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神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

近津神社(茨城県大子町上野宮)

2025-07-12 23:33:57 | 神社

近津神社 (ちかつじんじゃ)。通称:上野宮近津神社。
場所:茨城県久慈郡大子町上野宮3208。茨城県道28号線(大子那須線)「町付橋」交差点から県道を西~北西へ約4.3km(鳥居前)。駐車場なし。なお、鳥居前から東へ約100m(八溝川に架かる橋を渡ってすぐ右側)の狭い道路に入り、東~北東へ進み、突き当り左折(北西へ)すると(約240m)、境内に入れる。
社伝等によれば、慶雲4年(707年)、池田鏡山城主・藤原富得の勧請により創建。征夷大将軍・坂上田村麻呂が八溝山の賊・岩竹丸を討伐する際に参籠した。源義家が奥州征伐の折に参籠祈願し、「依上保」(陸奥国白河郡依上郷の荘園)三千貫文を寄進した。「依上保」は、室町時代の文明年間(1469~1487年)以降、白河結城氏の家臣である深谷氏が町付城(獅子城)の城主として支配しており、永正3年(1506年)にいったん常陸太田城主・佐竹義舜(佐竹氏第15代)に降ったものの、その後再び白河結城氏側について佐竹氏と戦ったが、永正18年(1521年)、佐竹義篤(佐竹氏第16代)に敗れ、その後は佐竹氏の支配地となり、常陸国に組み込まれたという。当神社は、字「本宮」という場所にあったが、永禄13年(1570年)に現社地に遷座した。江戸時代には水戸徳川家の庇護を受けて社領は10石、享和2年(1802年)に社殿を造営。明治40年に村社、大正12年に郷社に列格した。現在の祭神は、面足命・惶根命・級長津彦命。


写真1:「近津神社」参道石段


写真2:社号標


写真3:鳥居


写真4:随身門


写真5:手水舎の水盤。ライオン?がユニーク。


写真6:社殿前のスギの巨木2本。いわゆる「門杉」だが、綺麗に揃っている。


写真7:拝殿


写真8:拝殿・本殿


写真9:境内社「稲荷神社」

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