城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

町民運動会今昔 19.9.29

2019-09-29 21:53:24 | 地域のこと他
 前日の予想では降雨のため中止になるはずだった。しかし、6時過ぎに起きると青空さえ見えている。そして7時には運動会開始の花火が打ち上げられる。ここのところ2年続いて中止になっていたが、今年は久しぶりの開催となった。主催者の公民館の方で準備が進む一方で、地区のテントの設営を役員、班長さんが行った。昨日の小学校の運動会でも使われたテントではあるが、メンバーが違うので設営に手間どった。

 9時に開催、準備体操の後、いよいよ競技が始まる。競技の数も中身も随分昔とは変わった。かつては、体力や走力を競う競技もあった。若い頃に出た競技で、米俵30kgを担いで、運動場を半周し、空身で城台山にある一心寺に登り、谷汲のトンネル近くまで行って戻ってくるというのがあった。さらには、ムカデ競走、棒倒しなどもあった。若い者も沢山おり、観客も大勢いて、まさに一大イベントであった。


 開会式 ほとんどが自分の出る競技にしかこないため、人は少ない

 主催者 公民館長挨拶

 玉入れ 出場者は60代以上 おじさんが出た唯一の競技

 入った玉の数を中学生が数える おじさんのチームは63個、6組中最高だった

 やはり綱引きは今も昔も競技の主役だ。

 校庭には水はけにのためか微妙な傾斜がつけてあるようだ 校舎から遠い方が低いので有利だと推測する

 プログラムの掉尾を飾り、最も声援を受けた競技であったが、出場者を集めるのに最も苦労した年齢別リレーというのがあった。小学生低学年・高学年、中学生、10代、20代、30代、40代、50代と走る人を集めなければならなかった。人集めの難しさから、この競技がなくなった。かわりに最後の競技となったのは、防災バケツリレーであった。速いだけではダメでいかにバケツの水をこぼさないかを競う。


地区テントの中にほぼ半日座っていただけだが、疲れました。
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もしお隣がネアンデルタール人だったら? 19.9.23

2019-09-23 19:13:31 | 面白い本はないか
 もし、お隣にネアンデルタール人が住んでいたらと想像してみよう。日本人ではあるが変な隣人?、言葉の通じない外国人だとしても、どちらも種は同じ20万年前に現れた「ホモ・サピエンス」。一方、ネアンデルタール人は、40万年前に現れ、種も違う。現人類より、脳は大きいものの、大きな声が出せなかった。しゃべるのが苦手だったらしくて、現人類と会話はできなかったらしい。

 ところが、現人類とネアンデルタール人は共に存在した期間がある。すなわち、現人類のDNAの中にネアンデルタール人のDNAが入っているのだ。DNAが入っているということは、両人類が交雑したということになるようだ。しかも、ネアンデルタール人の男性と現人類の女性が交雑した子孫が残っていることまでわかっている。現人類は、ネアンデルタール人からDNAを引き継ぎ、その遺伝子は耐寒性に関するもので、現人類が氷河期のような寒い気候の中で生き延びることに大いに貢献した。

 700万年前に人類は誕生し、多くの種が現れたが、現在までに生き残ったのはホモ・サピエンスのみで、現在世界に76億人。しかし、元は10万年前アフリカを出て、数10万人に増えたが、7万年前インドネシア・スマトラ島のトバ火山が爆発し、火山灰の影響で5度気温が下がり、人類は7千人まで減った。ここから、76億人にまで増えた。日本でも、約9万年まえに「阿蘇4噴火」と呼ばれる大規模なカルデラ噴火があったが、この時日本には人は住んでいなかった。今起きたら、1000万人位が死ことになるらしい。時代が下がって、7300年前に鬼界島のカルデラが大噴火し、九州南部が火災流に襲われ、住んでいた縄文人が北に移動したということがわかっている。

