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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

スナップエンドウの植付けほか 21.11.29

2021-11-29 19:18:31 | 野菜作り
 朝晩が随分冷え込むようになってきた。昨日城台山から見る伊吹北尾根の山々がうっすらと雪化粧しているようだった。

 池田山と小島山の間に見える伊吹北尾根の山々

 寒くなった一方で、まだ夏野菜の代表のトマトとピーマンはまだ実をつけている。

 大玉のトマトはなかなか熟さないので、自宅に持ち帰り、赤くする
 トマトは全て脇芽から成長した

 スナップエンドウの植え付けを行った。少し成長したら支柱を立てる。



 タマネギの状況 植付けた時はねていたが、20日ばかりで立ってきた


 ブロッコリー 花蕾(食べるところ)はまだ見えない


 初めて白菜を作ったが、いまだ巻いていない 果たして巻いてくれるのだろうか?

 畑の周りの防獣ネットを張り替えている。

 手前の大根は随分大きくなった そろそろ家内が切り干し大根を作るはずだ


 八朔が色づいてきた 12月下旬に収穫予定

 来年となるが、1月中旬にタマネギの追肥(一回だけ)、3月上旬にジャガイモ植付けを行う。
 


 
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バラ花壇への植付け 21.11.25

2021-11-25 18:58:14 | バラ、クレマチス等
 庭に新しく作った花壇への土の搬入が終了したので、今日時期的に少し早いと思ったが植付けを行った。バラは全て鉢植えにしていたもので、それを鉢から抜いて花壇に植付けた。
 ※バラの植え付け時期 バラの休眠期12月~2月頃が適期 ただし、裸の苗ではなくポット苗では基本的には年中可能


 植付けた鉢植えのバラ ギー・サヴォア(デルバール)

 深さ30cm~40cm程度の穴を掘る 底に堆肥を入れる 

 使い出したサラブレッドの堆肥(一袋40リットル入×3袋=4700円送料込み)

 抜き取った株を底石のみを取り除き、穴に入れる 空いている隙間に堆肥を投入(底と隙間で約15リットル)
 もちろんその際には水(おじさんの場合、液肥と活性液を加える)をやることが必要(活着が良くなる)

 約2時間半でバラ9株を植付けた 残り3株は注文中で2月頃に植付ける

 まだ、花数は少ないが、バラが咲いている。ということはまだ、休眠期にはなっていないということである。したがって、バラを大きく剪定したりすることは御法度でできるだけ葉を付けた状態で年を越すのが良いであろう。来年1月下旬頃から春のための大きな剪定と元肥を施す作業がある。

 モナコ 今回花壇に植付けた

 デルバール ,クロード・モネ 植付け対象外

 イングリッシュローズ アンブリッジ・ローズ 対象外

 セシル・ブルンナー 対象外


 
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三輪神社から大野町運動公園へ 21.11.24

2021-11-24 19:31:38 | 山登り
 今日は、予定では旧根尾村の屏風山に登ることになっていたが、悪天が予想されたため中止し、代わりに3名が参加し、三輪神社から城ヶ峰→三角点「小野」→牛洞峠→大野町運動公園へと変更になった。このコースは昨年の11月21日に逆コースで登っているので、詳しい説明はしないが、その前に気象の話をしたい。冬の気圧配置として学校でも習った「西高東低」がある(様々な「西高東低」がある。かつて高校野球では西日本が強く、東日本が弱かったという意味での西高東低が代表例)。冬になると大陸にシベリア高気圧が優勢になり、太平洋に低気圧があると「西高東低」となる。この気圧配置になると北西の風が強くなり、山は大荒れとなる。そして、大陸の冷たい風が日本海の暖かい対馬暖流の蒸気を冷やし、日本列島の日本海側に降り注ぐ。昨日見た天気図では西高東低だったが、等圧線は南北に立っていなかったし、間隔も比較的広かった。そして昨日の揖斐川町の予報は、日本気象協会では晴れ、ウェザーニュースでは朝から雨と全く違っていた。実際はどうだったかというと夜雨が降り、6時頃にも雨が降った。その後晴れ間も見えたが、午後は時雨れた。予報はコンピューターがしているのだろうが、正確な予報はやはり難しいのだろう。登っているときにかなり強い風が吹くことがあった。おそらく岐阜県と福井県の県境付近の山では相当な風が吹き、雨や雪も降っていたのではないか。今朝の新聞は伊吹山に雪が降ったということを伝えていた。

