太子古墳(たいしこふん)。通称:太子の唐櫃(かろうど)。
場所:茨城県かすみがうら市安食734-1。茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)「馬場山」交差点から東へ約4.6km、「→太子古墳」という案内板がでているところで右折(北西へ)、約60m。駐車場なし。
「太子古墳」は、元は全長約60mの前方後円墳だったとされているが、現在は墳丘の殆どが削平され、横穴式石室のみが露出している。明治23年、開墾の際に横穴式石室が発見され、直刀・刀子・銀環・須恵器等が出土したとされている。明治28年、小室竜之助によって「東京人類学雑誌」に発表され、翌29年に大野延太郎(雲外)によって「奥壁ハ全面朱塗リニシテ左右両側壁ニハ朱ノ丸数個画キアルヲ認メタリ」と同誌に発表された。所謂「装飾古墳」であるが、現在では彩色は殆ど確認できないようである。南側に開口した横穴式石室は、全長約3.8m(羨道部約1.5m+玄室約2.3m)で、両側壁とも2個の石で組まれ、奥壁は高さ約1.3mの一枚岩が使われている。おそらく後円部に築かれたものと考えられており、築造時期は7世紀前半と推定されているという。昭和52年、茨城県指定史跡に指定。
なお、前方後円墳で「装飾古墳」は東国には少なく、九州北部に多く見られるとのことで、あるいは当地にも九州北部出身の有力者がいたのかもしれない(茨城県内での装飾古墳の代表例である「虎塚古墳」(2028年6月16日記事)参照)。
因みに、この古墳が「太子」と結び付けられた由来は不明だが、聖徳太子(厩戸豊聡耳皇子命)は推古天皇30年(622年)に亡くなっているので、時期的にはちょうど合うことになる。
写真1:「太子古墳」入口と説明板。個人住宅の庭の一部が見学できるように整備されている模様。
写真2:石室
写真3:同上
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