城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

梅雨明け間近の城台山 24.7.17

2024-07-17 19:26:29 | 山登り
 日曜日から雨模様の日が続いているが、金曜日あたり梅雨明けになるらしい。

 雨模様だからといって、城台山散歩を中止するかと言えば、習慣化されているせいか雨が止んでいれば登りたくなる。

 雨の日に登ると、鹿と出会うことが多くなる。昨日も出会い、写真を撮ろうと思ったら逃げられてしまった。

 また、雨が多いとキノコを見る機会がぐっと増える。


 家のアジサイは終わったが、まだ池の周りのは咲いている 奧は城台山


 オニユリと主のいない一心寺

 オニユリアップ

以下「キノコ」
 ※名前はグーグルで調べたが、似たキノコが多く、違っているかもしれない


 サルノコシカケ 幼菌  美味しそうなパンに見える


 アンズタケ 随分鮮やかなキノコだ

 同上?


 ヘビキノコモドキ 模様が蛇と似ているからか 似ているからといって、本物のようには驚かない(長くないせい)
 木の根っこの方がぎくりとすることが多い


 モリハラタケ?


 ??

 明けると水やりが大きな仕事となる
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「退屈」と感じるとき 24.7.12

2024-07-12 19:34:51 | 面白い本はないか
 雨が降り続くと、時間が一杯でき、退屈と感じるかと言えばそうではない。

 15年あまり「毎日が日曜日」を続けているが、幸いなことにあまり退屈と感じたことがない。

 山登りとか野菜づくりとか庭いじりとか本を読んでいればもちろん退屈と感じることはない。

 しかし、今ではほとんどなくなったが、各種の飲み会、同窓会に参加しても、なかなか楽しむことができず、むしろ退屈だと感じてしまう。仕事上飲むのとは違い、無理に飲む必要がなく、あまり酔わないからかもしれないし、社交下手のせいかもしれない。だから、誘いも来ないことになる。

 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」を二日かけて読んだ。表紙の宣伝文句にもあるとおり、哲学書としては無類に読みやすい。


 それでも哲学書であるからパスカル、ハイデガー、マルクス、アーレントなど多くの引用がある。

 今までのおじさんの知識を新たにするような部分があった。
  例えば、人類は1万年前に農業革命が起こり、遊動生活から定住生活へと生活様式が変わった(人類発生400年前とすると定住生活はわずか1万年ということになる)。これは地球の温暖化により大型の動物がいなくなったことで、定住を余儀なくされ、この結果農業革命が起こった。農業革命の結果定住生活になったということではない。
  なぜこの話が出てくるかだが、定住生活の結果、生きるための刺激がなくなり、人間は退屈だと感じるようになったと。
  人類の肉体的・心理的・社会的能力や行動様式は、むしろ遊動生活にこそ適しているからだ。

 エクスキュール(エストニア生まれの理論生物学者)の「環世界」という概念、すなわち「すべての生物が同じ時間と同じ空間を生きている」のではなく、「全ての生物は別々の時間と空間を生きている」という。
  その中で出てくる生物の一つとして「マダニ」(ほ乳類や人間の血を吸う、おじさんは被害にあったことはないが、山とものEさんはやぶ漕ぎをやるので被害にあっている)が興味を惹く
  メスは交尾を終えると、八本の肢を使って適当な枝まで登り、ほ乳類が通るのを待つ。下などを通るほ乳類にうまく取り付いたなら(37度の体温でないと絶対に吸血しない)、吸血し、地面に落ちて卵を産み死ぬ。
  ダニは目も見えないし、音も感知できない。ほ乳類の発する酪酸の臭いに反応し、動物に取り付く。うまくいかずに地面に落ちると、再度枝に登り、動物が通るのを待つ。18年間も飲まず、食わずで待ち続けたダニがいるそうである。
  酪酸のにおいと37度の温度と体毛の少ない皮膚組織を順序とおりにシグナルとして受け取った場合のみ吸血する
  すなわちダニは3つのシグナルからなる環世界を生きている

  著者は言う。人間は複数の環世界を生きている。一つの環世界にとどまっていることができない。これが人間が極度に退屈に悩まされる存在であることの理由がある。
   ※学校、会社に通う人として、あるいは家庭人としてのそれぞれの環世界がある


