城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

有機農業は難しい 22.8.29

2022-08-29 20:19:25 | 野菜作り
 まずは下の写真を見て欲しい。


ただの草むらに見えるかもしれないが、これも畑である。その証拠にサツマイモ、ネギが植えられている。ほかにもあるかもしれないが、判別できない。これは知人の畑であるが、いわゆる「自然菜園」と呼ばれるものである。畝(うね)は、刈り取った草がマルチしてある。畝の間は雑草が生えている。おそらく肥料はほとんど施されていない。これで収穫できるのだろうかと思ってしまうが、多少はできる。もちろん従来型の菜園と比べると少ないのはいうまでもない。でも楽ちんな農法であることは間違いない。

 おじさんには、有機農法はとても手間のかかるものだという先入観が強い。基本となるのは土作り、いわゆる団粒構造(土壌中にすきまが沢山あり、ふわふわした土。隙間には有機物がたくさんあり、土中生物、微生物がたくさん棲んでいる。)土を作るためには、堆肥を土中にすき込む必要があるが、この堆肥づくりに大変手間がかかる。肥料が買えなかった昔は草や木の葉っぱなどが用いられたし、人間の排泄物も人肥として盛んに使われた。肥料という問題以外には、病害虫の発生というのもある。おじさんの畑では有機成分の含まれた肥料を使うことと、できるだけ農薬を使わないようにはしている。しかし、大規模に野菜を作るにはこんなやり方では通用しない。ただ、減農薬ということが奨励されるようにはなってきている。

 ここからは吉田太郎著「土が変わるとお腹も変わるー土中微生物と有機農業」(築地書館22.3)から引用する。健全に機能する土壌では、植物が必要とする養分の85~90%を土中の微生物を介して植物は吸収する。植物に必須の窒素は独立生活性の窒素固定細菌、共生窒素固定細菌等が活躍し、窒素固定(豆科植物が窒素固定を行うことは知られている)が行われる。これが菌根菌(微生物)を介して植物が吸収する。一方で、植物は光合成した糖の30%を土壌中の微生物を養うために根から滲出液として放出している。植物と微生物は共生関係にある。また、嫌気性の窒素固定細菌等は、団粒構造の中でこそ活躍できる。化学肥料は団粒構造を壊し(植物側の栄養需要が化学肥料によって満たされれば、植物は微生物への糖の供給を止めてしまう)、窒素固定細菌と菌根菌の双方がダメージを受け、施肥すればするほど土壌中のカーボンが減少し、窒素も不足する。さらに、休耕や土壌のむき出しは植物の光合成を不活発化し、菌根菌も不活発にする。こうして生きた土は死んだ土(泥)へと変わってしまうのである。生きた土は降った雨の一部を蓄えることができるが、死んだ土は雨が降れば土壌とともに流出し、強い風が吹けば土埃となる。

 木と草の根の長さを比べたもの 木は樹高の4分の1に対し、草は丈の20倍もある  「土が変わるとお腹も変わるー土中微生物と有機農業」から

 死んだ土と生きている土 同上

 現在の有機農業(中)も問題がある 同上

 それに加えて、有機農業は地球温暖化を防ぐ重要な手段となる。植物にバイオマスとして固定されているカーボン量は5750億トン、大気中には9000億トンに対し、土壌中には1兆9000億トン。そのうち4500億トンのカーボンが既に大気中に放出されているという。耕せば何千年も土壌の中で眠っていたカーボンが二酸化炭素として大気中に放出される。大気中にある二酸化炭素の三分の一はもともと土壌中にあったのだが、大型の農業機械による耕起により放出され続けている。また、健全な土作りによって、水環境を再生することで地球を冷やすことができる。植物に覆われることにより、葉からの膨大な蒸散によって、地球の熱収支は安定するのである。植生の荒廃は土埃を舞い上がれさせ、大気中に雨が降ることを妨げる。しかし、世界の表土の三分の一は既に劣化し、国連予測によれば60年以内に完全に劣化してしまう。これを防ぐには、カバークロップを植える、不耕起、輪作、作物残渣の循環を進めることが必要となる。これが再生農業の目指すところとなる。

