城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

飼料米とトンビ(鳶) 23.9.23

2023-09-23 18:49:47 | 野菜作り
 今日は秋分の日、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、にわかに秋めいてきた。ちなみに我家の晩飯は、クリご飯とサンマだった。クリは前回のブログで書いたように、城台山散歩の途中で毎日拾っているクリでかみさんが苦労して、包丁で皮をむいたものである。このクリ、少々固めで市販のクリのようにはいかない。この後、買ってくるか妹の家からもらうかして、何回かクリご飯をたべることになるであろう。

 7時半から防災訓練、といっても参集訓練だから、集まった人数を区の役員が数えて、お茶をもらって解散した。その後、城台山に出かけて、また途中でクリ拾いをした。帰りに一心寺には車が来ており、掃除をしていた。(お彼岸ということで、今日は一日中鐘のの音が聞こえていた。)

 9時頃から畑に出かけた。今日はサツマイモの試し掘りとショウガ(梅酢漬用)を収穫する予定だった。手前の田んぼではJAによる刈り取りが始まっていたが、まだ稲は青いままで普通の収穫ではないと思った。我家の田んぼもJAに全てをお願いしているので、次は我家の田んぼにコンバインが来るものと思われた。こんなに収穫が早い(普通だったら10月中旬以降、隣の田は個人で管理しているので我家より田植えが早かったが、まだ収穫の時期にはなっていない)のは予想外で、藁を残してくれるよう依頼がまだしていなかった。畑で藁をたくさん使うのだが、コンバインによる脱穀は稲の束を切断してしまうので、あらかじめ依頼をしておく必要があった。我家の田んぼに乗り入れようとするコンバインを見て、そのオペレーター(今回近くの知り合いだった)に残してもらうようお願いした。

 少し飼料米のことについて説明しておきたい。日本ではコメ消費の低下により全ての田んぼにコメを作ると生産過剰となる。このために行われたのが生産調整、すなわち減反政策であった。普通、隔年毎に食料用のコメを作り、作らない年は大豆か麦を作る。もちろん減反時には国から補助金が出る。減反政策は終わったが、生産過剰は続いているので、コメ以外の作物を作らなければならない。この減反政策の中で新たな作物として飼料米のメニューが導入された。その値段は安いので、一反(10アール)あたり5万円から10万円の補助金が出ている。耕作者は、多収穫の品種(10アール当たり800kg以上、普通食用なら600~480kg以下)を作ることが多い。

 コンバインが動いているその隣の畑でサツマイモを掘っていたら、これまで見たことのないような光景に出くわした。すなわち、コンバインのすぐ上空を数羽のトンビが飛んでいる。また、ツバメのような小さな鳥も数え切れないないくらい飛んでいた。一体何が起きているのであろうか。見えないがコンバインの周辺では稲の中にいた虫が追い出され、上空を飛んでいるのではないか。トンビも虫を食べるのか?(カエル、ネズミなどの小動物を食べることは知っていた。)

 コンバインの周辺を飛ぶトンビ

 トンビ2

 また、刈り取られた田んぼに下りてきて、獲物を探しているような場面もあった。カラスもいたのだが、トンビにはかなわないと思って控えているのかもしれない。

 サギも仲間に加わった

 帰ってきて、グーグルで検索するとトンビは虫も食べると書いてあった。小動物は生きている限り逃げるので、屍肉を食べることが多いようだ。

 さて、サツマイモの試し掘りの結果、既に十分収穫可能であることが分かった。10月初旬くらいに行うことにした。


 また、今回サトイモの株間にショウガを作った。おじさんはショウガの梅酢漬が大好物なのだが、最近全く食べていなかったのは、ショウガ作りが難しいということであった。半日陰の所が生育には良いのだが、畑にはこのような場所はないこともあり、長いこと作っていなかった。今年サトイモの株間に作るのが良いとの記事を見て、今回挑戦した。結果はサトイモがでかくなりすぎたこともあってか、陽が当たらなかったのからか、不満足な収穫だった。

