神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

鬼塚(茨城県鹿嶋市)

2022-10-15 23:32:32 | 史跡・文化財
鬼塚(おにつか)。
場所:茨城県鹿嶋市下津209-1。国道124号線「下津入口」交差点から北東へ約1.7km。駐車場なし。
常陸国一宮「鹿島神宮」の東に「高天原」がある。現在も町名として「高天原」が存在するが、かつては現・鹿嶋市宮中から同・平井までの広い地区であったようで、砂丘に松林が散在する場所であったらしい。「鹿島神宮」の参道は西側から境内に入り、楼門を抜けて東(やや北東)に進む。社殿は参道の南側にあって、北向きに建てられている。参道は更に真っ直ぐ進んで、「奥宮」に至る。その北に「御手洗池」、南に「要石」がある。そして、その参道を境内の外に伸ばした先(社殿から約2.4km)に「鬼塚」がある。今では雑木に覆われて形がわからないが、「鹿島町史」(1972年)では、全長85m・高さ12mの長楕円形の有段古墳であるとしている。
伝説によれば、「鬼塚」は武甕槌神(「鹿島神宮」の祭神)が逆賊である鬼を討ち、鬼の首を埋めた塚で、その流れ出た血により今でも土の色が赤いという。あるいは、武甕槌神が国見をした丘であるといい、今でも「鬼塚」のある一画は「鹿島神宮」の飛び地境内で、明治維新までは新嘗祭が行われていたとされる。また、第16代・仁徳天皇の頃(5世紀前半?)、国摩真人(くになづのまひと)という人が祭壇を築いて日夜祈祷した末に武甕槌神から神妙剣という極意を授けられたといい、これが刀術の最初であり、鹿島古流と呼ばれ、後に戦国時代の剣豪・塚原卜伝の鹿島新當流につながるという。このように、あまり知られてはいないが、「鹿島神宮」所縁のパワー・スポットの1つとなっている。
蛇足1:上記のように、「鹿島町史」では古墳としているが、「いばらきデジタルマップ」では中世の塚となっていて、現地案内板でも「小高い丘」で、古墳とは書かれていない。
蛇足2:「常陸国風土記」香島郡の条に「高天原(たかあまのはら)から降りてきた大神の名を香島天之大神という。」(現代語訳)とあって、鹿島大神=武甕槌神が高天原からやってきたことになっているが、高天原がどこか、ということについて諸説ある。もちろん、天上界という説もあるが、地上のどこか、という説が有力で、九州や大和国(現・奈良県)など西日本が多い。中には関東地方とする説もあって、例えば新井白石は常陸国多珂郡(旧・茨城県多賀郡)であるとしている。なお、当地の「高天原」は「高間ヶ原」とも書かれ、赤い土に小石が混じる原ということで「赤間原」、または松林がある原の「高松原」が訛ったものという説もある。


写真1:「鬼塚」


写真2:説明板。右側の小径を奥に進む。


写真3:数分進むと、雑木林の中に祭壇のようなものが見える。この祭壇と柵は住友金属工業(現・日本製鉄)が設置したらしい。


写真4:その背後が小丘になっているのがわかる。

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