神が宿るところ

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七高神社(秋田県にかほ市)

2014-11-08 23:11:23 | 神社
七高神社(しちこうじんじゃ)。
場所:秋田県にかほ市院内字城前64。国道7号線「(仁賀保)郵便局前」交差点から秋田県道32号線(仁賀保矢島館合線)に入って南下、途中で秋田県道289号線(上郷仁賀保線)に入り、最初の交差点を左折(東へ。「国保院内診療所」方面)、約500m。駐車場有り。
社伝によれば、創立年代は不詳であるが、天平17年(745年)に「鳥海山」が噴火した際、「鳥海山」に祀られた神霊を合祀したといい、現在の祭神は大己貴命、大物忌命など5柱。「鳥海山」は活火山で、これまでも度々噴火して古代からの記録も多いが、現在の最高峰(標高2,236m)は享和元年(1801年)の噴火によってできた「新山」(別名:享和岳)で、それ以前は「七高山」(2,229m)が最も高かった。よって、「七高山」=「鳥海山」であり、「七高山」そのものを神体として崇敬してきたものと思われる。当初、現・鎮座地の北西の「〆掛(しめかけ)」の地に勧請され「国一殿」(=出羽国第一の神社)とも呼ばれたが、中世末に仁賀保氏の祖・大井伯耆守友挙が「山根館(城)」(現・にかほ市院内字古舘)を居館としたことにより、「山根館」に近い堂庭という地に移され(現・にかほ市院内字赤坂沢に跡地があり、現在も礎石等が残されているとのこと。)、仁賀保郷53ヵ村の総鎮守として信仰された。また、「鳥海山」登拝口として「院内口」が開かれ、真言宗「七高山 極楽寺」(本尊:十一面観音)が当神社の別当かつ院内修験の学頭寺として近世中期には18坊を支配した。現・鎮座地に移されたのは延宝8年(1680年)という。
現在も正月七日中に行われる「御門松神事」などの年占神事は秋田県指定無形文化財に指定されており、その満願日(七日)には獅子頭(「権現様」という。江戸時代初期のものが保存されており、これは秋田県指定有形文化財。)が村内を巡行する。この神事は、かつては周辺地域で広く行われていたようで、次のような話が伝わっている。あるとき、院内の獅子が吹浦の獅子とが出会って喧嘩をした。吹浦の獅子の耳は噛み落とされ、院内の獅子の歯は欠け落ちた。それで、この耳と歯を供養して埋めて祀ったのだが、それ以来、吹浦の獅子が当村を通るときには幕を被せて覆い隠して通り過ぎた、という。
また、当神社の境内のタブノキに草鞋が吊り下げられているが、当神社から先が「鳥海山」の聖地であるため、村から履いて来た草鞋を脱いで新しいものに取り替えて登拝し、下山したときにその草鞋を木に架けたのが本来であると伝える。このように、古式を良く伝えている、貴重な神社といえるだろう。


秋田県神社庁のHPから(七高神社)

にかほ市のHPから(堂庭七高神社跡)


写真1:「七高神社」参道入口に社号標


写真2:石段の途中の鳥居


写真3:社殿


写真4:社殿脇の樹木に掛けられた草鞋


写真5:「三社殿」。覆屋の中に「相馬太田神社」、「古峯神社」、「菅原神社」を祀る。現在地に遷座した際に、旧社殿の古材が多く使用されているといわれ、中世建築の面影がみられるという。


写真6:「一の鳥居跡」。旧社地の鳥居があったところといい、年占神事の中心行事である「御門松神事」が行われる神聖な場所という。なお、この写真を撮ったのは朝7時頃で、ちょうど正面に陽が昇ってきた。

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