Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

夏が来ると

2013-06-14 12:23:37 | 日記・エッセイ・コラム
 夏が来ると、父を思い出す。今年の夏は特にそうで、海のイメージも加わって海水浴の風景が甦るような気がします。
何故か、父は海が好きで、海水浴も殊のほか好きな性分でした。
勤務先が海辺にあった時は昼休みに浜まで出掛け、よくそこで時間をすごしていたようです。浜に流れ着いた胡桃や貝殻、特に蛸貝の貝殻を珍重して集めてきた事があります。テレビの上に飾って、嬉しそうに眺めていました。
白い巻貝の薄い大きな貝殻は見栄えがして、海の贈り物の宝石というに相応しい風格がありました。
白だけというのでもなく、時に少し茶色い色が入る貝殻もありましたが、それはそれで綺麗なものでした。
図鑑で調べて蛸の住処と知り、不思議な海の生き物や生態、海の世界に思いを馳せたりしました。
夏の風が吹き始めた頃から、砂浜の香りを感じるようになった頃から、殊のほか父のイメージが思い浮かびます。夏の連想のようです。
母ときたら、先日こんなことを言っていました。
「もう、この世でお父さんに会うことは無いね」
「もうこれで会うことは全然無いね。」と、
それで、私は言いました。
「そんな事無いよ、その内お迎えに来るかもしれないし、きっと、あの世でまたお母さんの面倒を見なければいけないと待っているだろうし。」
母の口癖
婚家に嫁に来たくなかった。をよく聞いていた私は、
「ずーっとお父さんと一緒にいられるから」
というのでした。
(蛸貝は、実際にはアオイガイ、カイダコとか。今も浜辺に流れ着いているのでしょうか。

つい心配になってしまうのが

2013-06-09 10:18:49 | 日記・エッセイ・コラム
 家の紫陽花が綺麗に咲いています。
空梅雨を反映してか、何時もより小ぶりな花に見えます。色づき始めてからまだそう間が無いので、今から大きく開いていくのかもしれません。
それにしても、ついついなんでも心配になってしまうのが親心というものです。子供には煩がられるものですが、あれこれと注意したくなります。それも、失敗して嫌な気分になってもらいたくないからなんですね、やっぱり子を思う親というものです。
私も、若い頃はあれこれと注意をされたものです。何処何処では如何なっているから、こんな時にはこんな注意をするようになどなど。
例を挙げると、駅の利用の仕方。何駅はどの方向に町があるから、降りる時気をつけるようにというような事です。
方向違いに降りて苦労しないように気を回してくれたんです。
これも、自分の若い時の経験から間違いやすさを感じての事です。東京暮らしをしていた経験から、駅の出口には特に気が向いたようでした。
おかげで、私は駅の近辺や、地図の見方など、鉄道の乗継まで、時刻表を見て計画的に利用出来るようになり、間違えた事がほとんどありません。
出口の多さや、方向による違い、路線や連絡時間の取り方、繋ぎ方などに慣れてしまったからです。
地図さえあれば何処にでも行ける。そんな気持ちできました。
これも、若い頃親の煩さに閉口しながら、それなりに聞き入れ従ってきた結果です。
そして、今、やはり自分もあれこれ気づかう親心を持ち、口うるさい事を言いながら、子側の煩くされる嫌気も分かり、あれを言っては間をおいて、これを言っては間を置いて、くどくならないように気をつけながら、子の注意を喚起してやるのでした。
親心はありがたいものであり、煩わしいものであり、そして決して役に立たないものでは無いと、無いようにと、願っています。
  「親の言葉と茄子の花は、千に一つの無駄も無い
古くからの諺のようですが、父がよく言っていました。
茄子は花が全て実になるから無駄が無い。だから親の言葉にも無駄がない、親の言葉はちゃんと聞いた方がよいという喩えだったようです。
私はそこまでくどく言いませんが、親の言葉はちゃんと役に立てて無駄にして欲しくないですね。
  「親の言葉と茄子の花は、千に一つも無駄にせず
をして欲しいですね。