 典型的な「西高東低」の気圧配置

 すっかり葉を落とした木が多くなったので、城ヶ峰への道は随分明るくなっていると感じた。城ヶ峰から小野坂トンネルの上の峠、さらには三角点「小野」そして牛洞峠に至る道のところどころに付けてある赤テープも遠くからでも見つけることができる。それでも時々はGPSを出して、間違っていないか確認する。牛洞峠から花立峠(地図では「野村坂」)では峠の手前で道を間違えた。コース名は「古墳コース」とか「とりでコース」とか書いてあるのだが、「峠」の標示板はない。道ばかり多くて、これでは迷いやすいと思うのだが。結局、古墳コースから途中左に降り、運動公園から花立峠に至る道の途中に出た。


 城ヶ峰 二等三角点「深坂」351.58m

 小野坂トンネルの上部の峠 昔の道?

 四等三角点「小野」 255.07m

 牛洞峠

コースタイム 三輪神社8:55→城ヶ峰9:00→三角点「小野」10:10→大野町運動公園11:40

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山の贈り物2021 21.11.23

2021-11-23 19:48:00 | 地域のこと他
 堆肥は土壌改良剤として野菜づくりになくてはならないものである。堆肥は土を団粒構造、わかりやすく言うとふかふかの土にしてくれる。市販されているものでは、牛糞堆肥、バーク堆肥、あるいはおじさんがバラ作りで最近使うようになったサラブレッドの堆肥などがある。自家製では家庭の生ゴミを使うのがあるが、量的にはしれていると思われる。この時期山に行くと落ち葉を集めている人に出会うことがある。そうおじさんはこの時期ほぼ一ヶ月にわたり、城台山に登ったついでに肥料袋などに落ち葉を入れて持ち帰っている。さらにそれだけでは量が集まらないので、中腹の一心寺まで車を乗り入れて落ち葉を集めている。
※今日の記事は、3回目となる。一回目は2019年12月12日「山の贈り物」、二回目は2020年11月26日「山の贈り物2020」で書いているので良ければ見て欲しい。

 そうして集めた落ち葉(畑の芋づる、黒豆の茎や葉、草なども含めて)は簡単な囲いの中に押し込み、5月か6月の切り返し(この時点ではまだ葉の形をしているのが多い)の後、11月下旬頃に囲いから取りだし、畑に撒く。このとき沢山の幼虫が姿を現わす。折角気持ち良く寝ていたところを起され、寒空の中外に放り出された幼虫にとってはとんだ災難である。取り出される前、囲いの中は落ち葉が分厚く積もり、少しずつ発酵もしているのでこの中は温かいと思われるので、とても良いすみかだったはずだ。

 これが堆肥を作るための囲い 落ち葉=腐葉土=堆肥はもうない

 撒いた堆肥 葉の形をもうとどめていない 

 これが幼虫
 幼虫の正体はカブトムシであろう(グーグルで写真検索した)。ところがカブトムシとするには謎がある。グーグルで調べるとカブトムシは成虫の期間も入れてその寿命は約1年となっている。かりに昨年の12月頃この囲いに入れた落ち葉に幼虫(この時期は極めて小さい)が付いていて、それが囲いの中で大きくなった(秋以降急に大きくなると書いてある)ものと考えると来年の春以降に成虫になるとすると寿命は約2年になってしまう。別の考えではこの幼虫は親が夏以降にこの囲いのどこかに産み付けたとすると寿命は1年に収る。しかし、囲いの大部分はビニールシートで覆われている(もちろん落ち葉が外に出ているところもあるが)し、ここに落ち葉が大量にあることをどうして知るのだろうか。是非とも昆虫に詳しい方に教えていただきたいものである。

 以下は今日の城台山

 一心寺の紅葉が見頃になった 露出を+補正

 落ち葉 露出を+補正

 落ち葉2 

 落ち葉がおじさんを呼んでいる(^0^)



