状では、「おひとりさまで家で死ねますか」と問われれば否定的な答えしかできない。

④「最高の老後」を読んで
 最後は、山田悠史「最高の老後ー「死ぬまで元気」を実現する5つのM」から。著者は2015年から米マウントサイナイ医科大学で米国老年医学専門医である。加齢というと「もの忘れ」「認知症」など脳の機能が衰えていくようなイメージが強いが、良い面もあることを忘れてはいけない。知恵が豊富になる、多様な病原体に対する免疫を獲得できる(例えば風邪を比較的引かなくなる)、アレルギーが改善する、自由時間を獲得できるなど。
 ※5つのM
  Mobility(からだ、身体機能)65歳以上の約10人に一人は車いすか寝たきりー歳を重ねていくうちに杖や歩行器が必要となる。また車いすや寝たきりにもなる。歩く能力に一見問題がない人でも転倒リスクが増す
  Mind(こころ)65歳以上の約5人に一人は認知症ーいくら体が元気でも、脳や心が元気がないと、体全体の具合が悪くなり、人の助けが必要となる
  Medication(くすり)65歳以上の約3人に一人は5種類以上の薬を飲んでいるー薬と上手につきあっていく
  Muiti-complexity(多様な疾患を抱えた状態になることを予防する)65歳以上の約5人に4人は、少なくとも一つ以上の慢性疾患を持つー
  Matters Most to Me(いきがい)死に直面している人の10人中7人は自分で意思決定ができない

 5つのMにそってもう少し具体的に中身をみてみる。まず Mobility から。筋肉の細胞は寿命がとても長く、平均は15年。筋肉トレーニングで成長するのは筋肉の伸び縮みを助ける筋繊維が多く作られることで、ボリュームが増えるからである。この筋肉、病気により10日間ベッドで過ごすと、平均1kg減る。平均的な男性の筋肉量はだいたい20kgだとすると10日でその5%を失うことになる。そして高齢者の抱える問題に「転倒」がある。65歳以上の2~3割の人が一年に1回以上転倒を経験するとされている。そして、「一度転んだ人はまた転ぶ」という事実がある。転倒への不安と恐怖は活動性の低下につながり、さらに転倒リスクは高くなる。転倒は、筋力の低下だけでなく、バランスの障害、糖尿病などの病気、視力の低下、認知症、自宅の環境など様々な 要因によって起こる。また、高齢者の歩けなく最大の要因は、膝の痛みによることが多い。運動の効用として、死亡、心血管疾患、高血圧などのリスク低下と関連する。また、肺がん、乳がん、膵臓ガンなど8種類のガンのリスク低下との関連も示唆されている。

 同書86ページ
 
 Mind(こころ)、ここで問題になるのは認知症とうつ病。認知症は認知の機能が障害されてしまったという結果であり、その原因を探ることが大切である。認知症を予防する科学的根拠のある予防法はなくて、世の中にある食事法や栄養は十分な根拠を欠いている。運動は認知症予防に役立つのでないかについては、運動量が多ければ多いほど、認知症リスクが低いという関係はありそうだということがわかっている。しかし、認知症になるような人はそもそも運動しないという逆の関係があるかもしれなく、根拠とはならないようだ。運動をしていなかった人に飲酒や喫煙が多く、運動ではなく、その多さが認知症の原因になっていたかもしれない。

 Medication(くすり)、 特に問題なのは複数の医療機関にかかり、それぞれから薬を処方されている場合、その情報を医療機関なり薬局が掌握していないことである。
 Muiti-complexity 年とともに病気は増えるので、早期発見に努めることが必要となる。糖尿病や高血圧や腎臓病など、発症初期には症状を出しにくい病気が多く、健康診断を定期的に受けることが必要となる。ただし、この著者は胸部X線検査は結核が極めて稀となり、肺がんについてもこの検査では発見できないこともあり、欧米では推奨されていないと述べている(日本では一端始めると止められないことが多くある)。(日本では人間ドックは40代以上の人が企業の支援などにより受けることが多い。65歳以上になると役場から健康診断の申込み書が届く。おじさんは自費で一昨年まで人間ドックを受けていたが、昨年はどちらも受けなかった。血液検査だけは診療所で腎臓機能のチェックのため2ヶ月毎に受けている。)

