城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

日本の人権意識は低い 20.1.29

2020-01-29 17:17:59 | 面白い本はないか
 25日大野町総合町民センターで開催された名古屋フィルハーモニーのニューイヤーコンサートを聞きに行った。生の演奏会を聞いたのは、本当に久しぶりで、未だにその余韻が続いている。急に昔に買いためたクラシックのCDを夕食後に聞き出した。しかし、5年前に左耳の聴覚が急に悪くなり、右も悪くなりつつある中でテレビの音がなかなか聞こえない。補聴器をそろそろ考えてはと娘に言われる始末である。このため、CDも大音響で聞いている。

 1月10日に岐阜県図書館で借りた10冊を読み終わった。菅野久美子著「超孤独死社会ー特殊清掃の現場をたどる」、日本で確実に増える孤独死、その後始末をする特殊清掃。その臭いと戦いながらプロの仕事を行う仕事人を描いている。自分もいつこのような死に方をするのかわからないだけに強烈な印象を持った。
 
 福島香織著「ウィグル人に何が起きているのー民族迫害の期起源と現在」。チベットに対する弾圧はよく知られているが、ウィグル人に対する我々の知識は乏しい。かつてのテレビでのシルクロードのイメージが強い。各地にある再教育施設、今やソフト版民族浄化とも呼べるような状況にあることを認識した。ロヒンギャだけではないのだ。

 高山マミ著「黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在ーシカゴの黒人ファミリーと生きて」。今までアメリカに関する本は結構読んできたが、黒人と言われるアフリカ系アメリカ人の実態はもっと深いところにあるようだ。先日ヘリコプター事故でなくなったスター選手などの有名スポーツ選手、そしてスラムに住む貧しい人々というのが我々の持つイメージ。著者はたまたまミドルクラスの男性と出会い、結婚。夫のファミリーとの交流により、表面上は見えない様々な顔が見えてくる。居心地が良い黒人コミュニティ、一人前と認められたくてすぐに子どもを産んでしまう未成年者たち。白人が主流の社会に生まれ、成功するためには様々な困難と闘わないといけない、ストレス多きアメリカ社会。普通の人が普通に生活を送れるような社会を人間はもう作ることができないのであろうか。

 吉見義明著「買春(かいしゅん)する帝国ー日本軍「慰安婦」問題の基底」。この本は、明治以降、日本が富国強兵策をとり、日本各地のみでなく、植民地とした朝鮮、台湾、満州、中国等軍の基地が置かれた各地に買春街が形成されたこと、さらに日本人のみでなく植民地の女性たちを巻き込みながら拡大していったことを述べている。その拡大の背景には軍による要請があった。江戸時代以来の公娼制度、すなわち人身売買制度は、明治初期の芸娼技解放令にもかかわらず、第二次大戦後まで生き残った。すなわち、親たちの借金のかたにとられ、何年も公娼宿で働くことを強いられた女性たちが多くいたことを私たちは知る必要がある。そしてその中に慰安婦という問題が存在することを知るべきなのである。慰安婦をプロの娼婦だとか言う人が日本には多いが、日本の公娼制度の歴史を知っているのであろうか。戦前でも議会で何度も公娼制度が問題となった。しかし、海外に対する体面上以上のこととしてこれを問題とした議員は少ない。反対意見はこの制度を廃止すると私娼がはびこり、性病が蔓延するということ。公娼制度においても性病は多く発生しているから、要するに既存の性関係業者の利権それを支える議員を守る以上のものではない。こうした過去を持ち、女性の人権という意識が十分行き渡っていない日本。これでは、慰安婦問題はいつまで経っても解決できない。

 そして、その現代版とも言えるのが外国人技能実習生なのである。もちろん性を売り買いするわけではない。売るのは労働力なのであるが、その実態は日本の人権の実態が見えてくるようなおぞましい状況である。もとは外国人技能研修制度だった。その制度を生み出したのは岐阜県の繊維産業だと私は聞いている。韓国、中国等との競争において、日本の繊維産業は既に敗退しつつあった。そこで、安い労働力を最初はまだ賃金の低かった東北、九州に求めた。そしてさらに海外に求めるようになった。しかし、単純に労働力を求めることはできないので、研修制度、外国における技術の向上を図るという国際協力を名目に今は鬼籍に入るW代議士が中心となって、国の制度にしてもらった。その制度がいよいよ日本人の労働力が確保できないとの産業界の大合唱でますます拡大し、今やその数30万人に達しようとしているのである。

