神が宿るところ

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下総国分尼寺跡

2013-02-16 23:08:52 | 史跡・文化財
下総国分尼寺跡(しもふさこくぶんにじあと)。
場所:千葉県市川市国分4-19。和洋国府台女子中学校の南西辺り。駐車場なし。
「下総国分尼寺」は「下総国分寺」(現・「国分山 国分寺」)の北西約500mにあり、いわゆる「国分台地」の東に国分(僧)寺、西に国分尼寺が殆ど隣接して建てられていたようだ。しかし、「下総国分尼寺」のほうは現存せず、今は史跡公園になっている。
元々、この地は「昔堂」という地名で、古瓦の破片の散布地として有名な場所だったらしい。そこで、かつては、この地に「下総国分寺」があったとするのが一般的だったという。その場合、「下総国分尼寺」の想定地には諸説あり、例えば現・「真間山 弘法寺」がその後身ではないかとするものもあった。
しかし、昭和7年に行われた調査で、底部に「尼寺」と墨書された土器が発見されたことから、この地が「下総国分尼寺」の跡であることが判明した。昭和42年に行われた発掘調査により、東西25.5m×南北22.4mの金堂跡とされる基壇と、東西27m×南北19mの講堂跡とされる基壇が発見され、(若干ずれているが)南北直線上に金堂が南、講堂が北にある伽藍配置とされた(塔は元からなかったようだ。)。なお、更にその北側には尼坊などの関連施設があったと推定されている。
「下総国分尼寺」は、発掘調査の出土物から10世紀後半~11世紀頃までは存続したものとみられているが、その後の状況は全く不明である。廃絶後、荒廃した伽藍が瓦礫となり、近世には死んだ馬を廃棄する「馬捨場」になっていたという。


市川市のHPから(下総国分尼寺跡)


写真1:「下総国分尼寺跡」は公園になっている。


写真2:「史跡 下総国分尼寺跡」の石碑


写真3:礎石等はなく、金堂跡などの位置が示されているだけ。公園の中央から南側を見る。


写真4:公園の北側から見る。手前に金堂、奥に講堂があったようだ。奥に鉄柵が見えるが、公園を斜めに横切る道路があり、講堂はこの道路の上に建っていたらしい。


写真5:公園の北西端に「馬頭観音」を祀った石碑が並んでいる。「馬捨場」に捨てられた馬の供養をしたものだろうか。

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