神が宿るところ

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諏訪神社(山形県川西町)

2016-04-13 23:32:07 | 神社
諏訪神社(すわじんじや)。
場所:山形県東置賜郡川西町大字上小松字若松沢5161。JR米坂線「羽前小松」駅前から山形県道8号線(川西小国線)を西へ約1.5km進み、川を越えたところで右折(北へ。「諏訪神社」の社号標がある。)、次の交差点を左折(北西へ)、正面に鳥居が見える。駐車場あり。
当神社の創建は不明。出羽国の守護神として信濃国一宮「諏訪大社」の分霊を勧請したものといわれ、和銅年間(708~715年)に社殿が造営されたという。「日本三代実録」貞観12年(871年)記事に「白磐神、須波神に従五位下を授ける」とあるが、そのうちの「須波神」が当神社のことであり、いわゆる「国史現在社」であるとする。武人の神として歴代の領主の崇敬が篤く、特に、伊達政宗は、社殿を造営し社領を寄進して「羽前国総鎮守」と定めたという(ただし、「羽前国」というのは明治初年に「出羽国」を分割してできたので、当時の表現ではないと思われる。)。伊達政宗が天正19年(1591年)に米沢城72万石から岩出山城58万石に減転封になり、新たな領主となった蒲生氏郷から社領を取り上げられたため一時衰微したものの、慶長6年(1602年)に上杉景勝が入部すると社領50石が認められたという。明治5年、郷社に指定。現在の祭神は、健御名方富命・八坂刀責命ほか。
当神社の近くには「下小松古墳群」(古墳総数179基)、「天神森古墳」(東北最大級の前方後方墳)、「道伝遺跡」(置賜郡衙跡?)という重要な遺跡がある。また、当神社参道と並行して走っている山形県道250号線は、かつて「越後米沢街道」と呼ばれ、越後国(現・新潟県)との主要な街道であった。そして、当神社に因んで名づけられた「諏訪峠」は、「越後米沢街道」の「十三峠」の最初の峠であり、当神社は街道の入口にあって交通安全の神でもあったと思われる。そして、信濃国から「諏訪大社」(信濃国一宮)を奉じる人々が日本海を経由して当地に移住してきた、ということは十分考えられる。ただし、当神社が上記の「日本三代実録」貞観12年記事の「須波神」かどうかについては根拠が薄弱で、何とも言えないところである。


写真1:「諏訪神社」鳥居。額は「正一位諏訪大御神?」。参道の杉並木は樹齢300年を超えるといわれ、山形県誕生110年を記念して選定された「グリーンやまがた110景」に選ばれた。


写真2:約220mの参道を進んで石段を上ると、社殿が見えてくる。参道は北西~南東方向に延びているが、社殿は南向き。


写真3:立派な拝殿


写真4:装飾を凝らした本殿
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