 6億年前に多細胞生物が出現して以来、生物の大量絶滅は6回あった。恐竜が滅んだのは、大隕石が地球に衝突し、それによる気温低下が原因とされている。それ以外に、地殻変動による火山噴火、大陸の移動、寒冷化などが起きている。生物の9割、8割が絶滅する中で、三葉虫のように種を変えながら2億7千万年生き延びた生物もいるのである。現人類は絶滅するのだろうか。地質学的なスケールでは、絶滅は時間の問題であるというのが著者の結論である。

 ぼちぼち種本を明らかにしよう。池田清彦著「もうすぐいなくなりますー絶滅の生物学」、ここに書いたこと以外にも面白いことが一杯ある。揖斐川図書館で借りることができる(現時点では私のところなので、他の本もあるので一週間ほどお待ちいただきたい。)。私たちは、北京原人やジャワ原人というのを習ったが、生物学の進歩は著しく、こんなことまでどうして分かるのと言うレベルにどんどん達していることをあらためて認識した次第である。
 
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虎子山 19.9.17

2019-09-17 19:38:08 | 山登り
 夏の暑い時期は、低山歩きはまるで修行のようになるので、ここのところ敬遠していた。朝晩は過ごしやすくなったので、お誘いにのり、国見峠から簡単に登れる虎子山(1183m)に出かけた。実は、7月上旬に行く予定だったが、美束地区手前で工事箇所の通行規制(午前9時~11時45分、13時~16時全面通行止め)のため、別の場所(揖斐アルプス)に変えた経緯がある。今日も平日なのでいまだ規制があるということで、7時10分頃規制場所を通過。国見峠に7時20分頃到着。


 国見峠から貝月山

 連休明けなので峠の駐車場には一台も車はない。登山口は夏草におおわれているが、すぐにそれとわかる。

 国見峠登山口

7時34分出発。しばらくは急登が続く。今日はY女史が先頭、少しペースが速い。登りだしはとにかくゆっくりが原則で、汗をかき調子がでてきたら少しずつ速くしていく。50分が経過する頃、今まで西に進んでいた登山道が北に向かう。残りはあと少し。8時40分山頂に到着、所要時間1時間6分。


 虎子山山頂

 北の方向に貝月山、その右に鍋倉山、そのさらに右に鎗ヶ先が見える。聞いた話ではブンゲン方面まで登山道があるらしい。稜線にトレランのための新しい道を作ったようだ。工事箇所を通行できるのが、11時45分からなので10時過ぎまで、山頂に滞在することを決める。Y女史の持参した巨峰に舌鼓。Eさんの1839峰、ペテガリの苦労談などたっぷり伺う(詳しいことは「奥揖斐山荘」で見ることができる)。

 11時峠発、工事箇所で20分ほどゲートの開くのを待つ。家に帰るとかみさんにえらく早いねと言われた。



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敬老会開催される 19.9.15

2019-09-15 19:37:27 | 地域のこと他
 揖斐地区の敬老会が開催された。私たち区長は、前日の会場の準備に続き、朝8時半集合で本番に備えた。8時半頃から各地区のお年寄りを乗せた貸切バスが到着する。バスにはお世話係として当該地区の民生委員、福祉推進委員が同乗している。敬老会の対象が77歳以上ということもあって、会場までの誘導には時間がかかる。

 敬老会は大きく二つの内容に分かれている。最初の30分は式典で、君が代斉唱、町長挨拶、来賓祝辞等と続く。

 起立して国歌斉唱

式典が終わると、緞帳が下がり、その間われわれは、「口上」(舞台の最前列で「とざいとーざい」で始まる興行の皮切り)のための毛氈と金屏風を設営。幕があき、小学生が口上を述べる。良く通る声、日頃の練習成果がうかがわれる。そして、義太夫3本、歌舞伎が始まる。

 義太夫

 歌舞伎「鏡山旧錦絵 花見の場」

子ども歌舞伎は、5月のいび祭りでの本番、敬老会のほか各種イベントへの出席がある。そして地域の伝統芸能を守るため、毎月月一回土日にわたる東京から先生を招いた練習が行なわれている。そしてそれを支える地域の人々。こうした活動によって、伝統芸能が守られている。