 最後にMatters Most to Me(いきがい)最期のとき、自分で意思決定できない可能性は大きい。このため「事前指示書」を作成するなどの準備が必要であるが、日本ではこの準備が出来ていない。医療現場もまた準備ができていない。人口3億人強の米国では、5千を超えるホスピスと毎年150万人を超える人がホスピスを新たに利用する。対して、日本はホスピスが全国で5百未満、利用者も5万人から6万人となっている。また、米国にはホームホスピスという仕組みもあり、自宅で最期を迎えたい人に対し、自宅にホスピスチームが足を運ぶ。患者の意思を尊重しながら、最期のケアを行うことが重要となる。


  
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四つの小話題(前編) 23.2.19

2023-02-19 11:17:26 | 地域のこと他
 今日は朝から雨降りとなり、山登りも畑もできない。そこで、小さな話題を四つほど取り上げたい。①大野アルプスはトレランに占拠された?、②故郷に遺した家の始末は、③おひとりさまの看取り、④「最高の老後」を読んでの四つ。お互いに関連あるようなないような感じだが、書き出してみないとわからないというのが真実である(ブログを書いていると、書き出しの前考えていたこととは違う意外な方向に行ってしまうということがある。だから面白いのである。)

①大野アルプスはトレランに占拠されたか?シゲさんとの出会い
 今日の山行(天狗山)が金曜日に中止になったので、土曜日に大野アルプスに出かけた。トイレのある登山口付近には既に多くの登山者がいて準備中だった。20名くらいの集団でリーダーと思しき人がサブリーダーを指名していた(下山後彼らの車を確認したら名古屋ナンバーが多く、中には高級車も2台あった)。集団が出発する前8時15分頃に出発。いつも城台山を登るペースで歩いてしまうので、こならコースあたりでペースダウンとなってしまう。ここで元同職のG氏と会う。いつもさながら修行僧のように歩いている彼だが、今日は珍しく笑顔を返してきた。大谷山を過ぎると下りになるので、やっと楽になってくる。滝谷山との中間にある植林の中の登り(ここがこのコース一番の登り)はゆっくりと歩を進めた。早い時間にもかかわらず、帰ってくる登山者も結構多い。随分厳しい表情で時計をチェックする女性もいた。9時38分雁又山に到着。

 コンビニで買ったピザまんを食べて下山開始。名古屋からの集団は滝谷山で休憩していた。滝谷山の先で月一のHさんに逢った。登山者の半数は、トレランの若者たち。3月4,5日に三輪神社を出発し、城ヶ峰、雁又と走り、5日は最終的に各務原アルプスの坂祝まで走ると聞いている。このための試走であろうか、とにかく数が多い。

 「②雁又山」とある その前は「①城ヶ峰」である

 11時5分駐車場まで戻ってきた。そこでシゲさんを見つけ、久し振りに話をした。シゲさんは、Hさんが月一の代表であったころ、その例会にちょくちょく来ていて、知り合った。また、彼はO山岳会に所属していてことから、しばらくしておじさんもその山岳会に入った。話題は昨年胃がんが見つかり、さらに大腸ポリープも見つかり、手術を受けた。結果、体重は10kg減少し、体力も極端に落ちてしまった。現在は一日おきに運動公園から花立峠にあがり、とりでコース、古墳コースを回ってきているという。シゲさんはおじさんの10歳年上だが、70歳後半(後期高齢者)になると途端に大病を患うことが多くなるらしい。いつも一緒に山を登る50代女性の二人の父親もがんが見つかり、手術を受けた。おじさんたち、団塊世代の最後(49年生まれ)も来年には後期高齢者となり、がんや認知症へのリスクが格段に高まる。

 日常的に運動をする、規則正しい生活を送るなどにより、認知症などにかかりにくくすることはできるようであるが、いずれはがんになるか認知症になるかは避けられない。

②故郷に残した家の始末は
 おじさんの高校の同級生によって、ゴルフ、陶芸、ハイキング、グルメ会、掲示板の運営などの活動が行われている。今回、名古屋グルメ会へのお誘いがTさんからあったので、出かけた。ミッドランドスクエアの41階になる中華レストランで行われ、10名が参加した。郡部の中学校出身者が多いことにまず驚いた(揖斐川中3名、神戸中3名、不破中1名、残りは大垣)。まだ現役の者も結構いる。優れた英語教師、経営には口出ししないものの日本全国をPRのために走り回っているおじさんの小中高同じであったNさん。皆さん元気である(会にでてくるのだから当たり前かも。二人は東京と横浜から来ている。)

