城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

夏越しの大祓(茅の輪) 22.6.30

2022-06-30 19:13:23 | バラ、クレマチス等
 今日は夏越しの大祓、夕食後家内と三輪神社に出かけた。まずは茅の輪くぐり、左に一回、右に一回、最後にもう一度左に回る(昔は歳の数だけ回れとか言っていたが、高齢者には無理)。あらかじめ各家庭に配布された紙の人形(ひとがた)を気になるところに押しつけ、その後名前を書いた封筒に入れ神前に置いてくる。ここのところ足の指がおかしいので、迷わず人形を足に押しつけた。今朝、城台山散歩のとき、茅の輪が新しくなっているのに気づいた。副宮司の奥さんの話では谷汲の茅(ススキ等)で作られたとか。新型コロナの終息を願って、この茅の輪は出ずっぱりであった。このためぼろぼろになり、今回新しいものに替えられた。その時副宮司とも話しをした。話題は、サギのことで、神社裏の高い木の上で、子育てしていて、随分やかましかったのだが、雛が巣立ち、急に静かになったとおじさんが報告した。副宮司の心配事は、この後コロニーを作ってしまうことだった。作らせないように花火、果てはドローンを使って脅かしているのだが、すぐに戻ってきてしまうとのことだった。この場所は、カラスや鳶も営巣しているので、サギにとっては安泰の場所ではないという。

 朝の三輪神社

 木の上に白いサギがとまっている

 さて、今日も揖斐川町は38度を記録した。明日は39度になるという。岐阜では多治見に次いで高温記録の出る町となった。このため。おじさんは既に夏ばて気味となっている。朝と晩、庭と畑に水やりを欠かすことができない。そしてちょっとした作業をすれば、もう汗だくだくとなる。従って、10時頃から17時頃までは、クーラーの助けを借りることになる、あまりにも厳しい暑さなので、バラを寒冷紗で覆うことを今年から始めた。この暑さはバラにとって極めて過酷であり、この暑さで株が疲弊し、秋の花に影響が出てくる。もちろん寒冷紗がいかほどの効果をもたらすのかは不明であるが、使っていない寒冷紗が何枚もあるので、試して見ることにした。

 寒冷紗をかける これで太陽の光を80%程度カット 問題は台風や強風

 百合が咲き出す

 同上

 バラ1

 バラ2

 バラ3

 昨日、遅れていたサツキの剪定を行った。今年はあまり花にお目にかかっていないのだが、ほおっておくことはできない。秋に他の木と合わせて剪定することもできるが、適期は花後の6月中ということになる。家内の助けを借りて、朝7時から10時半までかかって作業を行った。途中水分休憩を2回おこなったが、この歳では体力的にきつい。あわせて、花がほとんど咲かない小クチナシの剪定も行った。サツキ、小クチナシ花が咲かないのは肥料をやらないせいなのか。同じクチナシでも大クチナシの方は結構花をつけているのだが。

 道路沿いのサツキ この場所は高い場所にあり作業しやすいが、低い場所の剪定は骨が折れる

 来週は予報では暑さが一時和らぎ、雨もあるようなので、野菜、花、おじさんにとって恵みの雨となりそうである。


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6月の霊仙山 22.6.20

2022-06-20 19:36:10 | 山登り
 霊仙山、伊吹山と並び何度も足を運んでいる山である。今回は最近我々の山グループに加わったJちゃんが登っていないということで少し時季外れとも思ったが、登ってきた。霊仙山はここのところ柏原、そして今畑からの西南尾根から登ることが多くなっているので、久しぶりの榑ヶ畑からの登りルート(西南尾根からの下りは榑ヶ畑に下るのが一般的)ということになる。皆さんご承知のルートなので、変わったところだけお知らせする。

 まず、榑ヶ畑まで入ることができなくなったことである。確かに、この登山口にはきちんとした駐車場がない。このため空いているスペースに各自駐車していた。この状態は、林業関係者にとってはきっとお邪魔虫であろう。このためか、養鱒場から榑ヶ畑の中間辺りで進入禁止となっていた。今回われわれはこの場所に駐車したが、ここも駐車場ではないので停めてはいけないのかもしれない。養鱒場から先には駐車場はないとの表示がある。われわれの場所からだと27分(距離1.7km、もちろん登り)、養鱒場からだと1時間は榑ヶ畑登山口までかかるであろう。林道歩きを考えるとこのルートも結構時間がかかるようになったということであろう。