 以上で引用は終わるが、なかなか理解が難しい。土壌中で何が起きているのかについて知らないことばかりである。それでも農業は地球の温暖化に対し、大きな影響を与えていることはよくわかる。バイオや遺伝子組み換えなどではこうした問題を解決することはできない。私たちにできることといえば、食料廃棄物(食べ残し等)、生産者の作りすぎ(おじさんの場合は自家消費とお裾分けで基本的には残らない)を減らすことが求められる。

 おじさんの畑では除草剤は使わない(もちろん年齢により草刈り機が使えなくなったらどうなるかわからない。除草剤では根まで枯れるので土はたちまちボロボロとなり、少しの雨でも流出する。)。草刈り機を使う場合、草は地上の一部と根は残る。使えないところでは、手作業で引っこ抜く。今年のように雨が多いと、その作業は大変になる。このせいで、左手に続き、右手も少し炎症を起してしまった。この本を読んで、草はできるだけ引っこ抜かないようにしたいと思った。鎌で地上部を刈ってやれば良いのである。 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪渓と氷河の違いは 22.8.15

2022-08-15 19:18:33 | 過去の山登り記録
 今日は終戦記念日、終戦から77年も経った。1945年8月15日時点で生まれていた人はかなり少なくなってきた。「戦後◯◯年」と言われても大方の人は理解さえできないだろう。日本がアメリカと戦争した、中国等と戦争したという過去は急速に歴史の中に埋もれつつあると思われる。また、一体戦後はいつまで続くのかとも考えてしまう。「戦後レジーム」の見直しを唱えていた方も鬼籍に入られてしまった。

 深刻な話しはここまでにして、暑い夏にふさわしい話題を始めよう。最近新聞記事で「比較的簡単に行ける氷河」ということで立山近くの内蔵助氷河のことが書かれていた。私たちは長い間日本には「氷河」は存在しないと教わってきた。日本にも氷河があると分ったのは、2012年4月のことだから10年前に確認されたばかりであることに驚く。極東地域の南限はカムチャッカ半島とされていたから、その南限は立山まで大幅に南進したことになる。氷河の定義は、陸上にあること、移動すること、雪と氷の大きな塊であることの三つの要件を全て満たす必要がある。現在日本の氷河は、立山連峰に5、鹿島槍ヶ岳と唐松岳に各1合計7箇所ある。一番大きい氷河である三ノ窓雪渓で長さ1200m、幅200m、氷の厚さ70m(2011年6月観測)であるからヒマラヤやアルプスと比べると規模は随分小さい。

 日本の三大雪渓である剱沢、白馬、針ノ木に氷河はないことに気づかれたであろうか。雪渓と氷河はどう違うのだろうか。最も大きな違いは、雪渓は雪の塊で氷河は氷と雪の塊であることである。最も大きな雪渓である剱沢にも、氷の塊は形成されていない。下部を水流が流れ、氷を形成しにくいというのが理由。白馬も同じように、下部を水流がごうごうと流れている。2015年10月に白馬大雪渓の厚さは15mだったが、氷の層は見られなかったとある。雪渓はブリッジのようになっているので、通過には注意が必要である。日本の最終氷期は、1.9万年~1万年前であり、これより前に日本には日本アルプスや日高山脈を中心に合計400の氷河が形成されていた。その後の地球の温暖化により、ほとんどの氷河はなくなり、現在は氷河があった証拠である圏谷を残すばかりとなった。以下に圏谷のリストを載せる。


 7月31日~8月1日に訪れた薬師岳の圏谷群は薬師岳の東面に広がる複数の圏谷である。ブログでも紹介したが、1974年に続き、その10年後の1984年にも登っている。その時の写真を眺めていたら、あることに気づいた。その時はたくさんあったのに、今や少しとなってしまったものがあった。それは残雪の量だった。今回薬師岳で目にしたのは、薬師平にあった小さな雪渓のみであった。以下、古い山の写真帳から順次紹介していきたい。
<薬師岳の例>