イベントは続く。

 幼児園児による踊り


 小学生5,6年生による合唱

イベントの最後はじゃんけんタイム、賞品もあって単純だが楽しめる。イベントの終了後、別室に移動して、昼食。昼食後、再び貸切バスに乗って帰っていった。うだ。今日のために、77歳以上の高齢者の出欠の確認、欠席者への商品券の配布を行ったいただいた民生委員、当日の準備にあたった公民館関係者、区長、福祉推進委員本当にご苦労様でした。

 聞くところによると今日の参加者は180名だったそうで、我が地区からも30人あまりのお年寄りが参加した。しかし、やはりその顔ぶれは変わらない。出たくても出れないお年寄りもいるとは思うが、できるだけ多くの該当者に参加していただくことを切に願う。


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コンビニ雑感 19.9.3

2019-09-03 19:44:40 | 面白い本はないか
 自宅から最も近いコンビニは300m離れたファミリーマート、1kmのミニストップ、1.2kmのローソン、1.5kmのセブンイレブン。トミダヤが撤退し、スーパーがバローだけになった揖斐地区にとり、コンビニは今や確実に社会のインフラとなった。コンビニが出来た当時、商品の数も少なく、値段も高いコンビニの価値が私にはわからなかった。しかし、今やATMを備え、宅配の発注・受け取り、お総菜の取り扱いなど様々なサービスを提供できる店舗としてその価値は上がり続けている。

 吉岡秀子著「コンビニドリーム」を読んだ。ローソンのオーナーにインタビューしたものをまとめた本である。私は雇われ人としての人生経験しかないが、オーナーたちの商売に対する情熱の一環に触れることができた。コンビニのオーナーというと昔酒屋や米屋というイメージで、一店経営というのが多いと思っていたが、多数の店舗を展開するオーナーが多いのに驚いた。こうなるともう立派な企業ということになる。各店のスタッフが一丸となって、周りの環境、天候、季節に応じて、品揃えを変えていく、そしてその結果は売り上げにすぐ結びつく。

 タイのバンコクにもセブンイレブンがあるが、ここはアメリカのセブンイレブンの系列で、店内は雑然としている。日本のような整然とした陳列棚は見られない。バンコクでは、お総菜売りなど小商いの店が至る所にある。小資本で店を始めることができるので、少し商売気があれば始められる。日本も戦後まもないときにはこうした小売りの店が大繁盛していた。日本では小売店が急速に減り、地域の商店街は今やシャッター街と化した。地域活性化の起爆剤として、こうした小売りを活性化することはできないであろうか。

 コンビニドリームの最後に、「コンビニ人間」を書いた村田紗耶香が登場する。著者は20年コンビニの店員を務めたそうである。そこで、この「コンビニ人間」をアマゾンで買い求め、読んでみた。160ページの本なのですぐに読める。小説苦手な私にもそれなりに面白かった。コンビニには様々なマニュアルがあるが、店員の創意、気づきを発揮する場所はある。この小説の主人公は、大学から18年コンビニ店員を務める。休日には翌日の勤務に備え、睡眠など体調を整える。一時的にコンビニを離れると、もう生活のリズムさえ維持することができずにコンビニに戻る。

 何となく今の若者像と重なるところがある。いわゆる指示待ちの姿勢、自分で自ら考えて行動できない。膨大なマニュアルがなければ何もできない。大きな決められた枠の中で創意工夫をこらす。日本の得意技ではある。しかし、コンビニの時給は安いし、何よりも24時間営業という難題もある。私は、小売り、サービス業の年中無休には批判的である。消費者として確かに便利だが、労働者としては無理を強いている。ドイツにように、休むべき時は皆が休むというのが健全な社会だと思う。日本は住むには便利な所だが、働くには大変苛酷な国である。
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