神が宿るところ

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大枡神社

2023-03-11 23:32:02 | 神社
大枡神社(おおますじんじゃ)。
場所:茨城県行方市山田3023。茨城県道2号線(水戸鉾田佐原線)と同183号線(山田玉造線)の「山田」交差点から2号線を北へ、約1.1km。駐車スペース有り。
社伝によれば、神代、武甕槌命が東征の折、北浦の「公郷の洲」(現・「行方市北浦公民館」の東の浜)から上陸し、「武田峰」(現・「北浦運動場」の丘)において天神地祇に祈願した。その後、藤製の大枡・鏡・剣・矢の根を神宝として祭祀したのが創祀であるという。後に、「武田峰」から夜に放光があり、北浦を往来する帆船が立ち往生するなどの変事があり、これは当神社が荒廃したのが原因であるとして、大同2年(807年)、現在地(「岡山」)に奉還した。慶長2年(1597年)、妙義山花館城主・山田太郎左衛門尉治広が再建し、守護神とした(なお、現・県道2号線と183号線の「山田」交差点の北東の丘(現・「八坂神社」の北側)に「山田城」という中世城館があったとされている。)。その後、火災に遭い、神宝を焼損した。鏡・剣・矢の根は焼け跡から探し出したが、藤の木で作られた大枡(方一尺四寸六分五厘)は複製品であるという。安政4年(1857年)に再建され、明治4年、山田・繁昌・北高岡・小幡・行戸の村社となる。神宝の大枡に因んで、近世までは、草履や下駄の緒をすげるのに藤の皮を使用することは禁忌だった。また、社殿の後ろに火災時の灰などを埋めたところがあり、そこに入ると災いがあるという。現在の祭神は、武甕槌命。
なお、一説に、日本武尊が武甕槌神を祀ったのを当神社の創祀とする。つまり、日本武尊が常陸国を北上して東国平定を進めていった道筋として、北浦沿岸を進んだという伝承がいくつかあり、当神社もその1つということになる。


写真1:「大枡神社」鳥居と社号標


写真2:元の社号標


写真3:拝殿


写真4:本殿


写真5:石像


写真6:鳥居のすぐ前を県道が通っているが、その向かい側に長い参道が続いている。その起点辺りにある塚。猿田彦大神が祀られ、村内安全・五穀豊穣等が祈願されている。
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