 複数の参加者から出た話が故郷の家をどうするかであった。先ほどのNさん、最後まで残っていた家屋と倉庫を処分した、彼の父親はかつて揖斐の中心街で商売をしていて、その家屋などがあった。それを買い手がつき処分したと聞いた。今やかつての商店街で商売を営んでいるところは本当に少なくなり、空き家や空地ばかりが目立つようになってきた。ほかの者も家の処分について悩んでいるようであった。いなかではなかなか不動産の買い手はつかない。まして、家が残っているとその処分代が土地の値段を上回ることさえあるから、余計に買い手がつかないことになる。

 現状でもこうであるから、10年後一体どうなるのか考えたくなくなる。
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城ヶ峰を登る会2月例会・城ヶ峰~小野坂へ 23.2.11

2023-02-11 17:23:02 | 山登り
 今日は、昨日の雨から急速に天気が回復し、2月にしては暖かい絶好の山日よりの中、城ヶ峰を登る会の2月例会を行った。今年初めての例会で、三輪神社から城ヶ峰、小野坂へ下りて戻ってくるコースを歩くことにしていた。この会はもともと月一のメンバーと城台山を守る会のメンバーが多数を占めている。まずは神社前で参加者19名(後に2名合流)の自己紹介から始めた。男性陣からは年齢が告白(見れば大体わかるのだが)される、私がこの中で最年長だとか、真ん中くらいとか。さすがに、女性は年のことは言わない。その後コースの説明、注意事項などをおじさんが行った。

 城台山に登る道の至る所に植樹された所がある。これは揖斐小学校創立150年を記念する事業の一つで、先週終了したばかり。全ての学年が参加して、ヤマホウシ、コナラ、クリなどを植えた。そのお世話をしたのが、城台山を守る会だった。おじさんは先頭でしゃべる相手がいない(ときより振り向いて話に加わることはある)が、後続は話に夢中となっている。気温が高く、メンバーは一枚一枚と脱いでいく。

 城台山(城跡) 8:46

 同上 城台山を守る会のメンバー

 反射板 9:12 下から花火の音(猿を追い払う?)が聞こえてきた。あまり効果はないが、追い払わないと余計に人間を恐れなくなるからだそうだ。

 城ヶ峰 9:41

 山頂から北の方角にある「333m展望台」に寄っていく。伊吹山や天狗山、小津権現山、花房山の展望が素晴らしい。

 伊吹山

 左小津権現山 右花房山

 山頂まで戻り、小野坂方面に向かう。この道は登りに使うと結構ハードで下りだと足下に注意する必要がある(要するに十分整備されていない)。尾根道の最も低いところ、昔の揖斐から谷汲へ至る峠道に出る。左下に進むのがトンネルのところに出るのが速いのだが、この先で竹を切った所があり、偵察に来た時に難儀した。それで遠回りだが右の林道を降りて行くことにした。

 この付近には獣害柵が張り巡らされている 林道を横切るところは出入口の扉が設置されている
自性院という旧尼寺の横に出る。かなり前からその住人はいない(一心寺も尼寺で今は岐阜のお寺が管理)。ここの管理は今やその地区の住民が行っているとのことで、こうした仕事は増えている。獣害柵の設置も役場から材料は提供されたが、設置したのは地区の住民であった。一方で住民の高齢化は進んでいるので、余計に大変となる。

 小谷(こたて)地区にある民家の前にある野菜畑の大根が無残に食われているのを発見した。家の中から我々を見た顔見知りの主が先週猿にやられたと告げた。おじさんも今週の月曜日か火曜日の朝、三輪神社の近くで猿を目撃した。その時は比較的大きい猿と普通サイズの猿2匹だった。メンバーのMさんから畑(三輪神社のそば)の大根が食べられ、タマネギが引き抜かれたと聞いたので、広範囲に猿が里に出てきたと思われる。

 大根が被害にあった 電気柵もあり、触ればびりっとするそうだが、あまり効果はないらしい

 揖斐小学校の職員駐車場で来月の予定を話した。来月11日は、城ヶ峰から西ノ山、仁坂峠から間戸山に登る。このため、仁坂峠にあらかじめ車をデポする予定。11時半頃解散となった。
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