 
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初秋の山の賑わい・パート②池田山 23.9.18

2023-09-18 17:40:15 | 山登り
 今年もクリ拾いの季節となったが、秋らしい天気はまだ先のようである。今日は雨間に城台山に登り、帰りに道に落ちているクリを靴でイガをむく。強い雨や風が吹くと、俄然収穫は多くなる。

 去年はこの笊に一杯になるほど拾った 今年の収穫はどうだろうか 山栗にしては大きいが皮をむくことは難しいので、家内には不評

 昨日は池田山に登ってきた。家から池田山を見ると上の方にはガスがかかっていた。7時前に家を出たのに、気温は既に25度、湿度が極めて高く、大汗をかくことが予想された。日曜日ということで大津谷キャンプ場は車が一杯で大盛況だった。登山口(獣害柵)の前の広場にもキャンパーがいて、駐車場はほ一杯であった。車の中で寝た人も多く、眠そうな顔して、仲間同士で挨拶していた。この気温と湿度ではとても快適なキャンプとはならない。若いからこの寝苦しさに耐えれるのであろうか。なんとか空きスペースを見つけて駐車する。

 キャンプ場 ここは公設ではなく個人? トイレや水はある


 登山口 6:57


 マントカラカサタケ 7:04

 登っていると下の部落からの放送が聞こえてきた。「今日は住民総出で草刈りを行います。」と。おじさんも土曜日に財産区の草刈りをした。1時間もしないうちに休憩となり、あとはいつものように喫茶店に繰り出した。年寄りだけでなく、こんな蒸し暑い日に行うのは大変だ。


 登山口から1.41km(大津谷登山道の中間地点にあたる) このコースは急な前半(0.8kmまで)、緩やかな中間、急な林道に出るまでの後半に分かれる


 登山口から2km 林道まであと少し


 ガスの中のアンテナ 8:44

 当初いつものようにアンテナのところで引き返すつもりであったが、ここまで来るとガスの中ではあるものの爽やかだったので山頂まで行くことにした。

 ガスの中の登山道 8:50


 山栗 9:04 このあたりの山クリは小さい

 
 山頂 9:18 かつては山頂まで2時間かからなかったが・・・

 10時55分に登山口に戻った。既にキャンプをしていた若者たちの車はなく、わずかにおじさんの車だけとなっていた。下る途中で会った5人グループの人たちの車はどこに駐車(大津谷公園?)したのか。
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国籍とは何か 23.9.17

2023-09-14 19:42:10 | 面白い本はないか
 ラグビーを見ていると世界は今後このようになるのが良いのではないかと考えさせる。そこでは日本人に混じり明らかに日本国籍でないと思われるラガーマンたちが日の丸のもとで闘っている。そしてそのチームに多大な応援を送る私たちがいる。バスケットボールでもアメリカ人が日本国籍を取得してポイントゲッターになっている。スポーツ以外の分野でも日本で生活し、文化を愛してくれる人ならば国籍や外見に関わらず、共に暮らしていけるような日本になる必要があるのではないか。

 話は変わるが、先日相続のために亡くなった母親の生まれた時からの戸籍謄本を取った(貯金を引き出すために必要な書類だが、ここまで詳細なものが本当に必要なのだろうか大いに疑問がある)。生前母親からある程度父母(私からいうと祖父母)、祖父母(同曾祖父母)の名前は聞いていたが、戸籍を見ると、名前が少しずつ違っているのと、曾祖父の小八は養子(確か隣の家が本家でそこから迎えていた)であることが戸籍で確認できた。父母とも早い時期に亡くなっていたので、私は母方の祖父母を全く知らない。

