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横山遺跡(秋田県由利本荘市)

2015-10-24 23:23:30 | 史跡・文化財
横山遺跡(よこやまいせき)。
場所:秋田県由利本荘市福山字横山。秋田県立大学本荘キャンパスから北へ約800m。駐車場なし。
「横山遺跡」は9世紀前葉~10世紀初頭の平安時代の水田集落跡で、平成13年の発掘調査により水田跡19面、水路跡5条、竪穴建物跡2棟、掘立柱建物1棟のほか、土師器・須恵器、炭化米、籾殻等が見つかっている。水路を整備して水田を拡げた様子が窺えることなど、古代の水田開発の推移を知ることができる貴重な遺跡として、平成15年に秋田県史跡に指定された。なお、この水田集落は、延喜15年(915年)に降ったとされる十和田火山噴火の火山灰の下から発見され、この降灰等のために廃絶していったと推定されている。
そして、「横山遺跡」の南に秋田県立大学本荘キャンパスがあるが、その北西辺の「大覚遺跡」で古銅印(10世紀以降)、南側の「上谷地遺跡」からは竪穴建物跡、掘立柱建物跡、井戸跡など平安時代の集落跡が発見されている。特に、「上谷地遺跡」は、昭和6年に地元新聞「本荘時報」に無数の角材が埋没しているのが発見されたとの報道があり、「由理柵」跡の有力な擬定地ともなっていた。その後の調査では柵木といえるものは発見されなかったが、斎串・形代等が出土し、祭祀施設があったことが確認された。
「由理柵」は古代城柵の1つだが、「続日本紀」宝亀11年(780年)条に「…又由理柵者。居賊之要害。承秋田之道。亦宜遣兵相助防禦…」(意訳:「由理柵は賊に対する重要な拠点であり、秋田への道を支えるものであるから、兵士を送り秋田城と助け合って守るようにせよ。」)とあるのが唯一で、その跡地は未だ発見されていない。ところで、承平年間(931~938年)に編纂された「倭名類聚抄」によれば、出羽国飽海郡に「由理郷」があった。また、延長5年(905年)成立の「延喜式」には、古代官道の「東山道」駅路に「由理」駅家があった。そして、現在も「由利本荘市」という遺称地がある(現・秋田県にかほ市も近世「由利郡」内であるが、こちらには「蚶方(蚶形)」という駅家があった。)。これらのことから、「由理柵」について次のような推定がなされている。
1.現・山形県庄内地方から「秋田城」(現・秋田県秋田市)に向かう中継地に、軍事拠点があった。
2.「城」ではなく、「柵」なので、「秋田城」よりは小規模だった。
3.郡名ではなく、郷名が付けられているところから、「飽海郡家」とは別の場所にあり、郡家の管轄外(国の直轄)だった。
4.「東山道」の途中にあり、「由理」駅家も併設されていた。
5.所在地は、現・秋田県由利本荘市内のどこか。
これらは、絶対ではないが、概ね妥当な推定と思われる。ただ、ピンポイントの所在地までは不明で、子吉川左岸(南岸)の現・由利本荘市古雪町(ふるゆきまち)が「古柵(ふるき)」または「古木」に由来する地名との伝承があり、「由理柵」のあった場所であるというのが有力説。城柵に相応しい高台ということであれば、古雪町の南、約900mにある通称「蟻山台」~東南、約1kmにある通称「尾崎山」(中世の旧・「本荘城」(現・本荘公園))辺りであろうとされる。一方、上記の「横山遺跡」・「上谷地遺跡」・「大覚遺跡」等は子吉川の右岸(北岸)側となる(因みに、「古雪」という地名は、慶長3年(1597年)頃までは右岸(北岸)側にあったともいう。)。
また、最近、注目されているのが、現・由利本荘市西目町西目の「客殿森遺跡」と「井岡遺跡」。現・由利本荘市中心部からは南に約7km離れた場所にある、連なった丘で、西側に水田が広がるが、江戸時代に「西目潟」といわれた浅瀬を干拓したところ。潟を見下ろす高台となる「井岡遺跡」からは、多数の墨書土器、掘立柱建物跡などが出土した。特に、1辺約1mの四角形に近い柱状穴跡2ヵ所で発見され、柱自体は発見されなかったが、残っていれば直径20~30cm程度のものと推定されるという。これは一般集落の建物跡ではなく、平安時代初期の役所関連施設に多い形状とのことで、他の出土物とあわせ、何らかの官衙跡であるとされている。
ところで、「横山遺跡」等や「井岡遺跡」等は、近くに「日本海東北道路」が通っている(旧・「本荘城」は少し離れているが、由利本荘市の中心部にあるため、自動車道のほうが迂回しているともいえる。)が、これは偶然ではないようだ。つまり、現在、現・山形県庄内地方から現・秋田県秋田市に向かう幹線道路である国道7号線は殆ど海沿いを通っているが、古代には、官道(駅路)は(安全な)もっと山側を通っていたと考えられ、「高速道路」という目的のために、同様なルートになったと思われる。


秋田県教育庁のHPから(秋田県遺跡地図情報(上谷地))


写真1:「横山遺跡」


写真2:「上谷地遺跡」付近。奥に土手のように見えるのが日本海東北自動車道。(場所:由利本荘市土谷字上谷地)


写真3:同上。右手が自動車道で、奥に見えるのが秋田県立大学本荘キャンパス。


写真4:「本荘公園」(「本荘城」跡。)の大手門(復元)(場所:由利本荘市尾崎。駐車場有り)


写真5:同上、本丸跡付近から北側(子吉川方面)を見る。右手の大きな建物が由利本荘市役所。


写真6:「客殿森遺跡」。現在は、小丘全体が個人宅の模様。(場所:由利本荘市西目町西目字客殿)


写真7:井岡集落の中央。きれいな星型の五差路になっている。(場所:由利本荘市西目町西目字井岡)
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