1633回 「百合」

2013-06-07 12:51:05 | アート・文化
 今年は空梅雨といわれています。今のところ雨が少ないですからね。
こちらは天気予報でも、雨があまり降らない予報になっていました。降っては止み、曇り、お天気というように、農作物を作っている方は水不足に気をつけてくださいとのことです。
大気が不安定で、急に雨が降ったりするようです。お天気が続くので、梅雨を飛ばしていきなり夏になったような気候になるとか。
風を感じても、清々しいです。
     「百合
 切花にと豪華に
間に合うようにと法要の前に
思っていたけれど開花の遅い
そんな百合の花が咲きはじめて
豪華な香りだけ空にお届け
春がすんで夏の空広がり
手を合わせて合掌のように咲く
清々しい百合の香りお届け

金仏さま

2013-06-04 09:01:53 | 日記・エッセイ・コラム
 小学生の頃、昔話の「金仏さまと木仏さま」という読み物を読んだ覚えがあります。
家にもいろいろな仏像や阿弥陀像があります。仏壇の側や床の間の上にありました。片手に載るような小さな像でしたが、今でも家に現存して居るのを最近目にしたものです。
その中で、今回、祖父との思い出の品が脳裏に浮かんできました。
金の仏の立像、金仏さまです。
あれは祖父が寝たきりになる前の頃、体が相当弱ってきていながら、まだ外出が出来た頃の事でした。
ある日、祖父に呼ばれて祖父の部屋、仏間にもなっている座敷に行くと、祖父があれを見てごらんと指差すので、指の先を見ると、床の間の上に金仏さまがありました。
私には見覚えの無い像だったので怪訝に思いました。
しかも新しい金色をしていて、23金の塊のような、例えると純チョコレートのような見た目の風合いがありました。
『見たことの無いものだけど、どうしたのかしら?』
これがどうしたというのだろうと、私は祖父の次の言葉を待ちました。
細かい事は忘れてしまいましたが、祖父が言うには
「あの子の為に買って持って行ったんだが、返して来たんだ。」
とのことでした。
「気に入らなかったのか、なんだか、それより怒っていたようだったので、どうしたんだろう。」
という話でした。
どうも、遺産分けのつもりで祖父は買い、しかも純金製だといわれて、値段もその大きさにしてはそれなりの物だったとの事でした。
戻ってきた事や、先方が相当怒っていた事に合点が行かないと、不審に思うより、がっくりしている、相当気落ちしているという感じの祖父の様子でした。
私とその金仏さまの最初の出会いはこんな感じでした。
本物の純金製のようだ。
当時、母が純金、23金の指輪を買って喜んで見せびらかしていた物を、見て、触れていた私は、似たような風合いの金仏さまにそう思ったことでした。
只、当時もう金の貴重さを知っていた私は、小さいといってもそれを買う金額を思うと、本物かどうかと懐疑的でもありました。
ま、あれこれ思ってもしょうがない、あの子というのは私ではないのだからと、祖父の落胆した様子を見ながら、この金仏について考えてもしょうがない、私には関係ないことだからと、
「遊びに行ってきます。」
と、勢いよく仏間を後にしたのでした。
 

1632回 「親の時には」

2013-06-03 21:11:32 | アート・文化
 父の戒名が掛け軸になって出来上がってきました。丁度月命日の昨日のことでした。
朝から母が仏壇にかけてくれというので、鋲を打って吊るしておきました。ついでに母の戒名も掛け軸にして、早々と箱に仕舞われています。
新しくりっぱな戒名の掛け軸、母の携帯に写真を撮って上げました。いつでも人に見せられます。
仏壇の写真を撮りながら、こんな仏壇の写真を撮る人なんて…いないわねと、自分でも不思議な気持ちになります。
     「親の時には
 今頃になると
居ないことを忘れたりする
居間にでも居るような気になって
普段と変わりない日常生活に
妙に溶け込んでいたりする自分に気付く
 今頃になると
暢気に笑顔で居るような気になって
時には腹立たしくなってさえ来る
普段と変わりない日常生活をしていて
気楽に家に居るような
そんな気分で居る自分に気付いたりする