城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

「退屈」と感じるとき 24.7.12

2024-07-12 19:34:51 | 面白い本はないか
 雨が降り続くと、時間が一杯でき、退屈と感じるかと言えばそうではない。

 15年あまり「毎日が日曜日」を続けているが、幸いなことにあまり退屈と感じたことがない。

 山登りとか野菜づくりとか庭いじりとか本を読んでいればもちろん退屈と感じることはない。

 しかし、今ではほとんどなくなったが、各種の飲み会、同窓会に参加しても、なかなか楽しむことができず、むしろ退屈だと感じてしまう。仕事上飲むのとは違い、無理に飲む必要がなく、あまり酔わないからかもしれないし、社交下手のせいかもしれない。だから、誘いも来ないことになる。

 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」を二日かけて読んだ。表紙の宣伝文句にもあるとおり、哲学書としては無類に読みやすい。


 それでも哲学書であるからパスカル、ハイデガー、マルクス、アーレントなど多くの引用がある。

 今までのおじさんの知識を新たにするような部分があった。
  例えば、人類は1万年前に農業革命が起こり、遊動生活から定住生活へと生活様式が変わった(人類発生400年前とすると定住生活はわずか1万年ということになる)。これは地球の温暖化により大型の動物がいなくなったことで、定住を余儀なくされ、この結果農業革命が起こった。農業革命の結果定住生活になったということではない。
  なぜこの話が出てくるかだが、定住生活の結果、生きるための刺激がなくなり、人間は退屈だと感じるようになったと。
  人類の肉体的・心理的・社会的能力や行動様式は、むしろ遊動生活にこそ適しているからだ。

 エクスキュール(エストニア生まれの理論生物学者)の「環世界」という概念、すなわち「すべての生物が同じ時間と同じ空間を生きている」のではなく、「全ての生物は別々の時間と空間を生きている」という。
  その中で出てくる生物の一つとして「マダニ」(ほ乳類や人間の血を吸う、おじさんは被害にあったことはないが、山とものEさんはやぶ漕ぎをやるので被害にあっている)が興味を惹く
  メスは交尾を終えると、八本の肢を使って適当な枝まで登り、ほ乳類が通るのを待つ。下などを通るほ乳類にうまく取り付いたなら(37度の体温でないと絶対に吸血しない)、吸血し、地面に落ちて卵を産み死ぬ。
  ダニは目も見えないし、音も感知できない。ほ乳類の発する酪酸の臭いに反応し、動物に取り付く。うまくいかずに地面に落ちると、再度枝に登り、動物が通るのを待つ。18年間も飲まず、食わずで待ち続けたダニがいるそうである。
  酪酸のにおいと37度の温度と体毛の少ない皮膚組織を順序とおりにシグナルとして受け取った場合のみ吸血する
  すなわちダニは3つのシグナルからなる環世界を生きている

  著者は言う。人間は複数の環世界を生きている。一つの環世界にとどまっていることができない。これが人間が極度に退屈に悩まされる存在であることの理由がある。
   ※学校、会社に通う人として、あるいは家庭人としてのそれぞれの環世界がある


 以下では哲学者たちの主張を見て見よう
 ◯パスカル
  人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる、人間が振り払うことができない”病い”である
  ウサギ狩りは、ウサギが欲しいわけではなく、気張らしが欲しいからする
  解決策は神への祈り

 ◯ニーチェ
  幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている
  彼らにとって真剣な生とは、緊急事態、深刻な極限的状況、戦争といったものに絶えず直面している社会において体験される生のこと

 ◯マルクス
  欠乏と外的有用性によって決定される労働は止み、「自由の王国」が実現されなければならない。その自由の王国とは労働そのものが廃棄されるのではなく,労働日の短縮で、労働もあるが、余暇もある状態である

 ◯ハイデガー
  人間は、<世界形成的>であり、世界そのものを受け取るが故に退屈をする。この退屈は人間が自由であることの証拠である。
  ハイデガーは人間が環世界に生きることを認めなかった。環世界を生きるのは動物だけで自由がないからである。→著者はおかしいと言う。