 巣内尚子著「奴隷労働ーベトナム人技能実習生の実態」はベトナム人の置かれた状況を詳しく報告している。ベトナムでは、労働力輸出が今や国策となっており、それがビジネスともなっている。実習生は、日本に来るため仲介業者に100万円前後の金を払う。ベトナムの月額給料は2万5千円程度であるから、40倍ものカネを銀行から借金して来日する。そして、最低賃金に近い賃金で借金を返すために長時間働く。さらに残業代の未払い、不当に高い住居費・光熱水費を差し引かれるケースが相次ぐ。しかし、彼らには相談するところがない、受け入れに責任を持ち、実習企業を監督する立場にある管理団体(企業から管理費を徴収する)にも相談するが、解決能力はない。この制度は本来国際協力の一環であるはずだ。これでは、日本に対して悪い感情を抱く外国人を増産するようなものである。

 揖斐川町ではフィリピンの町と交流しようとしているらしい。その目的は町内で介護人材が集まらないため、フルオープンできない施設があるので、その町から介護人材を集めたいとのこと。これ以外にも建設業の人出不足もあるようだ。しかし、私は外国から人を求める前にやることが一杯あると思う。まずは、介護職の賃金を上げることが最優先となる。誰も人生の最後に言葉の通じない外国人に介護してもらいたくはないであろう。そして、前にも書いたが最低賃金を思い切りあげることだ。この過程で、廃業する企業は多く出るであろう。しかし、長い目で見れば国民所得の向上につながり、日本の未来も明るくなると思う。
 
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暖冬の中本巣市の低山・大茂山に登る 20.1.24   

2020-01-24 17:59:08 | 山登り
 揖斐川町では未だ雪が舞う日がないほど異常な暖冬が続いている。昨シーズンも雪山を堪能することができなかったから、今年はほぼ絶望的である。雪がなくても山には行きたいが、近場ではなかなか適当な山が見つからない。今日は、前日の雨さえなければ、E氏、Oさんとともに春日の高天神(919m)に出かける予定だった。ここは長丁場だし、かなりの藪漕ぎを強いられるうえに、濡れた滑りやすい道と木の枝・葉でびしょびしょになることが想像できた。そこで、E氏が最近お気に入りの本巣市外山の大茂山(453m)に行き先を変更した。

 朝の気温も高く、もやがかかっている。外山小学校の裏に車を停めて、歩き出す。大茂山には一度、登ったことがあるが、登山口に学校があったことと山頂に無線施設があったこと以外はあまり覚えていない。それでも、かつてと比べると登山道も整備され、散策道もできているようだ。

 登山口

 派手な展望小屋

 高圧線鉄塔の間からの伊吹山

 尾根を登り切るとアップダウンの続く稜線となる。ここから山頂までは意外と遠い。途中林道を横切ると山頂の東屋が見えてくる。その先に立派な山頂の標識がある。山頂からの景色は素晴らしい。東の方に目をやると恵那山が見える。その左には中央アルプスの一部が見える。北には能郷白山が見える。尾根はまだ黒く見え、真っ白にはほど遠い。

 大茂山山頂 本巣市の防災無線基地があり、ここまで車で上がれる

 恵那山
 山頂着が9時20分、早いけれどもここで昼食。グアムに行ってきた後かみさん共々風邪を引いてしまった。体調も悪く、登り2時間でも結構しんどかった。

コースタイム 登山口7:20→山頂9:20



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グアム小旅行 20.1.15

2020-01-15 19:35:49 | 地域のこと他
 海外旅行は私の年代としては多い方に入るかもしれないが、戦後すぐに生まれた団塊世代としては、近場のグアム、サイパンなど戦争の歴史を色濃く持っている国には足が遠のいていた。しかし、息子の結婚式となるとそんなことは言っておられない。連休を利用し、3泊4日でグアムに出かけた。名古屋から約3時間半で着いたグアムの空港は連休の初日の影響なのか入国審査は大混雑で外に出るのに3時間を要した。グアムはやはり若者が圧倒的に多い。かつてグアムへの旅行者はその80%が日本人、いまや一番多いのは韓国人で45%、日本は35%。

