城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

信濃路旅日記・小布施 22.11.30

2022-11-30 12:47:56 | 地域のこと他
 おじさんには是非訪ねてみたいまちづくりで成功している観光地がたくさんある。その一つは、かつて和蝋の原料となるハゼの流通で財をなした商家が立ち並ぶ愛媛県の内子町、「白壁と木蝋のまちづくり」、内子座という芝居小屋の再建で知られている。二つ目は江戸時代の宿場町として保存された福島県会津郡下郷町の大内宿、近年整備が進み魅力的な観光地になっている。この二つは、いずれも伝統的建造物群保存地区(略して「伝建地区」。岐阜県には高山、白川村、郡上八幡、美濃市、岩村にそれぞれ伝建地区がある。)となっている。伝建地区ではないが、まちづくりを着実に進め、多くの観光客を呼んでいるのが、今回訪れた長野県小布施町である。この町は、千曲川沿いにあり、北信濃の経済・文化の中心としてかつて栄えた。現在人口11,000人、面積は19.07k㎡と長野で一番小さな町であるが、毎年120万人の観光客がこの町を訪れる。その魅力は、地元の豪商、豪農が江戸などから招いた多数の文人・墨客が残した文化であり、その中でも特に晩年の葛飾北斎の3年に及ぶ滞在が大きな遺産を残す。

 もちろん行こうと思ったのは政府による旅行支援が大きい。一回目(ゴーツー)と二回目(県民割)はいずれも近場で車で出かけた。今回はじゃらんの予約サイトを利用し、宿泊は湯田中の旅館とした。JRを利用して行ったので、電車賃は高くなってしまったが、宿泊費は通常13千円のところが8千円で泊まれた。

 昼過ぎ 長野電鉄小布施駅に到着 駅に併設された観光案内所で回るべき観光地を教えてもらった
 まずは誰もが訪れる北斎館に向け歩き出した。食事前であったので有名なそば屋に入ったが、30分待ちということであきらめ、すぐ近くのそば屋にした

 北斎館の前には大きなメタセコイアがあった

 北斎館 企画展では水滸伝の話にそって北斎が描いた細密画(版画でこれらが綴られ本として流通していた)が展示してあった

 北斎館を出ると目の前に栗菓子専門の小布施堂(まちづくりに多大な貢献をしているお店である)がある。商品を見るといずれも相当な値段、土産にするには高すぎる(この時点では旅館まで行っていないので、一人3千円のクーポンはない)。また、古い建物を利用した和食のレストランもある。
 北斎館の次に訪れたのが高井鴻山(1806~1883)記念館、彼こそ北斎を小布施に招いた豪商であり、文人でもあった。そのあと小布施ミュージアム・中島千波館(北斎館、高井鴻山記念館、小布施ミュージアムは共通券があり1300円)で主に中島千波(小布施町出身)の明るい色調の絵画を鑑賞した。

 小布施ミュージアム

 このあと湯田中まで行かなければならなかったので、小布施駅に向かった。

 駅から 右が妙高山 左が黒姫山

 湯田中駅に着くと頼んでおいた迎えの車で宿へ向かう。旅館に着いてみるとその小規模(7室)なことにびっくり(実は何室あるか見ていなかった。単に評判が良いことに注目して頼んでいた。)。おかみさんにワクチン接種三回の証明書を見せ、クーポンをいただいた。
 
 長野県は紙ベースだそうだ(岐阜、三重ともにスマホ取り込み) この他に長野県独自の電車、バス、タクシーなど交通機関に使える一人クーポン1000円をゲット(長野電鉄の電車代に使用)

 温泉は二室あるが、男女の区別はなく、室の前にあるのれんが掛かっているならば入浴OKでその際のれんをはずしておくのだそうだ。部屋で少しくつろいだ後、のれんがかかっていることを確かめて入浴。もちろん誰もいない。匂いもない、透明の湯、いい湯だ。このあと夕食、料亭のような手の込んだ料理はないが、品数も多いし、味も良い。お酒は塩尻のワインのハーフボトル、値段1100円、とにかく安い。最後に脂ののった信州和牛の陶板焼。
 私たちの他にスペインからのカップルがいた。実はこの宿、泊まり客は実に国際的なのだ。話好きなおかみさんから聞いた話は実に面白い(ネットでも評判だった)。エアービー&ビーなどを通じて海外から予約が入る。成田に着いてから予約してくる客もいるそうだ。なぜ外国人はこの町を訪れるのだろうか。温泉以外に観光ポイントはない。もちろんここは志賀高原などの玄関口とはなっている。欧米からの客を引きつける魅力の一つが、「スノーモンキー」だそうだ。そのまま訳せば「雪猿」となる。皆さん、野生の猿が温泉に浸かっている写真を見たことはないだろうか。長野オリンピックがあったときにこれが選手や外国人観光客の間で話題になり、広まった。欧米には猿はいない。まして猿が温泉に浸かるのは!!