  ハイデガーは三つの退屈をあげているが、複雑になるので省く。

<結論>
 前提として本書を通読し、暇と退屈というテーマの自分なりの受け止め方を涵養していくことが必要である(だから是非読んでね!)
 ◯贅沢を取り戻す
  浪費と消費を区別する。浪費は物を過剰に受け取ることで、その受け取りには限界があるから、どこかでストップする
  一方、消費は物でなく観念を対象としているから、いつまでも終わらない.満足を求めて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。
  <物を受け取ること>とは、物を楽しむことである。衣食住を楽しむこと、芸術や芸能や娯楽を楽しむことである。 
  
  贅沢を取り戻すとは、気晴らしを存分に享受することであり、それはつまり人間であることを楽しむことである。
 
 ◯人間らしい生活とは、退屈を時折感じつつも、物を享受し、楽しんでいる、そういった生活である
  楽しむためには訓練が必要なのだ。その訓練は物を受け取る能力を拡張する。

 ◯人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる(これが本書の結論となっている)

 ここまで読んでくれたら大感謝である。ほとんど切り貼りであるが、最後のところがどうもよく分からない。、<動物になること>(退屈を感じない)という概念がわからないからである。

 ネットで検索すれば、この本についての驚くばかりの要約があるので、興味のある人はどうぞ。

 
  

  
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デフレ政策の残したもの 24.7.5

2024-07-05 14:12:23 | 面白い本はないか
 今日は5時前に起き、浅田次郎の「母の待つ里」を少し読み、6時過ぎに畑に収穫に出かけた(これについては後日書く予定)。

 朝食後、7時40分から城ヶ峰に出かけた(一週間に一回程度雁又山、池田山に出かける)。帰りに毎週金曜日に城ヶ峰の先の333m地点にある展望台まで出かけているOさんと出会い、しばらく立ち話。

 家に帰り、少しだけバラの手入れをした。長雨と高温で葉がたくさん落ちてしまった株が出てきた一方で元気に咲いているバラもある。

 昼寝のあと、涼しい部屋で今この文章を書いている。


 昨日日経の株価が最高値をつけた。かたや外国為替市場では、円は1ドル161円を上回っている。

 円安が進むのは、日米の金利差というのが今までの理解であったが、NISAによる円売りばかりではなく、今や日本経済、日本政府(含む日本銀行)に対する低評価のためとも言われる。

 ここではなぜ低金利0金利が続くのか考えてみよう。もちろん種本があり、今回は河村小百合「日本銀行我が国に迫る危機」(講談社現代新書)。

 その前に河浪武史「日本銀行の虚像と実像」を読んだが、危機の認識度が全く違う(河浪氏は日経新聞の記者、河村氏は経済学者の違い?)


 2000年末、2005年末、2022年末と日銀のバランスシートの膨張振りを示したもの(同書36ページ)

 安倍第二次政権が2012年に始まり、翌年就任した黒田日銀の総裁のもとで進められた大幅緩和・マネーストックの積み増し=国債の購入の結果、こうなってしまったのである。
  ※株価が大幅に上昇し、歓迎した面もあった、ことは認めざるを得ない。

 同時並行的に国債発行額は積み重なり、今や国の借金は1297兆円(GDPの2倍を軽く超える水準)となった。

 日銀のバランスシートの異常さは主要国中央銀行のそれと比べると異常さが際立つ。

 ヨーロッパ債務危機(ギリシャ、イタリア等々)を経験したECBでも日本の半分

 我が国はデフレを解消するためにこれほどまでの代償(国債残高及び日銀のバランスシートの大幅増)を払う必要があったのであろうか。もちろん、まだ真の代償は払っていない(円安は国民の大部分にとっては物価高という代償の一部となっているが)。

 大幅な金融緩和=低金利に日本経済とりわけ企業はなれきってしまったのではないか。本来であれば適正な金利を支払い、それが出来ない企業は淘汰される。競争を忘れた日本経済はますます世界的な地位を低下させている。この一因が低金利にあったのでないか(茹でガエル状態にあった)。

 しかし、金融正常化への道はハードルが極めて高い。一つは積み上がった国の借金。
  1980年代~1990年代後半まで国債残高は150兆円から300兆円まで増えた。この時の利払い費はおよそ10兆円。残高が1297兆円となった24年度予算では9.7兆円でほとんど変わっていない。
  金利が少し上がるだけで、国の利払い費は大幅に増える。こうなればプライマリーバランスの赤字はなくなるどころではない。