 1984.7.28 スゴの頭から薬師岳  山頂近くには残雪ガ多くあることが分る

  同上 薬師岳 雪がたっぷり残っている

 今年の薬師岳(太郎平小屋から) 上の写真とは方角は違うが雪はほとんど見られない
以下はおまけ

 五色ヶ原の朝

 34歳となったおじさん
 
<白馬大雪渓の例>

 1983.7.30 白馬大雪渓 左の写真は白馬尻 少し上に雪渓の最下部が見えている
 大雪渓の上(葱平付近)にも雪渓があった

 2016.8.1 白馬大雪渓 この時、白馬尻からかなり登って最下部に到着した さらにに葱平には雪はなかった
 雪渓の幅も深さも少なくなっていることがわかるであろう

<五竜岳から見る剱岳、立山>

 1982,7.31 剱、立山方面には雪が多く残っている

<白山の例>

 1977.4.30 上は御前峰山頂の社 下は室堂方面 小屋は屋根だけ見える

 以上見てきたように、夏山の雪の量は確実に減ってきていることがわかる。高山植物は雪の融けるのを待つかのように咲きそろう。そうだとすると花の咲く時期は今後も大幅に前倒しされる可能性があるということだろう。そして、雪渓を吹き渡る自然の冷風といった贅沢な喜びもなくなっていくのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑の草刈りほか 22.8.14

2022-08-14 13:41:51 | 野菜作り
 夏らしい天気が続かない。アルプスなどに登山の計画がある人は、天気予報とにらめっこしなければならないし、実行しても行動中の雨を覚悟しての山登りとなるであろう。8月山の計画はないので、おじさんは気が楽である。毎日の雨のおかげで、夏恒例の水やりはほとんどしなくても良い。また、定期的な水の供給で、水を欲しがるキュウリやナスなどは暑さ疲れがほとんどない状況である。しかし、水は雑草の成長も促進するので、サツマイモ周り、カボチャ蔓の間などの草取りが日課となっている。それに加えて畑周りの草刈りも行う必要がある。

 小雨が降る7時頃から草刈りを始めた。前回が7月25日で今年6回目、少し間があいたので、草がかなり伸びていた。6月に二台目となる26ccエンジンの草刈り機を購入し、それに新しいコード式を取り付けた。前のは24ccだけど、それだけ違うだけで力は随分違うことを認識させられた。コード式のコードが少し長く出るタイプなので、大きいと作業は実際楽になる。今までなかなか良いコード式に出会うことがなかったが、今回のはコード交換も器具を外さなくてもできるのでとっても便利であった。ただし、強力なためか4mのナイロンコードがおよそ2時間以下でなくなる。

 今回もアマゾンで購入 少し高いがコストパフォーマンスは良い

 今日の作業地 ここの所有者はほとんど水利組合でおじさんの所有地ではない
 右隣の水路の斜面は今年一度か二度草刈りしただけなので、草が伸び放題。こうなるとコード式では刈れない。

 草取り後、野菜を収穫した。

 <篭の中>
 シシトウ もちろん毎日とれているわけではない
 ピーマン 同上 
 ナス(大きいの) 4株ある通常のナスは伸びた枝を剪定したうえで、周囲をスコップで切り込みをいれた(長く伸びた根を切り、新しい根が伸びるように)。そして追肥を行った。これで10月まで収穫できるであろう。
          2株は米なす、この株は元気なので剪定はしなかった。篭の中の大きいナスはこの米なすである。家内によるとレンジで丸ごとチンし(柔らかくする)、その後蒸し焼き。肉味噌でいただく。身はとろとろで実に美味しい。
 ミニトマト もうほとんど終わり
 ミニスイカ 800gちょっと。おまけであるから仕方ない。
 キュウリ 今日はお休み

 最後にカボチャ、今年は豊作で写真の栗カボチャと万次郎がある。

 8月12日収穫 栗カボチャ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

22年度スイカ総括 22.8.6

2022-08-06 19:00:01 | 野菜作り
 8月3日に中玉のスイカ、虎太郎(こたろう)を収穫し、今年のスイカの収穫はほぼ終わった。この後、新しいつるが伸びており、小さな実をつけているが、きちんと収穫できるかどうかわからない。いわゆる「うらなり」というもので、成長も悪く、いつもの大きさになることはほとんどないだろう。

