断腸亭日乗で昭和4年と9年の世相を読むが収穫無し。
本当に大恐慌が来るなら昭和4年の世相は今と似ているはずであると考えたが大きな変化がなく安穏と暮らしている。荷風さんがそういうことに興味なくても友人や荷風さんの大好きな女給さんがそういう話題をするのを書き留めるはずだと思うがそうではなかった。ならばニューヨークの株が底辺になった昭和9年はいよいよ暗い世相が書いてあるかと読んでみたがこれまたそうでもない。相変わらず誰それと会った話か、医者に注射してもらった話などである。
余談だがその合間に季節の描写があってこれがいい。断腸亭日乗の値打ちはだれだれと会って何をしたかにあるのではなく、この季節の描写にあるのではないか。当時の東京には自然があったようである。ならば田舎に引きこもって日乗を書けばいいと思うが、そうでもないのだろう。服のデザインをする人は渋谷あたりに住んで消費者のそばにいないといけない。普通日記は読者を想定しないけど、荷風さんの日乗は読者を想定している、消費者である読者のそばにいないといけない。ために荷風さんこのあと10年くらいで戦災にあうことになった。
(昭和4年3/27)文春に荷風さん攻撃を受けたようである。ただしどんな攻撃であったかは記載がない。「余の名声と富貴とを羨み陋劣なる文字を連ねて人身攻撃をなせるなり。」とある。これにより荷風さんは今でいう芸能人と同じ立場であったと想像される。(この人攻撃されるようなこといっぱいしているではないか。脇が甘いなんてもんじゃない、堂々としてあろうことか自分の日記に書いているではないか。)文春(菊池寛創業)は今も昔(100年前)も変わらない。こういうことが大好きな人の心も今と昔で変わらない。またこういうところに儲けの種を見つけて事業化するのも今と昔で変わらない。
(昭和9年3/17)「賭博犯の嫌疑にて菊池寛其の他文士数名及び活動女優両三名警視庁へ呼び出されしと云う。」荷風さん頭にきて仕返しにこんな文を日記に草している。5年経っても恨みは残るようだ。
そこでわたくしの得た教訓。第一に富と名声と稀有な才能ある人でもヒトに根深い恨みを持つものであること。荷風さんわたくしとさして変わらない心根のヒトである。第二に「恩讐の彼方に」などの立派な道徳を小説にする人が女優と賭博をしていたのであるから、立派なことを喋る人を尊敬してはならないこと。立派なことを言う人と本当に立派な人を混同してはならないこと。わたくしは、どうもつまらない人を尊敬したようである。ここに気づいたことは大きかった。
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