 この戸籍にある小八は安政5年4月の生まれである

 この戸籍制度があるのは、中国、台湾と日本だけで、かつて韓国にもあったが2007年に廃止された。もともと戸籍制度は中国由来のもので、社会構造の最小単位「戸」に着目している。戸籍は人の出生から死亡に至るまでの親族関係を登録、公証するものであり、日本国民について編成され、日本国籍を公証する唯一の制度であると法務省の説明にある。戸籍が最も身近になるのは、おそらくパスポートの取得の時であろう。日本人と外国人が結婚すると日本人には新たな戸籍が作られるが、もちろん配偶者の戸籍は作られない。日本の国籍を取得する(帰化という)と新たな戸籍が作られるのである。

 ここまで戸籍の話をしてきたのは、安田菜津紀著「国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に」を紹介したかったからである。著者は高校生の時にカンボジアへ渡航するために戸籍が必要となり、戸籍に見慣れない「韓国籍」という文字を見つけた。父親は著者が生まれたとき韓国籍で後に日本国籍を取得した。その父親と母親は小学3年生の時に離婚し、著者は日本国籍の母親に育てられた。その父は中学3年生の時に亡くなり(自死)、異母兄(離婚まで一緒に暮らした)も続いてなくなった(過労死)。 

 表紙に父に抱かれる著者がいる 本の中には兄に抱かれる著者の姿もある

 ※著者の紹介(プロローグから)
  今私は、フォトジャーナリストとして、貧困や災害、紛争下で生きる人々の取材を続けている。シャッターを切る軸となってきたのは、「家族とは何か」という問いだった。私は「家族は仲良くすべき」「家族の絆を大切に」といった「血」にこだわる圧が好きになれない。誰かに強制される人  との距離感にも抵抗がある。けれども同時に、戦争など理不尽な出来事によって、家族が意思に反して引き裂かれていくことに激しい憤りを感じてきた。
  

 日本に1年以上滞在する外国人は、居住する市町村、特別区に登録する必要があった(2012年に廃止され、現在はカードが発行されている。この制度の最大の争点となったのは指紋押捺を新規、更新時に必要としたことであった)。この外国人登録原票の開示を遺族等はできることを著者は知り、それにより父親、その父母をたどる旅が日本や韓国において始まるのである。同時に父親と兄の関係があまりにもよそよそしかったことに気づいた著者によるその理由探しも始まる。そして、その理由を知ることになる。兄の母は日本国籍を持つが、父は兄の出生時韓国籍であったことから、兄の国籍は韓国(1984年まで日本は父系主義をとっていたが、以降母親の国籍も選択できることになった)となるはずだった。韓国製となることは兄にとって不利になると考えた父は、母親の私生児(認知をすると韓国籍となってしまう)という選択をした。

 朝鮮半島(現在の北朝鮮、韓国)がかつて日本の植民地(1910年~45年)だった頃に、日本には多くの朝鮮人が任意あるいは半強制により就業等のために日本に渡ってきた。その数は戦後直後には200余万人であったが、46年3月末までに約130万人の者が本国に帰還した。しかし、60万人が生活への不安や母国の現状を理由に日本に残留した。現在の在日韓国・朝鮮人は437千人となっている。これとは別に韓国・朝鮮系日本人というカテゴリーがあり、両親の一方もしくは両方が朝鮮・韓国にルーツを持つ日本国籍者もしくは日本に帰化した人とされている。

 ※ここで同じ時に読んだ緒方義広著「韓国という鏡 新しい日韓関係の座標軸を求めて」を紹介する。
  韓国は多くの移民を送り出してきた。在米同胞が263万人、在中同胞が235万人、これに次ぐのが在日コリアン約82万人(うち日本国籍者が約 38万人)。日本の植民地支配により移住を余儀なくされたという歴史性は、在中同胞である中国朝鮮属や高麗人と呼ばれる旧ソ連地域出身の同胞そして在日コリアンに共通する。しかし、在日コリアンは植民地支配の「宗主国」であった日本に住む同胞(日本国籍であった)であるという点が異なっており、さらに法的地位に関して、朝鮮半島の南北分断と植民地からの解放後に構築された日韓関係に由来するという点から複雑である。
 在日コリアンの場合、日本国籍を取得した者を除けば約44万人が韓国籍あるいは朝鮮籍(これは北朝鮮国籍ということではない。分断される前の国籍で事実上は無国籍状態である。)を持ち、二世、三世、四世と代を重ねながらも日本国籍を取得していない。韓国系の外国人(日本人)という単純な在外同胞イメージとは異なった現実がある。
 日本や韓国では国籍とアイデンティティが常に一致するという先入観がいまだに強い。大坂なおみ、カズオ・イシグロ、ノーベル物理学賞を受賞したプリンストン大学の眞鍋淑郎などなど。

