神が宿るところ

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吉田山 神宮寺 薬王院

2019-12-21 23:26:42 | 寺院
吉田山 神宮寺 薬王院(よしださん じんぐうじ やくおういん)。
場所:茨城県水戸市元吉田町682。茨城県道180号線(長岡水戸線)「台町」交差点から北へ約180mのところに参道入口があり、左折(西へ)、約190mで正面が「仁王門」。柵で閉じられているので、向かって右手へ進み、境内に入る。駐車場有り。
寺伝によれば、延暦年間(782~806)に第50代桓武天皇の勅願所として伝教大師(最澄)により創建されたという。「神宮寺」という寺号は、当寺院から北東に約800m(直線距離)にある常陸国三宮「吉田神社」(2018年3月10日記事)の神宮寺(別当寺)であったことによるもので、神社・寺院ともに格式が高く、常陸国の有力豪族である常陸大掾氏、常陸江戸氏といった当地領主から篤く庇護を受けた。現在、国指定重要文化財となっている本堂は、大永7年(1527年)焼失の後、享禄2年(1529年)に再建されたもので、室町期の建築手法を今日に伝えているという。中世以降は武家勢力との結び付きが強くなり、通称も「神宮寺」から「薬王院」と呼ばれるようになった。水戸が佐竹氏の支配下に入ると、常陸太田から真言宗「一乗院」を当寺院に移したため、長らく天台宗であったのが真言宗に改宗された。江戸時代になると、佐竹氏の移封により天台宗に戻され、水戸藩の菩提所として代々の水戸藩主の庇護が篤く、寺中6ヶ坊・末寺8ヶ寺・門徒11ヶ寺を擁する大寺であった。特に、第2代藩主・徳川光圀の帰依は深く、貞享5年(1688年)に本堂の大修理を行った。このとき、南向きであった本堂が東向きに変えられ、禅宗様の建物に変えられた(昭和43年の大修理により、様式は元に戻された)。また、京都「青蓮院門跡」の直末寺に復し、水戸藩内唯一の天台宗檀林所(僧侶の養成機関)としたという。なお、本尊は薬師如来で、藤原期のものともいう(茨城県指定有形文化財)。


天台宗薬王院のHP

水戸観光コンベンション協会のHPから(薬王院)


写真1:「薬王院」参道入口。寺号標(「桓武帝勅願所 吉田山薬王院」)


写真2:仁王門。茅葺の八脚門で、茨城県指定有形文化財。


写真3:本堂(薬師堂)。茅葺型銅板葺入母屋造。


写真4:回向堂


写真5:五輪塔。水戸藩初代藩主・徳川頼房の次男として生まれたが夭逝した松平亀千代丸のためのもの(水戸市指定重要文化財)。
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