 虎太郎 5.5kg

 切ったところ

 現在のスイカ畑 当初に伸びたつるは枯れ、新たなつるが出ている そこに実がついている 今後も実がついてくるだろう

◯今年の収穫状況 数的には、大玉、中玉は標準(1株につき2玉)だったが、小玉の収穫がやや少なかった。サイズ的には特に虎太郎(標準が3.5kg~4.5kg)が大きく、大玉も大きなものを収穫できた。
 大玉・紅大2株  4個(8.1kg、8.0kg、7.4kg、4.3kg) 味 少し水っぽいがまあまあの甘さ
 中玉・虎太郎1株 2個(4.7kg、5.5kg)               今年初めてトライしたが、その甘さは抜群だった 来年は株を増やすつもり
 小玉・飛行船ラルク5株 13個(最大4kg~1.25kg)          今年は雨が多かったせいもあり、いつもの甘さを味わうことができなかった。しかし、30日で収穫でき、普通の小玉より大きいことは最大の魅力          

◯枝豆、春日豆
 一昨日久しぶりに雨が降ったので、枝豆の二回目、さらに春日豆の植え付けをした。春日豆はその名のとおり、旧春日村の特産で、茶畑の端っこに植えられていたものである。つる性で上に大きく伸びる。豆は柔らかく、美味である。

 枝豆

 春日豆 このあと摘芯し、脇芽を伸す 収穫の終盤時採った豆を十分乾燥させ、翌年の種とする(自家採種、昔はこれが常識、今や種を買ったり、苗を買ったりする、おじさんも春日豆だけ自家採種)

◯このあとの野菜作業の予定
 ・ニンジン種まき(8月中) この時期のニンジンは暑さ、乾燥のため難しい
 ・ブロッコリーポット種まき(同上)
 ・大根種まき(9月10日前後)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半世紀ぶりの薬師岳 22.8.2

2022-08-02 13:14:58 | 山登り
 薬師岳は過去に二度登っている。最初は1974年、職場山岳会の夏合宿ー薬師岳~雲ノ平~双六~新穂高だった。今から48年前だからほぼ半世紀前ということになる。当時おじさんは24歳、今は72歳、その時の山行記録があるので、薬師岳の部分のみを画像で示す。二回目は、10年後の1984年だからおじさんは34歳。コースは立山室堂から五色ヶ原、スゴ乗越、薬師岳を経て太郎平小屋、おじさんはそこから折立に下山したが、他のメンバーは雲ノ平に向かった。

 もともとは手書きの記録だが、退職してから当時の記録を全てワード化した 画像は一部のみスキャンし、残りの写真は捨てた
 当時の記録を見ると、体調と食事のことばかり書いてあって、高山植物のことはほとんど出てこない
 当時から体力にあまり自信がなかったことを如実に示している

 今回薬師岳を再び登ることになったのは、昔の山とものM氏が登っていなかったからだ、M氏とは若い頃、二人で春から初冬の山をいろいろ登ってきた。そしておじさんの発案で6年前の白馬岳を最初に、北岳、笠ヶ岳、雲ノ平、甲斐駒・仙丈などを登り、その次薬師岳に登る予定だった。ところが、新型コロナの蔓延などもあり、計画を実行に移すことができなかった。今回も、前年よりも多いコロナ感染者が出ていたが、山小屋での感染対策なども進んだこと、小屋を除けば活動は野外であるから感染の怖れはないと勝手に判断し、実行することになった。この計画には奥揖斐山荘のオーナーのE氏、4年前に山を始めたばかりのYさん、そしてM氏が参加した。

 「日本百名山登る下巻」から

◯一日目7月31日(日)
 揖斐川3:50→関4:50→立山IC→折立8:30~太郎平小屋13:15

 有峰林道は有料であり、2000円。しかし、半世紀前は随分道も悪かったことを思えば、高くないかも。

 登山口に最も近い駐車場は満車 300m先の駐車場に停める ここもほとんど一杯 日曜日は降りてくる登山客が大勢いるはずだが、この時間には降りてきていない

 登山口 富山あるいは有峰口と往復するバス このバスも予約が必要と聞いた

 9:19 最初の休憩 同じようなところで皆さん休む

 10:16 前半の森林帯の中の登りがほぼ終了し、ここからは森林限界上の草原の中の登りとなる
 登山道は木道、石固めされた道がこの先小屋まで続く 半世紀前はここまで整備されていなかった(まあ当たり前か)

 10:16 休憩ベンチ

 10:32 ニッコウキスゲ

 10:40 キンコウカ 草原はほぼこの花に占領されている

 10:48 木の下にミヤママコナ 地味な花!!