 入国審査の窓口の半分しか開かれていない まさに「南国モード」? 日本のサービスになれた身には忍耐の一字
ホテルに着き、予約してあったレストランへ急ぐ。既に娘夫婦は2時間ビールを飲んで待っていた。
翌日は孫達とプールで遊び、午後はショッピング。その後は、夕食付きのショーを見に行った。

 ショー会場の前の夕刻時の海岸

 ショー

3日目の午前中はやはりプール。午後からいよいよ結婚式。
太平洋を見渡す小高い丘の上に立つ教会での式は印象に残る
最終日、半日観光。若者は海のレジャー、年寄りはバスツアーが多いようだ。

 太平洋戦争国立歴史公園 二人乗りの潜水艦後の「回天」の前の型
 日本は開戦直後にグアムを占領、44年7月に激しい戦闘の末アメリカに奪還された
潜水艦による戦艦攻撃は、日本ではほとんど有効でなかったが、アメリカには戦艦、輸送船ともども大きな損害を日本は受けた

 最盛期の日本の領土

 マゼラン上陸の地 ウマタック湾

 アサン展望台から望む太平洋側海岸 アメリカはここから押し寄せた
 展望台に米軍の死者の名前が刻まれた壁があった、ここには明らかに日系と思われる人々の名があった
 ガイドに尋ねると第一次大戦前後にこの地へ入植した日本人の子ども達が米軍の一員として戦い死んだ

セントレアの出国審査、入国審査とも機械化されていた。また、グアムのユナイテッドのカウンターも機械化。しかし、グアムの出国、年配者への配慮もあったものの「南国モード」で1時間かかる。

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トルコの苦境、西南戦争 20.1.9

2020-01-09 19:29:03 | 面白い本はないか
 中東情勢が緊迫している。中でもアメリカとイランは仲が悪く、一触即発の危機にある。しかし、アメリカの選挙民やイランの国民向けのパフォーマンスを繰り広げているとの冷めた見方もできる。おじさんが思うには、仲が悪いのは、アメリカの勝手極まりない仕業に由縁していると思う。アメリカがシャーの独裁を応援し、その結果起こったイラン革命、さらには大使館占拠事件、さらにイラン・イラク戦争におけるイラクへの荷担(結果フセインを支援)、そのフセイン体制を今度は打倒し、結果イラクではイランで多数を占めるシーア派が実権を握る。全てではないかもしれないが、少なくとも因果関係はあるのである。

 その中東に接する国トルコも苦しんでいる。約10年前、娘とこの地を旅行した。知られるとおり親日国であり、食べ物もおいしく、遺跡、自然など魅力満載の国である。旅行当時、この国は中進国として、さらにはEUに数年内に加盟する国として、非常に活気があった。しかし、エルドアンが独裁の政治をどんどん進めるにつれ、経済は停滞し、テロも頻発するようになった。この国はどこへ向かおうとしているのか。

 松富かおり著「エルドアンのトルコ」を読んでみた。トルコはケマル・アタチュルクが建国の父と呼ばれ、彼は近代化を進めるため政教分離を徹底し、世俗主義路線を引いた。その世俗主義を守る砦となったのが軍であり、政治がイスラムに傾こうとするとき、何度も政治に介入してきた。一方エルドアンはイスラムの祭政一致の意思を最初は押し隠し、イスタンブール市長あるいはトルコ首相として貧しい住民向けの政策やインフラ投資を行い、トルコを発展させた。

 しかし、次第に情報を統制したり、違う考えを抱くもの達を排除し、国民投票(彼を支持するどちらかというと貧しい国民層)により権力を集中し、さらには世俗主義を守る軍の力を削いだ。NATOの一員にもかかわらずロシアとの連携を深めたり、シリアに侵攻(クルド対策)するなど西側の諸国から疑いの目で見られている。国内ではイスラム色が強くなることに対し、貧困層を中心にそれを支持する勢力とそれに反対する勢力との分断を生み、不安定化している。外国からの投資はしぼみ、むしろ逃避していく。アメリカもそうであるが、私たちはイスラム教の影響の大きさを十分理解していないように思われる。イランもシャーが進めた世俗主義に反発して、イラン革命が起こった。エジプトでは中東の春は起きたが、その後起きたイスラム化に国民と軍が動き、再び軍政下に戻った。再びトルコを訪れたいと思う日はくるのであろうか。

