神が宿るところ

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筑波山神社(常陸国式内社・その27の1)

2020-09-12 23:40:28 | 神社
筑波山神社(つくばさんじんじゃ)。
場所:茨城県つくば市筑波1。茨城県道14号線(筑西つくば線)から同42号線(笠間つくば線)に入り、東へ約3.5km、「神社入口」交差点から朱色の大鳥居を潜り、約350mで駐車場(有料)入口。更に約80m進と参道入口だが、車道は行き止まりになる。その先に境内鳥居、神橋、随神門などがあり、拝殿に至る。本殿は、筑波山の東西の峰にある。
「筑波山神社」は「延喜式神名帳」登載の式内社であるが、1社2座で、1座が名神大(社)、もう1座が小(社)という珍しい形になっている。論社はないが、写真も多くなったので、2回に分けることにした。
創建時期は不明。筑波山は標高877mと低いにもかかわらず「日本百名山」にも選ばれるなど姿が美しく、人が定住し始めた頃から信仰の山であったとされる。「常陸国風土記」(奈良時代初期)にも「筑波岳」山上に「筑波神」がいることのほか、「西の峰は険しく、雄の神といって登ることができない。東の峰も岩山だが、春と秋には男女が集まって登り、歌垣を行う」(意訳・一部省略)というような記述がある。このように2つの峰があることが古くから意識され、「六国史」でも「筑波男神」・「筑波女神」との記載があり、これを伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冊尊(イザナミ)に当てるようになり、現在の祭神もそのようになっている。筑波山中腹にあるのは拝殿で、西峰(男体山)山頂に筑波男神、東峰(女体山)山頂に筑波女神を祀った本殿が鎮座している。なお、「六国史」等の記事を追えば、「日本紀略」弘仁14年(823年)条に「霊験頻著のため常陸国従五位下筑波神を官社とする。」、「続日本後紀」承和9年(842年)条に「常陸国無位筑波女大神に従五位下を授ける。」、「文徳天皇実録」天安2年(858年)条に「常陸国筑波山神二柱に四位を授ける。」、「日本三代実録」貞観12年(870年)条に「常陸国従四位上筑波男神に正四位下、従四位下筑波女神に従四位上を授ける。」、同貞観13年(871年)条に「常陸国正四位下筑波男神に従三位を授ける。」、同貞観16年(874年)条に「常陸国従四位下筑波女神に従四位上を授ける。」とみえる。
祭祀については、元々は「常陸国風土記」筑波郡の条にみえる采女臣(ウネメノオミ、物部氏系)の一族である筑箪命(ツクバノミコト)が初代筑波国造に任じられて以来、筑波国造が祭政一致で奉仕したとされる。平安時代に入ると、法相宗の僧・徳一が「筑波山 知足院 中禅寺」を開き、それ以降は神仏混淆が進み、江戸時代には寧ろ仏教中心の霊地となっていたらしい。これには、江戸の鬼門(北東)封じの意味合いから、「中禅寺」あるいは「筑波両大権現」が徳川幕府から篤く庇護されたこともあるようだ。それが、明治維新の廃仏毀釈により「中禅寺」は廃寺となり、その伽藍の跡地に現在の当神社の拝殿が建立されたという。当神社の御利益としては、現在の祭神である筑波男神(伊弉諾尊)・筑波女神(伊弉冊尊)が国産みの神であることから、縁結び、夫婦和合、子授け・子育てなどとなっている。


筑波山神社のHP


写真1:「筑波山神社」一の鳥居。通称:「六丁目鳥居」(場所:茨城県道139号線(筑波山公園線)沿い、境内入口前から約800m下る。)。宝暦9年(1759年)建立で、今は無いが、嵯峨大覚寺門跡・寛深法親王筆による「天地開闢 筑波神社」の額が掲げられていたという。


写真2:一の鳥居の脇の石柱(「是よ里山上」)。ここから上が神域となっている。


写真3:境内入口の鳥居


写真4:随神門


写真5:拝殿前の石段、社号標


写真6:拝殿。登山ウエアの参拝客が多い(注:新型コロナ流行前の写真です。)。


写真7:境内の万葉歌碑の1つ。「萬葉集」には筑波山に関する歌が25首あるとのことで、このほかにも歌碑多数。


写真8:登山道「御幸ヶ原コース」の登り口。徒歩で登ると「御幸ヶ原」(東西峰の間)まで約90分。距離は短いが、かなり急で、結構しんどい。少し奥にケーブルカー「宮脇」駅があり、これに乗ると、わずか8分。


写真9:西峰(標高871m)の山頂にある「男体山本殿」。「筑波男大神」を祀る。「御幸ヶ原」から登山道を約15分。これもきつい登り。


写真10:同上、正面


写真11:「セキレイ石」。この石の上に鶺鴒(セキレイ)が留まり、男女の道を教えたという。「御幸ヶ原」から東の峰に向かう途中にある。


写真12:「ガマ石」。古来「雄龍石」と呼ばれていたが、蝦蟇(ガマ)に似ていて、この石の前で永井兵助が有名な「ガマの油売り口上」を作ったということで、「ガマ石」と呼ばれるようになったという。小石を投げてガマの口の中に入ると出世する、らしい。
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