 安田の本について、今回戸籍や国籍という側面からのみ紹介した。この本には在特会による差別など日本が抱える様々な問題が書かれているので一読をお勧めしたい。家族の写真や著者によるワンショットが素晴らしい。

 最後に「反日」ということについて、※での紹介した「韓国という鏡」から。日本を基準にすれば、外国である韓国の文化に違和感を覚えることは当然のことだ。しかし、それらをすべて「反日」の一言で片付けてしまうのは正しい理解とは言えない。少なくとも韓国社会を一括りにして「反日」と捉えてしまうことは、単なる異文化理解の放棄ではないだろうか。いまの日本社会には。「嫌韓」ではないという対面を保ちながら、韓国社会の問題点を「反日」と決めつけ批判し、さげすむような言説が容認されている。そもそも韓国社会が「反日」に支配されているという問題意識自体が、偏った情報に基づく間違った解釈であると、私は考える。

 なんかおじさんにも当てはまるような気がする。韓国が失敗したりすることを喜ぶ。これが一部だけならともかく大勢の国民が勝手に溜飲を下げているのである(ネットで特に激しい)。なんとかならないものかと考えてしまう。

 これまで何回か韓国問題に触れてきた。首尾一貫しない点が多多あるかもしれないので、お許しいただきたい。
 19.8.22 日韓共通の歴史認識は可能なのか
 20.12.6 複雑な世の中
 21.2.8  韓国と日本の新しい関係に期待
 21.8.14 明日は76回目の終戦記念日
 21.8.22 貴方は嫌韓それとも好韓?
 22.7.24 池田山&二冊の本
 23.2.2  姜さんの本を読む
 
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ノリさんの畑ノート⑨秋冬への準備 23.9.8

2023-09-08 17:20:07 | 山登り
 まだまだ暑いが、秋冬に収穫する野菜の準備すなわち種まきはしておかなければならない。
   9月 ニンジン(既にまいた)、大根(15日前後)、ホウレンソウ(中旬)
  11月 スナップエンドウ、タマネギ(苗植付け)

 
  左がニンジンをまいた後で、乾燥防止のため不織布をかけてある 発芽させ上手くいけばあとは勝手に育つ
  右が大根 一般に彼岸までにまくようにとあるが、昨年は11日に蒔いた。大きくなりすぎて扱いにくいので、少し日にちをずらす(温暖化 影響で大きくなりすぎる)

  11月に植付ける予定のタマネギだが、今年のタマネギは大きくなりすぎたせいもあり、日持ちしない。小屋にぶら下げてあるが、痛み具合がひどく、家内から文句が出ている。しかし、植付け時期を遅くしても、タマネギはおそらく影響されない。特に暖冬だと成長が進み、玉が肥大する。

 
 この後の収穫予定
◯サトイモ 10月~11月 ニンジン畑の後方がサトイモだが、葉の丈がおじさんの背くらいまでになっている(こんなに成長したサトイモを見ることは経験したことがない。一部は子イモではなく親イモを種イモにしたからだと思う。)

◯サツマイモ 10月 近所の知人が「サツマイモを収穫したか」と聞いてきた。今収穫するとやわらかくて美味しい。」と。おじさんとしてはもう少し待って大きくしてからにしたい。ただ、あまりにも大きくなったのは扱いに困るので、9月下旬に試し掘りをしたい


◯ナス ナスは米ナス以外は、8月に仕立て直しをした。枝を切り詰めて、株の回りをスコップで切り込み(古い根を切り、新しい根を生長させる)、その切り込みに追肥した。9月にも追肥した。10月中は収穫できるであろう。