 日本思想史を専門とする先崎彰容氏の本を何冊か読んだ。「維新と敗戦」、「未完の西郷隆盛」、「ナショナリズムの復権」、「違和感の正体」、「バッシング論」。頭が悪いせいかなかなか理解できないが、本の中に出てくる多くの思想家たちの考えを知ることはとても楽しい。ここでは「未完の西郷隆盛」について少しだけ書いてみる。著者は高校受験後に読んだ本が西南戦争でそれ以来西郷に興味を持ち、しばらくの空白の後、東日本大震災で被災し、数多くの死を目にしたことで、にわかに彼の中に西郷隆盛が蘇ってきたと言う。以来、大学と被災した住居を通いながら「明治時代に留学していた」と書いている。

 この本では、福沢諭吉、中江兆民、頭山満、橋川文三、江藤淳、司馬遼太郎の描く西郷像に迫っている。最後の司馬のみが西郷評価が低い。曰く「明確な進路像」を持っていないと。しかし、日本人の西郷好きは止まらない。比べてはいけないが義経などの判官びいきもあるかもしれない。著者の言うところによれば、日本人の多くは西郷に政治家としての力量や理想像を求めていない。むしろ、近代社会の中でどう生きればよいのか、どう死ねば良いのかを考えるとき、日本人の心の中に西郷はその魔術的な魅力で大きな姿を現してくるのではないか。また、著者は、日本は今後成熟社会を迎え、年を追うごとに多数の高齢者が亡くなっていくことになる。著しい死の到来を前にして、日本人は生と死を等分に考えねばならないことに気づき始めているのではないか。


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初登り・雁又山 20.1.5

2020-01-05 19:56:47 | 山登り
 長めの正月休みも終わりという方も多いだろうが、当方は毎日が日曜日なので有難みはない。毎日城台山ばかりだと飽きるし、もうちょっと長めに歩きたいということで、昨年の9月以来となる雁又山に登ってきた。天気はこの時期の特徴であるが、少し時雨れている。揖斐の奥の方は雪が降っているのかもしれない。

 総合公園

 登山口ゲートには新たに「熊の目撃情報」が加わる 8時40分出発

 ここで岩登りの初歩的な訓練が出来るそうだ

 昔の名前は「野村峠」いつかしら「花立峠」となった

 ここから本格的な登りが始まる。すぐに登山者らしい2人が下りてきた。男性が女性の荷物を持っている。空身の女性に何かあったのか。このコースの急登は三カ所ある。大谷スカイラインへの分岐の手前に二カ所と大谷山と滝谷山の中間点付近に一カ所。あとは比較的緩い傾斜だが、大谷山、滝谷山、雁又山と上り下りを繰り返すので、トレーニングには最適と思う。

 スカイラインへ下りる道の分岐
大谷山が近くなったところで20人くらいの集団に遭遇。自主的に道を譲ってくれないので、道が広くなったところで抜いていく。

 大谷山(356m) 先着は誰もいない

 滝谷山(398.1m) ここにも誰もいない
このあたりで私が登るたびに会う方がいるが、今日はいない。日曜日はお休みなのか?
滝谷山を少し下り、少し登り返すと御岳展望がある。しかし、今まで一度もここから御岳を見たことはない。他の山ではあれほどお目にかかっているのにだ。

 自信はあまりない(雪が少なすぎる)が御岳でないかと思う

 雁又山(430m) 登山口から1時間26分で到着(目標は1時間30分以内)

 雁又山からの根尾川の流れ
 15分ほど休憩後下山。途中、行きにあった大集団に出会う。その中に何回か一緒に登った大垣山協のNさんがいたのには驚いた。分岐下の急登の階段をもう一回登り返し、少し満足して自宅に帰り、お昼ご飯を食べた。 

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