 以下では哲学者たちの主張を見て見よう
 ◯パスカル
  人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる、人間が振り払うことができない”病い”である
  ウサギ狩りは、ウサギが欲しいわけではなく、気張らしが欲しいからする
  解決策は神への祈り

 ◯ニーチェ
  幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている
  彼らにとって真剣な生とは、緊急事態、深刻な極限的状況、戦争といったものに絶えず直面している社会において体験される生のこと

 ◯マルクス
  欠乏と外的有用性によって決定される労働は止み、「自由の王国」が実現されなければならない。その自由の王国とは労働そのものが廃棄されるのではなく,労働日の短縮で、労働もあるが、余暇もある状態である

 ◯ハイデガー
  人間は、<世界形成的>であり、世界そのものを受け取るが故に退屈をする。この退屈は人間が自由であることの証拠である。
  ハイデガーは人間が環世界に生きることを認めなかった。環世界を生きるのは動物だけで自由がないからである。→著者はおかしいと言う。

  ハイデガーは三つの退屈をあげているが、複雑になるので省く。

<結論>
 前提として本書を通読し、暇と退屈というテーマの自分なりの受け止め方を涵養していくことが必要である(だから是非読んでね!)
 ◯贅沢を取り戻す
  浪費と消費を区別する。浪費は物を過剰に受け取ることで、その受け取りには限界があるから、どこかでストップする
  一方、消費は物でなく観念を対象としているから、いつまでも終わらない.満足を求めて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。
  <物を受け取ること>とは、物を楽しむことである。衣食住を楽しむこと、芸術や芸能や娯楽を楽しむことである。 
  
  贅沢を取り戻すとは、気晴らしを存分に享受することであり、それはつまり人間であることを楽しむことである。
 
 ◯人間らしい生活とは、退屈を時折感じつつも、物を享受し、楽しんでいる、そういった生活である
  楽しむためには訓練が必要なのだ。その訓練は物を受け取る能力を拡張する。

 ◯人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる(これが本書の結論となっている)

 ここまで読んでくれたら大感謝である。ほとんど切り貼りであるが、最後のところがどうもよく分からない。、<動物になること>(退屈を感じない)という概念がわからないからである。

 ネットで検索すれば、この本についての驚くばかりの要約があるので、興味のある人はどうぞ。

 
  

  
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ノリさんのガーデンノート⑨ホウジャク 24.7.8

2024-07-09 13:12:49 | バラ、クレマチス等
 先週の土曜日、城台山への散歩を終え、自宅に戻ってきたとき、玄関脇の小クチナシの植え込みの上をあちこち飛んでいるモノを発見した。それは年に一回見るか見ないかの貴重なモノだ。

 わたしはどこにいるのでしょう
 既に花は咲いていないのに、高速でホバリングしながら飛び回っている
 たまに止まっているときもあるが、葉が邪魔してうまく撮れない
 今までハチドリだとばかり思っていたが、ネットで調べると違うようだ

 ハチドリで検索すると明らかに形が違う
 そこにホウジャクという蛾ものっていて、まさしくこれだと思った

 ネットの写真

 ホウジャクも授粉を助けるそうだ。花の付近を良く飛んでいるクマバチも授粉を助ける(もちろん彼らは蜜や花粉を花からいただく)。



 少し前のことになるが、この時期に行う松の春芽の剪定を行った


 上に高く伸びている春芽を切る 6月22日
 この後に伸びてくる夏芽は11月頃に剪定

 そして今日、今年もパラパラとしか咲かなかったが、小クチナシの剪定を行った


 昨年買った大型のユリ(カサブランカの一種)の花後の育成について
 こうしたユリについては、お礼肥というのを花後にやる必要があるが、そうしても2~3年くらいのうちに咲かなくなってしまう(球根自体がほとんどなくなってしまう)
 説明書にはかなり頻繁にお礼肥をやりなさいと書いてあったが、書いたものをなくしてしまったので、ネットで調べた
 その中にお礼肥として、窒素分がすくなくカリ分が多い肥料をやりなさいとあった