◯黒豆・枝豆 既に2回ほど収穫した。一部は正月の黒豆用として残す

◯カボチャ 今年カボチャは不作で、おまけに草刈りの時にツルを切ってしまった

 もう少し頭のところがコルク化したら収穫 品種「雪化粧」

昨日の収穫

 上ナスと甘トウガラシ、小さなスイカ2個 今でも家では甘くないスイカを水分補給ということで食べている
 下が黒豆

 今朝朝食後、城ヶ峰まで往復するつもりでいたら天気予報は8時前から雨の予報だったので、雨の前に城台山だけは往復しようといつものザック(2Lの水3本入り)を背負って出かけた。ところが雨が全然降りそうになかった(この日降ったのは18時頃)ところから、急遽城ヶ峰まで往復することにした。水はたくさん持っているが、いつ入れた水かわからない。結局水、食料なしで2時間歩いた。この城ヶ峰でも雁又山でも下りが登りの時間とほとんど変わらない。コースによるところが多いが、下りが遅くなったせいも大いにある。今日も途中でエネルギー切れで登りより遅かった。

 朝食の後、今年畑の7回目の草刈り。紐の調子が悪く、余計に時間がかかった。ダブルワークで疲れたが、こんなことができるのも少し暑さがゆるんできたせいだと思う。昼からはもっぱら本読みで、夜は曇切仁左衛門を見る予定。
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ノリさんのガーデンノート⑩バラ秋の花への準備 23.9.7 

2023-09-07 17:07:49 | バラ、クレマチス等
 バラの本にはこの時期(8月下旬~9月上旬)剪定・追肥を行うと書かれている。しかし、最近の夏の暑さの厳しさと9月までずれ込む暑さ、さらには10月以降も続く気温の高さを考えるとこれで良いのか少し疑問に思うところがある。高温のため、花が咲くまでの時間が短縮され、12月になっても花をつけるバラが出てきている。野菜についてもそのように感じることが多くなっており、いつものように決まった時季に種まきしていると大根のように肥大化してしまうのである。

 以下は8月30日に撮った写真である。既に3回以上咲いているが、花はだんだんと小さくなり、花持ちも悪い。












 9月2日の中日新聞の「バラLife」(月に2回連載中)に以下のように書かれていた。
  秋にきれいな花を咲かせるために、「夏剪定」を行い、今頃の時季につぼみも花も一斉に切ってしまいます。秋の気候の良いときに花が咲くように逆算し、一斉に行うことで、そろって咲かせることができます。
  冬に向かって気温が下がっていくため、秋のバラはゆっくりと花が開き、長期間楽しめることが魅力です。

 上記に続いて、こんな記述があります。
  夏剪定ですが、必ず行わなければいけない作業ではありません。咲き終わってしおれた花柄をその都度切り、繰り返し咲かせる楽しみ方もあるでしょう。

 厳しい夏の暑さ(加えて日当たりが良すぎること)により、我家のバラは葉を落とし、先端部分しか葉が付いていないようなものが結構多い。ネットで葉を落としたバラの管理について調べると剪定や追肥をしないようにとある。

 それでもいつものように夏剪定を行い、その後で追肥を行った。
  ①葉が少ないバラは、最小限の剪定(ほとんど通常の花後の剪定+)
  ②つるバラ以外で枝が徒長しているバラは、三分の一程度を剪定
  ③細い枝は切り落とす

 弱剪定したものが多いので、これらは早めに咲くであろうが、今後の結果に注目したい。

 剪定前の状況

 後方のつるバラが天高く伸びているがこれは剪定しない(12月か来年1月)

 花が咲いているし、つぼみも多い

 剪定後

 葉が上の方しかついていない 少しだけ剪定

 同様に少しだけ剪定 枝間が混み合っているので後で枝を整理したい

 切るところがないので剪定しない(もちろん花後に切る)
 

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