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里山の話 21.11.16

2021-11-16 19:28:41 | 面白い本はないか
 今朝もいつものように城台山に登ってきた。

 紅葉と一心寺鐘撞き堂

 東屋の遙か向こうに切り刻まれた大垣市赤坂の山が見える

登りながら、一昨日書いたブログについて考えた。登山を日頃しない人、里山の近くに住んでいない人には少しわかりにくかったかもしれないと。そこで比較的馴染みのある里山について考えてみることにした。当たり前のことだが木は生きており、毎年成長する。庭木であれ、山の木であれ同じである。まして剪定しない山の木であれば確実に大きくなってくる。まず、おじさんの子どもの頃の話をしよう。城台山(当時我々は播隆山と呼んでいた。それは中腹の一心寺の正式名称は播隆院一心寺だからであり、播隆はあの有名な播隆上人からきている。)への道は尾根通しであり、その道は地面が露出し、そこには例外なく松が生えていた。松は地味のやせたところが好きで落ち葉などにより地味が肥えてくると生育が衰える。里山である城台山周辺は当時人の手がたくさん入っていた。薪(もっと古くは若葉を肥料がわりに使っていた)等を集めるため。人の手が一杯入っていた里山(収奪された)はどこでも歩くことができ、おじさんも含めて里山の近くの子どもたちにとって山は格好の遊び場所だった。

 城台山の今 子どもの頃のように自由に林内を歩くことはできない 数年前に県等の補助金により間伐が行われたが、元の状態に戻りつつある

 城台山から市街地 ここも伐採されたのだが

 その後燃料革命が起こり、安い石油などが入ってきた。かつての煮炊きや風呂焚きに使われていた薪は不要となったのである。人が入って収奪しなくなった里山はこうして木が繁茂し、整備された道以外には容易に入り込めなくなった。この状態を称して、「里山が荒れている」という人も出てくるが、それが日本の「自然」の本来の姿なのである。もう少し奥地の小津権現山に登ったときの経験を話してみよう。昭和59年(1984年)小津の神社からロボット雨量計を経て笹やシャクナゲを踏み越えながら山頂に達した。この時高屋山に至る道はほとんど笹の中の道であった。炭焼きの木に使うため伐採された結果、残されたのが笹だった。やがて、炭焼きによる収奪がなくなり、自然に広葉樹の森となったのである。

 2018年11月3日 小津権現山登山道

 太田猛彦「森林飽和ー国土の変貌を考える」から引用する。日本の森林は、4百年ぶりとも言える豊かな緑を取り戻している。日本の森が減り続けているというのは誤解で、世界有数の森林大国となっている。しかし、木材価格の低迷により国内林業は儲からなくなった。手入れの経費が捻出できなくなり、間伐遅れの人工林が増加し、形質の良い木材が生産できなくなるばかりか、樹冠が閉鎖して林内に光が入らず、下草(林床植生)が成長せず、地表が裸地化しやすくなる。表面浸食が容易に起こり、災害を起しやすくなった。また、里山には白樫、椎、低木のアオキなども成長し始め、暗い常緑広葉樹林に変わってくる。先に書いた様に松はかつての勢いを失い、竹林(孟宗竹は江戸時代に中国から移入)がはびこるようになった。

 城台山の森

 今年10月お墓が成長する木に征服される前に伐採が行われた 墓石を壊さないため、クレーン車も使われた

 前のブログで紹介した熊崎実「木のルネサンスー林業復興のきざし」を再び引用する。日本の森林ストックは(諸説あるようだが)60億立米で、ドイツの37億、スウェーデン、フランスの30億に比べて多く、しかも年平均成長が2億立米。ところが年間の伐倒量は0.4億立米で成長量の2割しか利用していない。我が町では木を燃料とするストーブの購入費の助成を行っているが、建築材も含めてその消費を拡大するのは難題のようである。木材の自給率(現在38%)を50%にするべくかなり強引に補助金を出して政府は増やそうとしている。しかし、この需給を無視した政策でさらに木の価格は低迷しているのである。
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