 もう一つは日銀の積み上がったバランスシートにある。日銀は多額の国債(589兆円、総額の45%)を所有しているが、そこに付けられている利息は平均で0.221%。借方にある当座預金には0.1%の利息を付けているのが200兆円あまりある。したがって金利を上げると日銀はたちまち赤字になってしまう。さらに所有している国債は帳簿上で減価(含み損1%上昇で28.6兆円)となってしまう。日銀の破綻を防ぐためには借金まみれの国が資金を注入するという笑えない事態に陥る。
 ※国債すなわち債券は、利子が上がると債券価格が上がるという関係にある。国債を償還期限まで持ち続ければ、額面での償還は保証される。

 我が国、そして国民はいずれ大幅緩和の代償(戦後すぐの預金封鎖、財産税の課税あるいはギリシャなどの例)を支払わなければならないと覚悟しておく必要がある。

 
  


 
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室内の花&3・4月読書 24.4.15

2024-04-15 17:51:39 | 面白い本はないか
 家の中では今君子蘭が満開である。

 二株は満開 一株はつぼみ

 昔からある君子蘭
 君子蘭は手間はいらない花である。ただし、新しい株が毎年出来てくるから、植替えするか株分けしないと鉢が一杯となって、鉢から抜けなくなってしまう。5月から11月までは外で遮光して育てる。

 久し振りに花が咲いたシンピジウム

 前にも書いたが、母が米寿のお祝い(12年前になる)に孫娘からもらったもの
 最初のうちは毎年花芽が数本できたが、鉢が一杯なり、やむなく株分けしたら途端に咲かなくなった 

 胡蝶蘭

 同上
 昨年の夏、遮光が十分できなかったため、数鉢枯らかした

 さて、久し振りに読んでいる本の話しをしたい。相変わらず読むのは新書が多い。
 3月~4月の新書 中公新書 安成哲三「モンスーンの世界」他4冊、朝日新書 小島健輔「アパレルの終焉と再生」他2冊、岩波新書 佐藤俊樹「社会学の新地平」他2冊
          新書の中では山崎雅弘「アイヒマンと日本人」(祥伝社新書)と「太平洋戦争秘史ー周辺国・植民地から見た「日本の戦争」はお薦め
          アイヒマン、ヒトラー政権下でユダヤ人の絶滅収容所への輸送に能力を発揮、戦後アルゼンチンに逃亡後、モサドによりイスラエルで裁判を受け、死刑となった。「上からの命令に従っただけ」という弁明は、決して人ごとではない
          後者は、大東亜共栄圏の中味あるいは戦後、日本の占領地の多くが独立できたのは、日本のおかげという一部政治家などの言説がいかに間違っているのかを明らかにしている。日本の軍部による占領政策はかえって反日感情を煽るだけとなった。 
 
 藤沢周平の「人間の檻獄医立花登手控え」の二~四を読んだ。揖斐川図書館の所蔵本は大体読んでしまった。ないのをアマゾンで買うかどうか

 長崎県出身の英国の作家でノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの本を3冊読んだ。文学面(翻訳文学はほとんど読んでいない)ではわからないが、それ以外(ノンフィクション)の翻訳本はおじさんには読みにくい。 それに比べてイシグロの本は読みやすい(もちろん、登場人物の心理描写は詳細にわたるが、この辺は苦手である。)。揖斐川図書館にあった「日の名残り」、短編集の「夜想曲集」、県図書館で借りた「わたしを離さないで」。最後の本は今日読み終えたばかりなのでこれを紹介する。
 主人公はキャシー・H、今31歳で介護人を11年以上やっている。わからないことが一杯でてくる。最初のページに出てくる「わたしが介護した提供者の回復ぶりは、みな期待以上」の中の「提供者」とは何か。キャシーは「ヘールシャム」という学校?の出身。「保護官」と呼ばれる先生?。とにかく読み進めないとわからない。だから、これ以上は書かない。だんだんと分からないことが分かってくるのが読書の楽しみの一つである。未来にこんなことが起きるかもしれない(もちろん、起こってはいけないことだが)と考えさせてくれる。
 