 6月30日撮影

 同上アップ

 7月8日花も少なくなってきた
 お礼肥をやる必要がある

 今日下にあるカリ分の多い液肥(ハイポネックス)をやった ついでにお疲れのバラにも施した


 バラも含めてどんな効果があるのか注目したい

 バラのシュートの出具合が気に掛かる

 昨年も良いシュートが出ていない つるバラのアンクルウォルター
 このままだと枯れてしまう
 この時期までにほとんどの葉を落としてしまう

 ※夏越しするとかなりのバラが葉を落とす。解説書(ユーチューブも含む)によると、この状態のバラには、剪定や施肥はしてはいけないとある。
  それでも我家では控えめに剪定し、施肥はしっかり行っている。


 こちらは太いシュートが2本出ている つるバラのロンサール

 こちらは木立タイプのシュート


 タルトポム 二番花でここまで咲いてくれれば大いに満足

 長雨と暑さでこの後も夏ばてする(おじさんも夏ばてするが、意外と体重は減らない)
 対策として、ミリオンを株の周りに散布しておいた(効果の程はわからない)


 地植えで久し振りに枯らかしたタッチオブクラス

 ほったらかしででも良く咲いてくれるアガパンサス


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ノリさんの畑ノート⑥・小玉スイカの収穫 24.7.7

2024-07-07 15:18:07 | 野菜作り
 大玉スイカが枯れたと前回の畑ノート⑤(6.25)で書いた。結局、最初に植えた2株、前のが枯れたため後から植えた中玉2株すべて枯れてしまった。最初の2株はおそらく1株に3~4個も実を付けさせたことによる可能性が高い。後のは苗自体が良くなかったかも(実は1~2個だった)。

 授粉後30日くらいで、順調なら残り15日~20日必要なので、未熟な実だとわかっていたが、捨てるには忍びないので、大きめの3個を家に持ち帰り、そのうち2個を食べた。最初のは、ほとんど甘みなしだったが、二つ目は少し甘さがあった。水分補給には丁度良い(負け惜しみかも)。

 大きい方は、約3.9kgの重さがあった
 
かみさんがネットで調べて、寒天、バナナ、缶詰のパイナップル、あんこを加えて、フルーツポンチを作ってくれた。食後のデザートとして何回か食べている。
 
 かみさんの友人から大量の赤ジソをいただき、これをジュースにし、ここに加えた。なかなかの味となった!
 しそジュースは炭酸でわりレモンを加えると、さわやかな味となった。

 木曜日、小玉スイカ・飛行船ラルクを初めて収穫した。

 重さ2.94kg 包丁を入れるとびしっという音(食べ時)がした
 一昨年まで3kg越えのものが多数あったが、昨年からなかなか3kgに到達しない
 肝心の甘さも今一歩というところだ

 金曜日、子ども達に送るため3玉収穫した。

 真ん中のが3.3kgあとの二つは2kg台

 ここで注目して欲しいのは、写真ではわかりにくいが、左の二つは楕円というより円に近い。右のは楕円。
 左の二つは大玉のすぐ横。ひょっとしたら隣の大玉の雄花が小玉の飛行船ラルク(楕円)の雌花についたので、楕円でなくなったかもしれないと。
  (6月の初め全てのスイカの株の雄花と雌花が咲きそろい、合体した(畑ノート④)短い期間に集中することは珍しいと思うが。)
 このことをネットで調べたら、それが質問にあった。
 回答は基本的に影響を受けることはないとのこと(小玉が大玉にあるいは逆にあるいは中玉になることはない。ただし、このスイカの種が影響を受けるそうだ)

 スイカが収穫時期を迎えているかどうか、外見から判断するのは難しい。つるから実が付いているのだが、そのつるにひげがあり、そこが枯れてきていると収穫のサインだというのがあるが。
 このため、授粉時をテープに書いて、付けておくのが一番簡単。苗には何日で収穫ということが書いてあることが多いのでそれを参考にする。
 飛行船ラルクは30日(中大玉は40~50日)と短い。

 子ども達に送るふるさと野菜便の時期は、スイカの収穫時期と枝豆の収穫時期(時期が2週間と短い)に左右される。

 金曜日初めて収穫し、その晩に食べた。
 まだ、少し早いが早めのが柔らかくて、匂いも良い(枝豆は年中食べることができるが、味、匂いは全然違う)
 できれば朝取って、その日に食べるのが最高だ(これは作っているものの特権だ)