 榑ヶ畑への林道中間付近 ここから先は林業関係者等のみという表示がある

 そして6合目から尾根を直上するルートが立ち入り禁止になり、山腹を右に大きく巻くことになったことである。そして汗拭峠のA1の表示から始まり、ルート上にA◯(数字が入る)という表示が出来ていた(何番まであるのか確認していない)。これは遭難したときの正確な場所を知らせるためのものではないかということをEさんが言っていた。

 ここから直上はできない

 以下写真で紹介する。天気は薄曇り、気温はさほど高くないが湿度は高そう、風がないこともありサウナ状態で汗を一杯かく。

 廃村最奥部のかつての売店 いつまで営業していたのだろうか

 汗拭峠 今畑登山口は一般的には「落合」方面に沢を下る

 9時50分

 10時31分

 霊山神社 10時41分 池は琵琶湖の形をした瓢箪池

 カタバミ

 ウマスギゴケ この苔があちらこちらに生えている

 経塚山 11時4分

 避難小屋から柏原ルート方面

 最高点(霊仙山山頂から)おじさんとEさんはここをパス 初めてのJちゃんとお付き合いのYさんはここを経由して山頂へ

 霊仙山山頂

 帰りは経塚山の手前からショートカット

 不明

 いつも水をあまり飲まないおじさんもペットボトル2本を完全消費した。

コースタイム 駐車地8時19分→榑ヶ畑登山口8時46分→汗拭峠9時8分→経塚山11時4分→霊仙山山頂11時29分~12時5分→駐車地14時30分 

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木の話 22.6.17

2022-06-17 21:06:58 | 面白い本はないか
 山に登ったりしていると時々巨大な木に遭遇する。人間よりはるかに長い時を生きる木に対して、神々しさ、神聖さを感じることが多い。その近くにはときにお社があったりする。大きな木は神の依り代、霊ある存在として地元の信仰を集めていることが多い。

 これは先日登った福井県大野市の姥ヶ岳の登山口近くの大栃の木 そばにお社があった

 石徹白の大杉 2018年10月

 戸隠神社奥社の杉並木 2013年6月

 みなさんはレバノン杉というのをご存じだろうか。樹高が40m、径が1.5mに達し、古代船を作る材料として伐り出され、今や少数が残るだけとなっている。このレバノン杉の伐採は、ギルガメッシュの神話となっている。森の神であるフンババと青銅の武器を持つギルガメッシュが対決し、ギルガメッシュが勝ち、人類が森林破壊への文明の道を選択したという話でBC2600年頃とされる。この森林破壊により、たびたび大洪水が起こり、メソポタミア文明は崩壊したとも言われる。

 ここからは森林、その中にあった巨木と建築の歴史について紹介する。まずは、海野聡著「森と木と建築の日本史」(岩波新書)から。日本は古くから巨木を使った建築物の歴史を持っている。縄文時代中期の三内丸山遺跡では栗の巨木が登場する。時代が下って6世紀になると大陸から仏教が伝わってきて、飛鳥時代には法隆寺(607年創建)、奈良時代には東大寺(751年創建)、薬師寺、そして日本全国につくられた国分寺などの造営、さらには藤原京、平城京、平安京など都の建設に大量の木材が使われた。最初のうちは飛鳥周辺、そして畿内であったものが資源=巨木がなくなり、調達先として徐々に全国に広がっていったのである。中でも桧は大型の建築物の用材として最も需要が多かった。法隆寺の昭和の大修理(1934年~1954年)にはその修復に必要な桧の用材は日本国内にはなく、当時植民地であった台湾から調達しなければならなかった(薬師寺の大修理にも台湾桧が使われた。現在保護のため国外への持ち出しはされていない。)。

 用材の確保が全国に広がっていった 「森と木と建築の日本史」から

 建築物等の造営には日本では主に木が用いられた。木には針葉樹と広葉樹があり、前者は軽くて、柔らかいので加工がしやすい。桧、杉、栂、赤松などである。桧は日本、台湾のみに分布し、福島を北限に九州まで生育する。後者は固くて重く、加工しにくいが強靱である。ケヤキ、栗、楠、ミズナラ等である。「日本書紀」には樹種選定について面白い記述がある。素戔嗚尊(すさのおのみこと)がひげを抜いて放つと杉の木になり、胸の毛は桧になり、尻の毛はマキ、眉の毛は楠になったという。そして、杉と楠は舟に、桧は宮殿に、マキは棺にするようにと言ったという。桧は寺社、宮殿を作るのに最も適した用材として特に需要が高かったというわけである。

