神が宿るところ

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十三塚北面薬師跡(山寺跡)

2024-02-10 23:36:45 | 史跡・文化財
十三塚北面薬師跡(山寺跡)(じゅうさんづかほくめんやくしあと(やまでらあと))。
場所:茨城県石岡市小幡字十三塚。茨城県道42号線(笠間つくば線)と同150号線(月岡真壁線)の「小幡」交差点(コンビニエンスストア「セイコーマート「八郷小幡店」がある。)から、県道42号線を西へ約2.5km、「筑波霊園」の大きな看板の出ているところで右折、約400mのところが入口(カーヴミラーのあるところ。「筑波霊園」の東北端)で、西に少し上る。なお、県道からの入るところではやや広めの道路だが、途中で未舗装になり、北面薬師跡の入口からはかなり荒れているので、自動車は、手前の旧墓地分譲事務所(廃屋)前の広いところか、もっと手前の舗装道路端に駐車して行くのが安全と思われる。
寺伝によれば、延暦元年(782年)、法相宗の僧・徳一が「筑波山寺」(後の「筑波山 中禅寺」、現・「筑波山 大御堂」(2020年9月26日記事))を創建したとき、その守護として筑波山の周囲4ヵ所に薬師如来を配置した(「筑波四面薬師」)が、その1つ「北面薬師 十三塚山寺」として建立されたという。ただし、「八郷町史」(2005年)では、実際には、明徳元年(1390年)に慶珍僧都が開山したのが始まりのようであるとしている。小幡は、常陸府中(現・石岡市府中など市街地)方面から筑波山への参詣のための東側参道沿いで、古くから宿場町として栄えた(県道42号線を更に西へ進むと「風返峠」に至る。)ため、「十三塚山寺」も隆盛したが、その後衰えた。明治42年には、明治40年の石岡市街地の大火で焼失した「常陸国分寺」の本堂(薬師堂)として移築され(「常陸国分寺」(2018年1月20日記事の写真5)、本尊の薬師如来像は小幡宿の「薬王院」に移された。その後も、露座の石造不動尊像への参拝者があったが、現在ではすっかり寂れ、僅かな石仏・石碑等が残るのみとなっている。
なお、地名(小字)の「十三塚」であるが、全国各地にあり、十三仏に準えて、塚に経文などを納めて供養したものとされ、村境や峠道に多いといわれている。当地では、戦国時代末期、北条氏方の小田城主・小田氏治(天庵)と佐竹氏方の片野城主・太田資正(三楽斎道誉)が戦った時の死者を当時の地頭・小幡道三が葬ったところで、多くの小さな五輪塔が建てられていたという。ただし、当地には、いわゆる「12匹の猫と大鼠の伝説」もあって、こちらのほうが有名らしい。その伝説とは、「1人の僧が筑波山を下りてきた。日暮れて、近くに寺はないかと村人に尋ねたところ、近くに無住の寺があるが、泊まれるようなところではない。何か怪しいものが棲みついていて、泊って帰ってきた者はいない、と止められた。僧は、そのような場所こそ、修行する者に相応しいと言って、その寺に行った。さて、寝ようとしたときに1匹の猫がやってきて、この寺には大きな化け鼠が棲んでいて、それが人を喰ってしまう。猫のプライドにかけて退治したいが、1匹では無理なので、あと11匹の猫を連れてきてもらえれば、大鼠と戦うことができる、と話した。そこで、僧が里に下りて11匹の大きな猫を連れてきて、読経すると、猫たちは寺の奥の方に入っていった。夜中になると、寺の中でドタバタと大きな音がしたが、やがて静かになった。朝になって見に行くと、11匹の猫と巨大な金毛の鼠が死んでいた。僧と村人たちは、12匹の猫と大鼠の塚を築いて供養した。これが十三塚の由来である。」(適宜要約)というものである。類話も各地にあるようだが、当地では、戦国時代の領主・小田氏(源頼朝の重臣・八田知家を祖とする名門)と佐竹氏方の諸将との戦いを暗示したものとする説もある。その場合、小田氏を大鼠=悪役とする扱いだが、僧や村人からすれば、どちらも共倒れになる末路を示唆したものという、穿った見方もできるようだ。

筑波四面薬師 薬王院(つくばしめんやくし やくおういん)。通称:小幡薬王院。
場所:茨城県石岡市小幡849。「小幡」交差点から西へ約900m、重複している県道42号線と同150号線が分岐する直ぐ手前(東側)のところに参道入口がある。駐車場有り。
寺伝では応永9年(1402年)、宥衡により開山。慶長年間(1596~1615年)、宥鑑の代に再興されたが、文化12年(1815年)に火災により焼失、明治2年再建。真言宗豊山派「筑波山 薬王院 光明寺」と称したが、現在は宗派に属さない単立寺院となっている。本尊:薬師如来。


写真1:「十三塚北面薬師跡」。地に落ち、薄れかけた説明板には「筑波北面薬師堂聖址」とある。


写真2:同上、池跡?


写真3:同上、石仏等。


写真4:同上、石造不動尊像。


写真5:「筑波四面薬師 薬王院 参道口」石柱


写真6:「薬王院」本堂

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