今日ふるさと野菜便を二人に発送した。

 中味は、小玉スイカ、枝豆、大玉トマト、ミニトマト、ナス(米なす含む)、キュウリ、甘トウガラシ
 
 送料が3820円かかった。中味の値段より、送料の方が高くなっているかもしれない。
 それでも送ることは、野菜づくりの中の大きな楽しみの一つとなっているので、元気なうちは続けたい。

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デフレ政策の残したもの 24.7.5

2024-07-05 14:12:23 | 面白い本はないか
 今日は5時前に起き、浅田次郎の「母の待つ里」を少し読み、6時過ぎに畑に収穫に出かけた(これについては後日書く予定)。

 朝食後、7時40分から城ヶ峰に出かけた(一週間に一回程度雁又山、池田山に出かける)。帰りに毎週金曜日に城ヶ峰の先の333m地点にある展望台まで出かけているOさんと出会い、しばらく立ち話。

 家に帰り、少しだけバラの手入れをした。長雨と高温で葉がたくさん落ちてしまった株が出てきた一方で元気に咲いているバラもある。

 昼寝のあと、涼しい部屋で今この文章を書いている。


 昨日日経の株価が最高値をつけた。かたや外国為替市場では、円は1ドル161円を上回っている。

 円安が進むのは、日米の金利差というのが今までの理解であったが、NISAによる円売りばかりではなく、今や日本経済、日本政府(含む日本銀行)に対する低評価のためとも言われる。

 ここではなぜ低金利0金利が続くのか考えてみよう。もちろん種本があり、今回は河村小百合「日本銀行我が国に迫る危機」(講談社現代新書)。

 その前に河浪武史「日本銀行の虚像と実像」を読んだが、危機の認識度が全く違う(河浪氏は日経新聞の記者、河村氏は経済学者の違い?)


 2000年末、2005年末、2022年末と日銀のバランスシートの膨張振りを示したもの(同書36ページ)

 安倍第二次政権が2012年に始まり、翌年就任した黒田日銀の総裁のもとで進められた大幅緩和・マネーストックの積み増し=国債の購入の結果、こうなってしまったのである。
  ※株価が大幅に上昇し、歓迎した面もあった、ことは認めざるを得ない。

 同時並行的に国債発行額は積み重なり、今や国の借金は1297兆円(GDPの2倍を軽く超える水準)となった。

 日銀のバランスシートの異常さは主要国中央銀行のそれと比べると異常さが際立つ。

 ヨーロッパ債務危機(ギリシャ、イタリア等々)を経験したECBでも日本の半分

 我が国はデフレを解消するためにこれほどまでの代償(国債残高及び日銀のバランスシートの大幅増)を払う必要があったのであろうか。もちろん、まだ真の代償は払っていない(円安は国民の大部分にとっては物価高という代償の一部となっているが)。

 大幅な金融緩和=低金利に日本経済とりわけ企業はなれきってしまったのではないか。本来であれば適正な金利を支払い、それが出来ない企業は淘汰される。競争を忘れた日本経済はますます世界的な地位を低下させている。この一因が低金利にあったのでないか(茹でガエル状態にあった)。

 しかし、金融正常化への道はハードルが極めて高い。一つは積み上がった国の借金。
  1980年代~1990年代後半まで国債残高は150兆円から300兆円まで増えた。この時の利払い費はおよそ10兆円。残高が1297兆円となった24年度予算では9.7兆円でほとんど変わっていない。
  金利が少し上がるだけで、国の利払い費は大幅に増える。こうなればプライマリーバランスの赤字はなくなるどころではない。

 もう一つは日銀の積み上がったバランスシートにある。日銀は多額の国債(589兆円、総額の45%)を所有しているが、そこに付けられている利息は平均で0.221%。借方にある当座預金には0.1%の利息を付けているのが200兆円あまりある。したがって金利を上げると日銀はたちまち赤字になってしまう。さらに所有している国債は帳簿上で減価(含み損1%上昇で28.6兆円)となってしまう。日銀の破綻を防ぐためには借金まみれの国が資金を注入するという笑えない事態に陥る。
 ※国債すなわち債券は、利子が上がると債券価格が上がるという関係にある。国債を償還期限まで持ち続ければ、額面での償還は保証される。

 我が国、そして国民はいずれ大幅緩和の代償(戦後すぐの預金封鎖、財産税の課税あるいはギリシャなどの例)を支払わなければならないと覚悟しておく必要がある。

 
  


 
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