 
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国籍とは何か・在日問題について 24.1.21

2024-01-22 20:10:03 | 面白い本はないか
 昨年の9月17日付けで「国籍とは何か」を書いたが、この続編になるかもしれない「在日韓国朝鮮問題」について二つの本を紹介する。
 一つは、林晟一「移民国家ニッポン練習記 在日韓国人になる」と少し古いが中村一成「思想としての朝鮮籍」。二人とも在日三世で、日本生まれで日本育ちである。



 中身に触れる前になぜ在日問題に関する本を読むことが多いのだが、単純には安田菜津紀(「国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に」「貴方のルーツを教えてください」)や今回読んだ林晟一のように若い世代の書いた本が出ていること(もちろん、これらの本を選書する県図書館の司書によって収蔵されている)、そしておじさんが戦後まもなくの生まれであり、在日について聞いたこと、学んだことがあり、人ごとではないと考えているからである。そして、日本の在留外国人数は322万人(23年6月時点)と増え続けている中で、その最初の大量の在留外国人となったのが在日朝鮮人であることから、過去の日本社会の在日問題について考えてみることが必要だと思うからでもある。

 なぜ日本で在日が問題になるかというと、言うまでもなく1910年に朝鮮を併合し、植民地としたからである。さらに中国やアメリカなどと戦争する中でで労働力が足らなくなり、その植民地から大量動員したことにより、最大200万人もの在日が存在することとなった(労働力が足りないとういう状況は現在再び起きている。これから日本は韓国など人口が急激に減る国と外国人獲得競争をしなければならない。)戦後130万人ほどは帰国したが、残りはやむを得ず(日本が戦争に敗れ、主権を失った朝鮮にソ連の支援する共産勢力とアメリカの支援する反共勢力が生まれ、半島は大混乱していた。)日本を生活の場として選び日本に留まった。彼らは植民地化、創氏改名などにより日本人とされたのだが、戦争が終わると外国人とされた(1952年4月、在日は日本国籍や国民としての権利を正式に奪われた。)。

 ※植民地であったならば、在日に日本国籍か朝鮮・韓国籍を選ばせるのが、道義的に正しいと思われる。しかし、日本は彼らによる左翼的な反政府運動を恐れ、この措置を執った。

 ※※1950年以前は在日の国籍は全てが「朝鮮」で、それ以後その朝鮮を「韓国」とすることがだけが認められた。一方日本は北朝鮮と国交がなく、「北朝鮮籍」を認めていないので、朝鮮籍は「北朝鮮籍」を意味しない。「朝鮮籍」を維持することは、北朝鮮を支持する、または南北統一による「朝鮮」を実現したいと思っているからと考えられている。これについては中村一成の「思想としての朝鮮籍」に詳しい。


 林は、戦後の在日史を、大まかに排除の時代(1945年~70年代)、統合の時代(70年代~90年代)、再排除の時代(2000年代~)に分ける。中村の本では、詩人の高史明、金石範など1940年~1950年代にかけて青年期を過ごした6人がインタビューに答えている。まさしく、排除の時代の生き証人であり、今や消えてしまったか消えつつある世代の人々である。日本が敗戦という「生き直し」の契機を捨て去り、米国に便乗しつつ、戦後補償のネグレクトに始まる「固有の利益」を実現する道を選んだ。それは政府の暴走ではなくて、社会全体がその破廉恥に順応した。彼らはそうした順応に抗し、共産党の運動に加わったり、民族運動、民族教育、文筆活動などを積極的に行ってきた。そうした生き様がいまだに「朝鮮籍」を選択させている。

 ※今在日の中で韓国籍なのは426,908人、一方朝鮮籍は27,214人(2020年) どちらも減っているのは、日本国籍を取得する在日がいるからであり、また日本人と結婚する在日が数多くいることもどちらの国政も増えない理由となっている。

 排除の時代を象徴するような、「日本に住む朝鮮人をすべて半島へ送還したい」と吉田茂首相は49年のマッカーサー宛書簡であけすけに述べた。そして、日本政府は、旧植民地人に日本国籍を自発的に選択する権利を与えなかった。在日は外国人登録証明書の常時携帯、指紋押捺を求められ、さらには公務員になれないし、公営住宅への入居を認められない、生活保護を除く社会保障全般の適用除外。もちろん彼らは税金を払う必要があったし、BC級戦犯となった者は、日本人同様刑に服した。一方で軍人恩給は彼らには支給されない。

