前衛美術家の草間彌生さんが、昨年11月、文化勲章を受章されましたよね。
日本で評価が上がってきた…というか、知られるようになってきたのは最近のことのように思いますが、
ここ長野県松本市出身ということもあり、お名前と同時に、アメリカなど海外では高い評価を受けている方という認識は、随分前からありました。
2002年松本市美術館が建ったとき、草間さんのオブジェが造られましたが、
実はその時は、自然豊かな松本の町並みに合わないなぁ、なんて感じていました。
スミマセン(..)
今では美術館の誇り高きシンボルとなっています。
↓2016年11月6日撮影
だんだん有名になるにつれて、その人となりに興味を持ち始め(ミーハーです^^;)
生き方そのものに感動し、その魂に感銘を受けています。
改めて自伝を読んでみました。
「無限の網」
いいタイトルです。
心にズーンと染み入ってきます。
自伝のタイトルとしてこれ以上のものはないような気もします。
小説を書いていたという通り、文章も文学的で引き込まれますね。
28歳(1957年)ニューヨークに渡って大きく人生が開けますが、
さかのぼって、幼少時代のことも描かれています。
こんな幼い子が…
と思う恐怖の精神状態も原点にあるのでしょう。
草間さんに舞い降りてきた壮絶な人生と芸術は、草間さんそのもの。
凄まじいまでのエネルギーが芸術へと昇華されていきます。
これぞ本物の芸術家だと言えます。
そして、数々の展覧会の軌跡とともに、いくつもの賞賛された評論が添えられているのですが…
ま、自身の賞賛された評論の列挙なぞ、そんじょそこらの人が書いたら独りよがりな文章というものでしょう。
それが!
草間さんの場合は、全く嫌みになっていません。
それはなぜ?
それは自分に自信があるからすがすがしく感じるのでしょうか?
うーん、ちょっと違いますね。
自分を信じきっています。信頼しています。
迷いがない!
それが素晴らしいと思うのです。
心に残った文章の中のほんのほんの一部を抜粋します。
(第五部 日本に帰ってから の中の 百年後の一人のために より)
―― それは全方に燦然と輝く星。それを見上げれば、なおいっそう遠くに行ってしまうような、まぶしい星のたたずまいを仰ぎみて、自分の精神の力と、道を求める心の奥の誠実によって、人の世の混迷と迷路をかきわけて、魂のありかを一歩でも先へ近づける努力であった。
―― たとえば、労働者であろうと農民であろうと掃除人夫であろうと芸術家であろうと政治家、医者であろうと、その人々が今日より明日、明日より明後日と、自分の生命への輝きと畏敬に一歩でも近づけたなら、虚妄と暗愚の中に埋もれた社会の中で、それは人間として生まれた人間らしい一つの足跡となるのではないか。
87歳になられた今でも尽きないエネルギーには、尊さまで感じられます。
ますますのご活躍をお祈りいたします。
日本で評価が上がってきた…というか、知られるようになってきたのは最近のことのように思いますが、
ここ長野県松本市出身ということもあり、お名前と同時に、アメリカなど海外では高い評価を受けている方という認識は、随分前からありました。
2002年松本市美術館が建ったとき、草間さんのオブジェが造られましたが、
実はその時は、自然豊かな松本の町並みに合わないなぁ、なんて感じていました。
スミマセン(..)
今では美術館の誇り高きシンボルとなっています。
↓2016年11月6日撮影
だんだん有名になるにつれて、その人となりに興味を持ち始め(ミーハーです^^;)
生き方そのものに感動し、その魂に感銘を受けています。
改めて自伝を読んでみました。
「無限の網」
いいタイトルです。
心にズーンと染み入ってきます。
自伝のタイトルとしてこれ以上のものはないような気もします。
小説を書いていたという通り、文章も文学的で引き込まれますね。
28歳(1957年)ニューヨークに渡って大きく人生が開けますが、
さかのぼって、幼少時代のことも描かれています。
こんな幼い子が…
と思う恐怖の精神状態も原点にあるのでしょう。
草間さんに舞い降りてきた壮絶な人生と芸術は、草間さんそのもの。
凄まじいまでのエネルギーが芸術へと昇華されていきます。
これぞ本物の芸術家だと言えます。
そして、数々の展覧会の軌跡とともに、いくつもの賞賛された評論が添えられているのですが…
ま、自身の賞賛された評論の列挙なぞ、そんじょそこらの人が書いたら独りよがりな文章というものでしょう。
それが!
草間さんの場合は、全く嫌みになっていません。
それはなぜ?
それは自分に自信があるからすがすがしく感じるのでしょうか?
うーん、ちょっと違いますね。
自分を信じきっています。信頼しています。
迷いがない!
それが素晴らしいと思うのです。
心に残った文章の中のほんのほんの一部を抜粋します。
(第五部 日本に帰ってから の中の 百年後の一人のために より)
―― それは全方に燦然と輝く星。それを見上げれば、なおいっそう遠くに行ってしまうような、まぶしい星のたたずまいを仰ぎみて、自分の精神の力と、道を求める心の奥の誠実によって、人の世の混迷と迷路をかきわけて、魂のありかを一歩でも先へ近づける努力であった。
―― たとえば、労働者であろうと農民であろうと掃除人夫であろうと芸術家であろうと政治家、医者であろうと、その人々が今日より明日、明日より明後日と、自分の生命への輝きと畏敬に一歩でも近づけたなら、虚妄と暗愚の中に埋もれた社会の中で、それは人間として生まれた人間らしい一つの足跡となるのではないか。
87歳になられた今でも尽きないエネルギーには、尊さまで感じられます。
ますますのご活躍をお祈りいたします。