 11:17 気持ち良いベンチ ここで昼食

 11:17 富山市街と富山湾

 11:34 同行者

 11:48 整備された道 まるで遊歩道

 11:59 有峰湖

 12:13 五光岩 小屋までまだ2kmもある

 12:26 小屋が見えた

 12:27 ニッコウキスゲが群生 

 12:28 ハクサンボウフウ

 12:33 ミヤマリンドウ

 13:08 チングルマ 隣は果穂のみ どうしてこのような差が出来るのだろうか

 13:13 イワオトギリ

 13:14 木道の間に咲くハハコグサ

 1時15分頃小屋に到着。受付けを済ますと部屋に入る。幸い個室が割り当てられた。燕山荘のようなプラスティックの仕切りはない。大部屋では結構な人数が収容されていたが、もちろん仕切りはない。自己責任で守れということか?
 5時から夕食ということなので随分時間がある。外に出て各自持ってきたアルコールを飲んでいたら、雨が降り出した。雨よけのある場所に移動し続行。同じような歳の隣のグループは広島から来たということで、彼らは薬師岳をパスし、残りのグループは薬師岳に向かったという。雨が強くなってきているので、大変だろう。
 5時から夕食。食堂には合い向かいにパネルが設置されていた。食事の内容はとんかつ、羊羹みたいなのは中味は刺身だった。消灯は8時、それまで時間は随分ある。Yさんが、しりとりをやろうと言いだした。これが延々と続き、結構楽しい時間となった。外は大雨だった。小屋は随分古い、床も緩やかにカーブしているが、トイレはきれいで臭いもほとんどない。

◯二日目8月1日
 小屋5:35~薬師岳8:45~小屋11:15~11:45昼食~折立14:33→揖斐19:45

 この日、朝から快晴

 小屋

 5:36 黒部五郎岳

 5:46 槍の穂先が見えた

 5:56 キャンプ場 半世紀前はここにテントを張った
キャンプ場の先は沢に沿った急登となっていたが、湿気が多いせいか高山植物が豊富だった。

 6:01 オタカラコウ

 6:04 モミジカラマツ

 6:20 シナノキンバイ
 急な登りの先にも多くの植物があった。

 6:24 ハクサンイチゲ

 6:24 アオノツガザクラ

 6:41 小さな雪渓 

 7:02 ウサギギク

 7:05 なだらかな登り

 7:28 ヨツバシオガマ

 8:26 山頂が見えた

 8:43 山頂の近くで咲いていたミヤマアキノキリンソウ

 8:48 山頂から見る剱岳

 8:49 槍穂高

 現在のおじさん 最新モード??

 半世紀前絵のおじさん ウールの山シャツ 短パン 長いウールの靴下(当時の標準的山スタイル)

 帰り道であった80歳の関西なまりのある叔母さん。膝には人工骨を入れたばかり、医者からは運動するなと言われた。しかし、運動しないと筋肉は急速に衰える、ということで超低速な山登り、今日は太郎平小屋から来て、登頂後薬師岳小屋に宿泊だと言う。おじさんが72歳だと言うと、まだ8年は大丈夫だとお返しされた(おじさんには絶対無理)。

 10:06 ハクサンフウロ

 10:06 オンタデ

 11:40 小屋から薬師岳 bye-bye

 14:33 約3時間の下り 最後に4人が考えていたものは、コカコーラだった

 かくして70代3人、50代1人の薬師岳登山は大成功のもとに終わった。めでたし、めでたし。行き帰りとも運転をしてくれたEさんに最大限の感謝。8月2日のおじさんは使い物にならず、ブログを一生懸命書いている。花の名前を調べるのが特に手間がかかる。晩方畑の水やり、行きたくないけれど。おじさんが山登りの間2日間は家内がかわって水やり。その家内からこのため筋肉痛になったと言われる始末((^0^)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする