神が宿るところ

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高椅神社(下総国式内社・その6)

2012-07-21 23:25:42 | 神社
高椅神社(たかはしじんじゃ)。
場所:栃木県小山市高椅702。JR水戸線「東結城」駅の北、約4.5km。栃木県道35号線(宇都宮結城線)と同214号線(福良羽川線)が交差・重複している付近。駐車場有り。
社伝によれば、景行天皇41年(111年)、日本武尊東征の折、当地に旗を立て、国常立尊、天鏡尊、天萬尊の3神を勧請して戦勝祈願したのを創建とする。現在の主祭神である磐鹿六雁命(イワカムツカリ)は、崇神天皇により各地に派遣された四道将軍の1人である大彦命(オオビコ)の孫で、景行天皇の侍臣。景行天皇が日本武尊東征の戦跡を巡視した際に随行していたが、老齢の故をもって当地に留まった。その後、イワカムツカリの子孫は「高橋朝臣」の姓を賜り、天武12年(684年)に社殿を建て、祖神を祀ったとされる。
「はし」の字が「椅」になっているが、神社名が高橋氏に因むことは間違いないだろう。日本武尊が祀ったという国常立尊などは「記・紀」にも登場するが、日本神話の根源神で、人格のない、いわば哲学的な神様である。古社でこの神を祀る神社はないと言われており、創建伝承は疑わしい。しかし、当神社の北、約1kmのところに「白旗の丘」があり、これは前方後円墳であって、日本武尊が旗を立てた場所だと伝えられる。「はし」という言葉は、柱(はしら)、階(きざはし)、梯子(はしご)と同語源で、長い木に関係があり、また、端(はし)とも関係がありそうである。旗を立てるということは、軍事的な意味が意味もあるだろうが、神社の根源的な形が「柱を立てる」ことであったという説もあるから、当地が古くから聖地だったのではないだろうか。
なお、イワカムツカリは景行天皇に随って安房国に来たとき、堅魚と蛤を膾に調理して献上したところ、天皇は大変喜ばれ、以来、イワカムツカリの子孫が宮中の大膳職を世襲したという。このことから、イワカムツカリは料理の神様としても信仰されている。因みに、栃木県を中心にした地方食である「しもつかれ」は、「酢憤(すむつかり)」が訛ったものらしい。
長元2年(1029年)、境内に井戸を掘ったところ、大きな鯉が出たため、霊魚として宮中に献上した。これは霊異であるとして「日本一社禁鯉宮」の勅額を賜った。以来、氏子は鯉は食べず、鯉の絵のついた器物を使わないという。現在でも、鯉を食べないだけでなく、5月に鯉のぼりも立てないらしい。よって、当社の別名を「鯉の明神様」という。
中世以降、(下総)結城氏の篤い崇敬を受けたが、結城合戦(1440年)の戦火に遭い、社殿は大破し、古文書・宝物類も散逸した。しかし、その後も修理を重ね、現在の社殿は平成8年に建て替えられたものであるという。


「延喜式内 高椅神社」のHP

栃木県神社庁のHPから(高椅神社)


写真1:「高椅神社」境内入口。社号標は「延喜式内 縣社高椅神社」


写真2:楼門(明和7年:1770年再建)は栃木県指定建造物(文化財)。その前の銅板張りの鳥居も立派。笠木の反りが特徴的。


写真3:社殿。扁額は「正一位高橋大明神」となっている。


写真4:神社の南にある「鯉の明神池(千年池)」
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