 湯田中駅にあったポスター 猿が温泉に浸かるのは寒くなってからだそうで11月くらいから 夏の時期とか餌が豊富な時期はほとんどいないそうだ

 バス乗り場案内
 
 おかみさんの話は続く。スペインからの客の他にイタリアからの客も泊っているそうだが、夕食の膳はない。彼らは連泊し、一回くらいは夕食を頼むそうだ。これには宿側の事情もある。連泊し、毎晩夕食を食べるとなれば献立を変えなければならない。これが難しいのだそうだ。だから素泊まり歓迎ということになる。さらに彼らは日本人のように短時間に観光スポットをめぐるようなことはしない。ゆっくり宿を出て行って、早めに戻ってきてまた宿でゆっくりしているのだそうだ。もちろん日本での滞在日数が2週間とかとても長い。しかし、コロナはこうした状況の宿に深刻な影響を与えた。泊まり客がぜんぜんいない中でご主人は寝ていることしかできなかったという。幸い、海外からの受け入れが再開されてからは、回復は予想よりも早かったそうだ。
 おかみさんは福島県出身、県外に住む3人の息子。聞いてみたわけではないが、おそらく後継者はいないだろう。かつて、この宿は会社などの宴会の需要で栄えた。たくさんあった個人経営の宿はすくなくなり、大手の資本のホテルが増えてきた。リーズナブルな値段で大きな宿では定型的なサービスは受けれるが、暖かみのある個性あるサービスは受けられない。

 翌日、私たちは再び小布施に行き、岩松院を訪れた。駅から約2kmの道のり、ときどきレンタサイクルの観光客が私たちを追い抜いていく。道にそって、ブドウ畑やらリンゴ畑もある。

 リンゴ畑はほとんど収穫されているが、たまに残っている

 ブドウ畑 二人で剪定していた

 岩松院 ここには北斎が描いた有名な鳳凰図(天井図)がある

 パンフレットから どこから見ても見つめられていると感じる

 小林一茶が「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」と詠んだ池

 このあと中心部まで戻り、クーポンで栗菓子を買い求める。現金を使うとなるとためらうような菓子でもあぶく銭のような感覚で使ってしまう。旅行支援は規模を縮小しながら来年もあるようだから、次訪れる場所を検討しよう。最後に小布施の感想を述べておく。数年前に本でまちづくりの様子を読んでいたけれど、やはり現地を見ないと分らない。小布施のまちづくりは最初の北斎館周辺から確実に周辺に広がっている。普通の住宅もまちづくりの意匠に添った建築になっているし、歩道もきれいに整備されている。また、そこには伝統ある菓子屋(これに反して安い品を置いた土産物屋は少ない。)に加えて、レストラン、モンブラン等スイーツを提供する店(ここにも時間の関係で行けなかったのが残念。あらかじめ予約してから北斎館等へ行くのが良い。)、酒蔵(日本酒はほとんど飲まないので今回訪問しなかった)などが狭い範囲に集まっている。ここが最大の強みである。
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秋の里山歩き・城ヶ峰 22.11.27

2022-11-27 15:47:34 | 山登り
 今の季節里山歩きが楽しい。落葉樹の葉が落ちて、明るくなった道を落ち葉をカサコソと踏みながら登って行く。汗はうっすらとかく程度だから快適に歩くことができる。今日は天気も快晴だし、久しく登っていない(10月2日以来)ので、城ヶ峰まで出かけることにした。

 揖斐小から見る城ヶ峰(右側)

 お地蔵さんが立つ池

 この池に毎年飛来する鴨の夫婦?がいる 狭い池だが一組だから大丈夫か
 揖斐から大垣・赤坂に行く街道沿いにある杭瀬川の水鳥の数にはいつも圧倒される

 池のそばのクロガネモチいつも多量に赤い実をつける

 一心寺のカエデ

 明るくなった登山路(反射板の少し先)

 城ヶ峰 新設された標示板「①揖斐・城ヶ峰 352m」この①の意味がわからない、東ノ山方面に②③があるのか?