 木で作られた寺社などは戦乱などによる何回もの焼失の歴史を持っている。東大寺は1180年に焼失した。既に再建に必要な用材は機内にはなく、この事業の中心となった重源(ちょうげん)は周防の国(山口)で長さ21m~30m、太さ162cmの巨木の森をやっとのことで発見した。しかし、ここから奈良まで運ばなければならない。道を開き、橋を架け、そのための搬路を作ったのである。そして、現地に運び込む時に当時の政治指導者(この中には「鎌倉殿の13人」で悪役の後白河法皇もいた)ばかりでなく一般の民(伊勢神宮の式年遷宮と同じ)もその搬入に加わった。しかし、東大寺は1567年に再び焼失している。

 伊勢神宮は20年に一度式年遷宮が行われている。この時必要な桧は一万本、もともと内宮も外宮もそのための御杣山(おそまやま)をその背後に持っている。しかし、平安時代には既に良材は枯渇していたという。美濃地方、現在では木曽の用材が使われている。諏訪大社の御柱祭も有名である。こちらは、樅の巨木であり、1950年の記録によると径1.3m、長さ16.5mである。この祭りで特に注目を集めるのが「木落し」である。巨木の運搬がいかに大変かを教えてくれる祭りとなっている。

 海野聡氏の本を読んでいたら、急に書架にあった西岡常一・小原二朗「法隆寺を支えた木」(NHKブックス、1978年)を読みたくなった。1995年頃購入し、今回で読むのが3回目である。西岡常一という人物を知らない人もいると思うので、少し説明しておく。法隆寺の昭和の大修理、薬師寺の大修理にかかわった昭和の最後の宮大工である。おじさんがなぜこの人物に興味を持ったかは忘れてしまったが、弟子の小川三夫とともに書いた本「木のいのち木のこころ(天)、(地)、(人)}などもあわせて読んだ。今から考えるとこうした職人の世界にあこがれたのかもしれない(自分にはできないことを承知の上で)。

 随分話があちこちしてわかりにくいと思う(書きたい気持ちばかりが先行しているから)。書けていないことを最後に書いておく。桧の優れているところは、樹齢千年以上のものは、伐り出されてからさらにそれ以上の年を生きぬき、びくともしないことである。このような用材は桧以外にはない。縄文時代から建築物は掘立柱式(地中に埋める、当然地上より早く腐るので、様々な工夫が施される)であったが、法隆寺は礎石式(土台となる石の上に柱が乗る方式で、土台と柱を連結する方式が主流となる(この方式しか建築基準法では認められていない)前はこれが主流だった。ご承知の方も多いと思うが、式年遷宮のお宮は掘立柱方式である。

 他に興味深いこととして調達した用材を加工する道具の歴史である。伐り出された木材を加工するのはチョウナと呼ばれる道具でさらに仕上げはヤリガンナを使って行う。室町時代に縦挽き用の鋸と台鉋(だいかんな)が伝わってきた。それまで板をつくには楔を使った。一枚の板を作るのがいかに大変だったのか感じることができる。

 チョウナ これを使って木を加工する模様がユーチューブにあるのにはびっくりした

 最後に、雨宮国広著「ぼくは縄文大工ー石斧でつくる丸木舟と小屋」を昨日読んだ。世の中には随分変わったことをする人がいるということを知るにはベストな本だ。普通の大工→宮大工→縄文大工、研究熱心で体力と技術を持ち合わせていないとできない生活である。

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6月のバラ 22.6.16

2022-06-16 19:14:36 | バラ、クレマチス等
 雨が続くと花が咲いても、すぐに傷んでくる。おまけに落葉がこれから多くなるので、手を抜くとたちまち花びらや落ち葉で地面は一杯になる。さらに今年はアブラムシが多く発生し、新芽の周辺はアブラムシだらけということになる。今週の日曜日に消毒したばかりなのにと一人愚痴を言う。たまりかねて、地面に防虫剤を撒いた。このあとお決まりの黒点病が多発するだろう。