 排除の時代に朝鮮半島出身であるにも関わらず、日本人のヒーロー(おじさんにとってもヒーローだった)となったのが、力道山であった。相撲界に入門し、関脇まで昇進したにも関わらず出自のコンプレックスから廃業、プロレスのスター選手となった。彼は日本国籍を取ったが、ファンやマスコミは彼の出自をおよそ知りながら熱烈に応援したのである。

 在日の立場が大きく変わったのは、70年代末のインドシナ難民の受け入れが黒船効果をもたらし、また国際人権規約加入につながった。こうして「統合の時代」は始まったのである。公営住宅への入居、国民年金、児童手当の適用、さらには国民健康保険への加入が認められた。93年には永住者・特別永住者の指紋押捺制度の廃止が行われた。在日側ではアイデンティティを保証する最も身近な要素として「名前」を問題視した。80年~90年代、通称名(創氏改名の日本風の名前)にかえて、本名を宣言するものが増えた(もちろん、出自を隠したい、いじめなどの差別に遭いたくない
との考えで通称名を依然として使う者も多くいた)

 ※日本の同調圧力は極めて強い。日本人と違う名前だけでも学校や職場などでいじめや差別を受ける。多文化共生社会を目指しているはずなのにこれでは全く到達できそうもない。名前も含めて、違っていることが当たり前なのだという教育、環境を作る必要がある。

 この時代、姜尚中が80年代に日本国籍取得について述べていたことを紹介する。彼は言う「在日の権利回復が進むほど日本人に同化しやすくなり、民族性がうすまる。よしんば日本国籍を得たとすれば、在日は琉球民族やアイヌと同等に扱われてしまう。」しかし、日本国籍取得者は減らなかった。「生きる上で有効なら日本国籍取得だって選択肢のひとつ」としてあっていいというのが在日の大方の考えであり、著者の考えでもあった。けれども、日本国籍を取得したものでも、「純粋な日本人」でないとの批判を受けるのである。

 ※姜さんは、2019年日本国籍を取得することもあるだろうと述べた。また在日としてのくびきから離れてもいいのではないかとも。若者にとって大事なのは「時代や世代という「設えもの」から離れ、自分なりの価値で生きること。この発言を変節と捉えるべきかどうか。

 しかし、2002年小泉首相の訪朝の結果、金生日が日本人拉致を認めたことにより、それまでの融和ムードは消し飛んでしまった。今や時代が逆戻りするかのような事態となっていくのである。日本の未来は危ういと考えてしまうのである。
 
 以上「在日韓国人になる」からほとんど引用してきたが、一つの見方に陥ることなく、幅広く在日問題を捉えていてとても参考になる。ちなみに林晟一の「晟」は金日成の2文字からなり、これは祖母がつけた名前だそうである。著者は当初「朝鮮籍」であったが、母親ともども「韓国籍」に変更した。

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歴史小説・時代小説を読む 23.11.18

2023-11-18 18:46:52 | 面白い本はないか
 読書は、おじさんにとって世界や社会、家族、個人に起こっている様々な事象を知るため、あるいは考えるためのものである。しかし、だからといって難しい本は、理解出来ないので、初心者でもわかるようなものばかり読んでいる。そうしていると、世界や日本等が直面している問題の難しさを知るにつれ心がどんどん重くなってしまう。もちろん、普段の生活にはさほど関係していないものが大半なので、重くなるのは読書の時だけとなる。

 ノンフィクションばかりであった読書から、少しづつフィクション、すなわち小説や小説家の書くエッセイなども読むようになってきた。村上春樹もいいけれども、藤沢周平や葉室麟の時代小説を今年後半からかなり読んできた。彼らの作品は、重くなった心に一服の清涼剤としての効用がありそうである。葉室は15冊、藤沢は13冊、少し少ないが吉村昭2冊。この中で葉室と藤沢はエンターテイメント性が強く一般的に時代小説、吉村は歴史をかなり忠実にたどっているので歴史小説ということになる。もちろん司馬遼太郎の作品の大部分は娯楽性が強いが歴史小説とされるようだ。

