神が宿るところ

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酢川温泉神社(出羽国式外社・その8)

2016-05-07 23:24:40 | 神社
酢川温泉神社(すかわおんせんじんじゃ)。
場所:山形県山形市蔵王温泉字坂の上関神811-6。「蔵王温泉」の蔵王スカイケーブル「上ノ台」駅の南、約180m。 駐車場スペースあり(鳥居横)。
社伝等によれば、持続天皇4年(690年)に役小角(役行者)が蔵王権現を現・宮城県蔵王町の「刈田岳」山頂(標高1758m)に祀り、周辺が修験道の修行の地となった。現・山形県側でも、和銅元年(708年)、「熊野岳」(標高1841m)山頂に熊野神社分霊が勧請されて「熊野神社」(現「蔵王山神社」:昭和27年改称)が建立され、承和年間(834~847年)に「酢川温泉神社」が創建、仁寿元年(851年)には慈覚大師によって「瀧山」(標高1362m)に「医王山 瀧山寺」が開山された。その後、「酢川温泉神社」を「ロノ宮」、「熊野神社」を「離宮」、「瀧山寺」を「本宮」として、三宮一社として信仰されるようになったという。「日本三代実録」には、貞観15年(873年)に出羽国の「酢川温泉神」が従五位下の神階を授与されたことが記されており、それが当神社のことであるとされている(「国史現在社」)。中世以降、薬師如来像を本地仏として祀っていたため、「薬師堂」などと呼ばれてきたが、明治時代に入り、仏像等は別院に移され(現・境内社「薬師神社」)、明治11年に旧社号に復した、という。現在の祭神は大国主神ほか。
「蔵王温泉」は、蔵王連峰の西麓、標高約900mにある温泉地で、かつては「高湯」と呼ばれていた。伝説によれば、日本武尊東征の折、武将・吉備多賀由が毒矢に当たって苦しんでいるとき、家臣によって温泉が発見され、その湯に浸かって快癒したという(約1900年前)。これに因み、「多賀由温泉」~「高湯温泉」と呼ばれるようになったとされる。泉質は強酸性(ph1.6)の硫黄泉で、当地から発して西へ流れる川を「酢川」といい、上山市金瓶で「須川」に合流する。言うまでもなく、どちらも強酸性の水が流れることによって名づけられたものだろう。「開湯1900年」は伝説に過ぎないかもしれないが、古くから知られていたことは確かなように思われる。県都・山形市街地に近く(昭和31年に蔵王村を編入して「市内」になった。)、近代には温泉宿、スキー場が充実したリゾート地としても開発されたこともあり、当神社が「国史現在社」として有力視される背景ともなっているものと思われる。


写真1:「蔵王温泉」街から上る「酢川温泉神社」の石段


写真2:石段を上ると、白い鳥居。神社前の車道沿いに建てられている。


写真3:鉄筋コンクリート造の社殿。モダンなデザイン。


写真4:境内社「薬師神社」。神仏混淆時代の薬師如来像が祀られており、珍しい鎌倉時代の鉄仏であるとのこと。


写真5:石段前にある「蔵王温泉 上湯共同浴場」


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