 さて、この時期注目すべきは、シュートの出具合である。これが各株から元気に出てくれていれば、株は成長し、来年は今年よりも多くの花をつける。そのシュートの発生が一番多いのは6月、すなわち今なのである。もちろん、シュートの発生を促すため、6月初めには追肥を行う必要がある。

 比較的若いバラばかりで、シュートが勢いよく伸びていることがわかる
 左のバラのシュートが太い

 現在のバラの状況を報告する。もちろん5月のような華やかさはないが、2回目(最初の花の時期が長いのでいつから2回目なのかわかりにくいが)少し小振りの花が咲いている。雨に濡れ、柔らかな感じがどのバラもしている。

 ジーンレックス 返り咲きしているので、3回目の開花

 名前が分らないのが残念 このバラもどんどん大きくなり、花の位置が高い

 エブリン これから咲くところ

 クィーン・オブ・スウェーデン

 ボンヌイ(ピントが前)

 チャールストン このバラも多花

 フレンチローズ

 ピェールドゥロンサール 5月よりも多く花をつけている

 これもつるバラ梓 このあとシュートが大きく伸びてくるはず 花は小さいがこれが咲き乱れると見応えがある(枯らかしたので再度挑戦)

 バラ以外の花

 ナツツバキ

 ダリア 違う色もあったのだが、残ったのはこれだけ

 イワダレソウ 知人にもらったものだが、傍若無人に成長している 放っておくと、庭が占拠されてしまいそう 

 梅雨の時期の代表的な花 近所から挿し木をいただいた 肥料をやったことがないが、今や大きく成長

 ベゴニア・センパフローレンス 毎年冬越している 肥料をやると元気に育つ

 シュートが出たら地面から45cmくらいで切りなさいというバラの本(切らないという本もある)があるが、おじさんは切らない。どのみち来年の1月から2月に大きく剪定するから同じだと思うが。
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志津山(養老山地) 22.6.13

2022-06-13 20:00:00 | 山登り
 今日は好天の中、養老山地の一角にある志津山(732m、三等三角点「田辺1」)に登ってきた。この山は、「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース美濃上」に紹介されていて、実は山とものEさんがこの本で紹介されている山のうち最後の(登っていない。一度は大雪の時に試みたがあと少しのところで撤退)山だそうである。おじさんは、最初標高からして大した山ではないと考えていた。しかし、最初はゆるやかだった登りも観音堂からはかなりの急な登りとなった。おまけに落ち葉が積り、余計に登りにくい。天気は良く無風で汗びっしょり、足がなかなか前に進まない。実は5月10日の横山岳以来、足の不調もあって、急な登りのある山に登っていなかった(単なる言い訳かもしれないが)。

 養老山地は南北に25kmにわたって続いており、濃尾平野の西端で平野から一気に立ち上がっている(逆断層でできた)。この山地にある山は従って急な登りの山が多く、崩壊も進んでいる。しかも、里に近いこともあり、林道が縦横に走っており、また登山道も何本もあるので、迷いやすい。加えるに北の養老山から南の多度山まで走り抜けるトレランのコースともなっている。今回私たち4人は駐車地から反時計回りに周回するコースを通った。先ほどの本で紹介されている「川原越え」にほぼ西進する「東海自然歩道」のコースは現在通行禁止となっている。

 以下写真で紹介する。

 駐車場はない 道の広いところに駐車 7時32分

 観世音菩薩の幟が立っている

 観音道という石の案内がある 7時46分

 観音堂 8時 地元の方により管理されている模様

 紛らわしい表示があちこちにある 9時19分
 708m地点からは立派な道が続いている。

 東屋 9時30分 ここから約100mくらい川原越まで下る

 志津山が見えてくる

 長い階段が続く

 志津山に到着 10時
 少し早いがここでお昼
 この先も下りの階段が続く

 ここで稜線とはお別れ 10時55分
 急に道が悪くなった。あまり使われていない。ここも落ち葉が一杯

 途中鉄塔を横切る、濃尾平野が広がる 11時30分
 老人施設の前の沢堰堤(飛び石あり)を横切り、駐車地まで戻ってきた。

 コースタイム 駐車地7:32→観音堂8:00→東屋9:30→志津山10:00~10:26→下降点10:55→駐車地12:02


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