神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

白山神社(秋田県湯沢市松岡)

2016-08-13 23:42:29 | 神社
白山神社(はくさんじんじゃ)。
場所:秋田県湯沢市松岡字聖ヶ沢42。秋田県湯沢市市街地から秋田県道278号線(雄勝湯沢線)で西に向かい、「湯沢松岡簡易郵便局」付近(郵便局自体は県道に面していない。「白山女神像→」の案内板がある。)で右折(北西へ)、道なりに約600mで「白山神社」の鳥居前、登山道の入口に着く。駐車場あり(鳥居の先)。社殿は「白山」(標高289m)の山頂にあり、登山道を約20分。
創建年代不明。伝承によれば、大同年間(806~810年)、当地の洞窟に隠れて各地を荒らしまわっていた蝦夷の首領「阿黒王(悪路王)」を退治した記念として坂上田村麻呂将軍が建立したという。祭神は、伊邪那美命と菊理媛命。「白山(姫)神社」は一般に、加賀国一宮「白山比咩神社」を総本宮として勧請されたもので、古代から加賀国と出羽国は日本海の海上交通を通じて交流があったから、当然その流れを汲むものだろう。当神社は早くから神仏混淆していたらしく、現在の鳥居の右手奥に真言宗「松岡寺」(後に「満福院」。明治期に廃寺。)が別当寺としてあり、宿坊が18坊あったという。現在も登山道の途中に石仏が多く残っている。「満福院」跡の更に奥、通称「構え森」というところからは、寿永3年(1184年)と建久7年(1196年)の銘が入った経筒が出土した。前者には「藤原尼殿」、後者には「藤原女人」と刻まれていて、おそらく近くの銀山を支配していた奥州藤原氏の関係者だろうとみられている。こうしたことから、田村麻呂将軍建立の伝説はともかくとして、当神社も平安時代には既に存在していたはずである。当神社には菊理媛命の像とされる木像が残されていて、秋田県の有形文化財に指定されている。欅(ケヤキ)の一木造で、鉈(ナタ)彫り、足下に用材の株を残す所謂「立木仏」であるなど珍しい特徴があり、古風な様式から、やはり平安時代末期頃の作とされている。御開帳は毎年8月19日の祭礼日のみとなっているが、秋田県立博物館(秋田市)にレプリカが常設展示されている。なお、「白山神社」の不思議な話として、旧暦の5月4日の夜には、雄勝郡内の稲荷神社の狐が提燈に火を灯して四方八方から「白山」に集まるため、この狐火が「白山神社」まで行列をなしていたといい、大正15年頃までは見られたという。
さて、県道278号線を更に西に進み、冬季閉鎖区間手前の切畑地区には「阿黒岩」という、約800万~600万年前の海底火山の活動によってできた凝灰岩の大露頭がある。ここは、田村麻呂将軍が「阿黒王」を退治した場所といい、「阿黒王」の旗を切ったところ、霧が晴れたので「切畑」という地名になったという。崖の中腹の岩穴には「阿黒王神社」の祠が安置されているらしいのだが、道がはっきりせず、たどり着けなかった。


秋田県神社庁のHPから(白山神社)

「ゆざわジオパーク」のHPから(山田)


写真1:「白山神社」鳥居


写真2:登山道途中の祠。このような祠や堂が多数ある。


写真3:「白山神社」社殿


写真4:登山道入口付近にある「白山女神像」の写真。木の根から女神が生まれてきたような造りになっている。


写真5:「阿黒岩」付近の壊れた鳥居


写真6:同上、岩の崖。岩の層がはっきり見える


写真7:「切畑阿黒王名水」。平成24年まで簡易水道として使われていた清らかな湧水。癖がなく、美味しい水だった。

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