 ここでなぜこのようなブログを書くことになったかというと、葉室麟の小説2冊と一緒に今村翔吾の「教養としての歴史小説」という本を揖斐川図書館から借りてきて、読んだからである。彼は昨年「塞王の盾」で直木賞を受賞した。もちろん、おじさんはこの長い小説をまだ読んでいない。著書の経歴がすごい。小学校5年生で読んだ池波正太郎の「真田太平記」をきっかけに歴史小説に没頭。中学生になると歴史小説家に憧れ、月30~40冊ほど歴史小説を読み込んだとある。


 彼によると教養を高めるにはまず歴史を学ぶことが大事であると。ところが、この歴史、学校で習うのは暗記するためばかりで、少しも面白くない。(このことは東大の史料編纂所の本郷和人教授が「歴史学者という病」、「日本史を疑え」などで述べているように、歴史学者は史料に書かれていないことは述べることができなくて、自己の想像をたくましくして歴史を勝手に解釈できない。したがって、あまり面白くはならない。)歴史小説、時代小説であれば、作者がめいっぱい想像力を発揮して、面白く書いてくれるので、歴史が好きになるというわけである。このあと興味があれば、歴史家の書いたものを読めばいいのである。また、歴史小説から人としての生き方や振る舞い方、人情の機微なども学ぶことができる。

 著者が歴史小説家を世代別に分けている。
 第1世代 岡本綺堂(半七捕物帳)、野村胡堂(銭形平次捕物控)、中里介山(大菩薩峠)、直木三十五、子母沢寛(新撰組始末記)、大佛次郎(鞍馬天狗) ※おじさんが知っているあるい名前を聞いたことのある作品のみ 三十五が直木賞のもとだとずっと知らなかった

 第2世代 長谷川伸(瞼の母)、吉川英治、中山義秀、海音寺潮五郎、山本周五郎、山岡荘八、新田次郎 ※新田次郎が「武田信玄」を書いているのを知らなかった 中山以外は皆さんよく知られた作家ばかり

 第3世代 柴田錬三郎、山田風太郎、隆慶一郎、池波正太郎、遠藤周作、司馬遼太郎、陳舜臣、永井路子、藤沢周平、津本陽、笹沢左保、平岩弓枝

 第4世代 宮城谷昌光、高橋克彦、北方謙三、浅田次郎、松井今朝子

 第5世代 佐伯泰英、葉室麟、諸田玲子、山本兼一、火坂雅志、高田郁  ※知っている名前があるのはここまでで、この後の世代は全く知らない それだけ年をとっているということなのである

 第6世代 朝井まかて、伊東潤、木下昌輝、澤田瞳子、天野純希     

 第7世代 砂原浩太朗、永井紗耶子、川越宗一、今村翔吾 蝉谷めぐ実

 さらに、日本の歴史を知るための歴史小説10冊として、①国盗り物語(司馬遼太郎)、②徳川家康(山岡荘八)、③飛ぶが如く(司馬遼太郎)、④沈黙(遠藤周作)、⑤炎環(永井路子)、⑥平将門(海音寺潮五郎)、⑦白村江(荒山徹)、⑤聖徳太子(黒岩重吾)、⑨大義の末(城山三郎)、⑩樅の木は残った(山本周五郎)をあげている。このうちおじさんが読んだのは④と⑨の2冊、①、②、⑩は大河ドラマで拝見

 第2世代や第3世代の作家の作品は、大河ドラマとなっている。今村翔吾の最大の夢は、大河ドラマの原作者になりたいということだ。ちなみに最も多くの作品が大河ドラマとなったのは、司馬遼太郎で「竜馬がゆく」、「国盗り物語」、「花神」、「徳川慶喜」、「功名が辻」の6作品でもちろんダントツの一位である。※最近の大河ドラマはオリジナルの作品ばかりである。

 おじさんは、藤沢周平のドラマが大好きである。「立花登青春手控え」「三屋清左衛門残日録」「神谷玄次郎捕物控」「風の果て」、古いところでは「江戸の用心棒」(BSで最近見た)などたくさんある。もちろん、池波正太郎の「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などは何回もBSで見せてもらっている。

 今村翔吾の本は図書館で借りて読んでみたい。他に山本兼一「利休にたずねよ」と池波正太郎の「真田太平記」にチャレンジしたいと思っているが、後者は12巻もあるのでちょっと無理かもしれない。



  

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