 こちらは反対側

 城ヶ峰からの展望はほとんどないので、東ノ山方面に少しだけ下っていくと左側に展望の良いところがある。そこには「城ヶ峰333展望台」と称される見晴らしの良いところがある。

 標示板の先に小津権現山(左)と花房山(右)がある今

 雷倉

 伊吹山

 家から城ヶ峰まで55分。帰る途中で男女一組、城台山のすぐ下でお友達のKさん(体力が戻って来ないと言っていた)、男女一組、町内の◯さんに出会った。日曜日で比較的多い方だと思うが、大野の大谷山・滝谷山・雁又山と比べると圧倒的に登山者は少ない。しかし、おじさんにとっては近いことがなにより良い。 
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11月の庭・剪定ほか 22.11.25

2022-11-25 19:48:00 | バラ、クレマチス等
 10月後半から、時間があるときに行ってきた庭木の剪定がやっと終わった。庭木の剪定をやりだしたのが、仕事を辞めてからなので、もう10年以上になる。初めのうちは比較的簡単なボウガシ、ヤマボウシ、キンモクセイなどを除いてはセミプロ(ほとんどの人が途中で剪定を覚えた方でプロの造園業者ではない、シルバー人材センターでやっている人はほとんどこの範疇)に依頼していた。ところが頼んでいたセミプロの人が年齢のため引退したので、今では全ての庭木を剪定している。10年以上の剪定の経験があることになるが、相変わらず素人の域を出ない(伸びた木を切るだけ)。剪定をしていると通りがかりの人や隣人から「気をつけてくださいね」、ときには「何でもやるのですね」とかごくまれには「お上手ですね」なんて言われることもあるが、ただ「ありがとうございます」「ただ切っているだけです」と返答している。

 剪定の方法については、本やユーチューブなどを見れば何となくわかる。しかし、この段階では素人の域を出ない。樹木の形を整える、あるいは庭全体の調和とかを考えることができるかは、センスに加えて熟達者から教えてもらう必要があると思う。我が家の庭木の中で難しいあるいは面倒だと思うのが、まず松であろう。春芽は6月頃に切り、その後何本も出てくる夏芽を一二本残して剪定するのだが、この作業が手間がかかるのである(おじさんが松を剪定するようになって随分枝が枯れ、全体として枝振りが貧弱になりつつある)。

 我が家に唯一残った松の剪定後 これだけに8時間費やした

 次に面倒なのが築山の上の庭木である(背が高いのと庭石が一杯あるから三脚がうまく使えない)。ここにはキンモクセイ、スイリュウ(ヒバ)、カエデ、槇等があり、いずれも背が高いので大変である。キンモクセイは上の方は木に登り剪定している。

 剪定前のスイリュウ(右)、キンモクセイ(左) キンモクセイは3.2mの三脚を使うが、上の方はさすがに怖い

 剪定後
 
 カエデ この葉が落ちてから剪定する
松に続いて大変なのは槇(マキ)である。我が家のはとにかく老木で幹や枝は苔に覆われている。もちろん木に登ることはできない。セミプロに依頼していたときは、薬剤の散布も行ったくらい、木が弱ってきている。このため毎年伸びてくる葉も少ない。

 ほとんど伸びてこないのと切ると枯れてしまう恐れがあるので、上に出ているところだけ剪定した
 (ユーチューブによると枝をすく必要がある)

 電気トリマーを使って剪定したのが

 剪定前 何年か前になるが、交通標識が隠れてしまっていたのでお巡りさんから切ってくださいと言われた

 バリカンで散髪した

 一番最初に剪定したのがヤマボウシの木である。

 この木を剪定していたら鳥の巣を見つけた

 もちろん巣立った後である 鳥の種類は分らないが上手に作ってある

 以下は今日の庭の花

 バラ グラハムトーマス

 バラ アンブリッジ・ローズ

 バラ ジーンレックス

 バラ ソニア
 ※最近の温暖化の影響で冬でも花を咲かせている。バラの冬の剪定は1月から2月上旬ですよ(時々12月に行う人がいるので注意)


 クレマチス シルホサ(冬咲き)
 以下宿根草で最近買った花




 宿根草かつてなかった品種が続々登場している

 サザンカ

 
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晩秋の蕎麦粒山 22.11.17

2022-11-17 19:48:17 | 山登り
 ピラミッドのようにそびえる奥揖斐の蕎麦粒山(1296.6m、二等三角点点名は「蕎坪山」標高も1296.71m)はオオダワ辺りから見るととても格好良いし、大谷川を渡ってジャンクションまでの間に見える姿もとても格好が良い。この山には、2017年5月21日と2020年5月12日と2回登っているが、紅葉の頃に登ってみたいのとホハレ峠方面から登ってみたいとも思っていた。ホハレ峠から登れば、大谷川から登るのと標高差にして約400mの違いがあり、より楽であろうと思っていたからである。昨年の11月にこのルートでEさんたちが登り、下りは激藪の中4時間かけて門入まで降りていた。ホハレ峠経由で是非登りたいとEさんに言ったところ、女性2人をともにして計画が実現した。

 オレンジが今回のルート 青色が大谷川を渡って上るルート

 ホハレ峠からのルートは地形図に残っている林道を最初歩くのだが、既に廃林道であり、大きく崩れて跡形もないところもある。地形図上のホハレ峠から尾根に取り付く。ジャンクション(大谷川ルートが1000mの稜線に達する地点)まではヤブの濃いところもあるが比較的ヤブは薄い。ジャンクションからは道があるのでと安心していると、この稜線のルートは毎年ヤブが濃くなりつつある。5年前に登ったのと明らかに道が不明瞭(ヤブ化した)になった。道の上部に笹が垂れ下がり、一部では踏み跡もわかりづらい。今回Eさんが高い所に赤布をたくさん付けてくれたので、下山時は安心して下ることができた。もちろん残置赤布もあるのだが、低いところに付いているのはほとんど頼りにならない。もう数年すると完全にヤブの山となり、ヤブ山を良く知った者しか受付けなくなるではないかと思った。

 以下写真で説明する。今回は天候は曇りできれいなピラミダルな山頂は撮ることができなかった。

 7:57駐車地出発

 8:14ホハレ峠

 8:31休憩

 9:06蕎麦粒山が見えてきた

 9:48ジャンクションの少し先 ヤブが濃い

 9:53蕎麦粒山

 10:39広瀬

 10:43 山頂まで残り標高差150m、蕎麦粒山の穂先の登りは標高差260mの急な道 いくつもの偽ピークが現れる

 11:24山頂直下 シャクナゲが多い

 11:29山頂到着 二等三角点

 山頂と小蕎麦粒山

 Eさんが作成した山銘板(貝月山、越山に続いて3つめ。)

 能郷白山方面

 門入 一昨日に数時間滞在した

 14:19名無し

 15:00駐車地到着

 女性のうち1人は、ヤブ山初挑戦で蕎麦粒山に是非登りたかったそうだ。友達に随分うらやましがられたとも言っていた。喜んでいただく人がいれば老骨にむち打って計画しますよ(^0^)とはおじさんの話で元気なEさんは違います。

コースタイム 駐車地8:00→山頂11:29~12:00→駐車地15:00
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門入晩秋・冬支度 22.11.15

2022-11-15 20:01:35 | 山登り
 今日は日帰りで門入(旧徳山村)へ行ってきた。門入の住民であったIさんの小屋を今日限りで閉めるので、そのお手伝いを名目にしてEさんを含む3人で行ってきた。旧坂内村川上部落からホハレ峠までの林道を進むと沿道は紅葉の真っ最中であった。かつてなら峠に近くなると道は急に悪くなるのだが、今は峠から先で林道の建設中のため昔と比べると道はずっと良くなっている。峠の手前で明後日登る予定の蕎麦粒山(そむぎ)の登り口を確認した。峠では去年までの門入への道の入口にはロープが張られ、看板に「門入への歩道は約2km先です」と書いてあった。5月に来た時はこのロープと看板はなかった。峠から5月のときに停めた地点を過ぎて、さらに下って行った。工事用車両が見えた手前で車を停め、「歩道」を進んだ。しかし、その実態は急ごしらえの柔らかく滑りやすいかつ急な傾斜の続く道、旧道に出るまでに3回ほどおじさんはバランスを崩した。

 徒渉地点は水も少なく、長靴でなくとも通過できるが、その後ぬかるみの道が続き、長靴がやはり正解だった。約1時間20分でIさんの小屋に到着。既にIさんとその義理の弟さん等によって冬支度は始まっていた。そしておひげの古武士然としたWさん(Eさんのお友達でIさんとも親しい。いわゆる沢や)も来ていた。どういう手順で進むのか分らないままお手伝いなのかお邪魔なのかよく分らなかった。コーヒーが出たり、ジュースが出たり、焚き火を囲んで話しの輪が広がっていった。昼食後、徒歩組4人はHさん宅を訪問し、望郷広場などを見て回った。風も強くなり、寒くなってきたので、来年の小屋開きに再会することを約束し、13時24分Iさん一行と別れ、来た道を戻った。行きに難渋した道、登りの方がずっと楽であった。途中から建設中の林道を進んだが、かなりの大回りであった。


 8:30 道の駅から涌谷山

 8:57 ホハレ峠

 門入への降り口

 峠から林道を見る 谷側には立派なブナの木がたくさんある

 9:11 車を停め歩き出す

 9:13 「歩道」入口

 9:42徒渉地点

 9:58

 10:15 この植林が見えてくると残り15分だそうだ

 10:28 Iさんの小屋が見えてきた

 11:31お茶タイム

 冬囲い用のコンパネの下にはカメムシが一杯 テントウムシもいる
 この時期暖かい場所を求めてきているのだそうだ 小屋を開けるとカメムシが一杯入ってくる

 この大きいのもカメムシの仲間でサシガメ

 冬囲い

 点名牛尾ここにも大きなブナの木がある

 門入散策 望郷広場にあるかつての住民たちの名簿 全ての家に屋号があるのがなんとも不思議

 門入から見る蕎麦粒山

 14:44 林道工事は進む

 まるで黄色の花が咲いているよう

 15:00停車地点 蕎麦粒山を望む
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