Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 40

2019-08-26 09:28:09 | 日記

 部屋に1人だけになって仕舞った私だった。改めて室内を見渡してみるが、天井が高いだけだ。向こうの部屋の居間に置いては、吹き抜けになっているだけに尚更に天井は高く遠い位置にある。しかも木造の古い家だ、屋根の骨組みなど見える様な三角形の天井である。使われていない天窓なども残っていた。

 私は溜息を吐いた。今日の家の大人は一体如何したというのか、全く普段とは異なった様相を呈していた。今もそうだ、幼い私を一人部屋に置いたままにしている。誰も面倒を見に来ない。祖父母は外出したのだから家に居ないので無理もないが、母はどうしたのだろう?。耳を澄ましてみるがやはり家に居ないようだ。念のためと台所を覗いて見たがやはり人影はなかった。私は元の階段の傍に戻って来たが、家の中を徘徊しながらこれまでの家の大人の言葉を思い返していた。

 祖母の言葉、「変な人が出て行って良かったね。」の言葉を思い出すと、それを聞いた時、変な人とは母の事かな?と私は即座に思ったのだが、やはりそれは母であり、彼女は本当に家を出て行ったのだなと感じた。障子の穴が気になって居間を覗き込んでみる。障子戸にはやはり小さな丸い穴が開いていた。母だ。あの穴を開けたのは母だ。私じゃ無い。私は自分自身に確認するように呟いた。

 まぁいいではないか、母が出て行っても。と私は思った。何しろ殆ど私には構ってくれる事が無かった人だ。家に母という女性がいる姿は、我が家の光景を考えた時、私の記憶の断片の隅に時折介在して来るだけだった。この時の私には彼女に如何という未練も無かった。

 そうだ、私には父がいるではないか。何時も優しく私の世話を焼いてくれる人だ。私はそう気付くと、確かに2階に存在している筈の父の様子に聞き耳を立てた。それから居間の吹き抜けに向けて開いている2階の部屋の障子窓を見上げてみた。障子窓は居間から屋根に続く壁の中空にあったが、今はぴたりと閉じられていた。

『朝は開いていたように思うが、ああきちんと閉まっていては2階の部屋の中の音がここ迄届か無いなぁ。』

私は残念に思った。

 私は暫く階段の傍で立ったりしゃがんだり、うろうろ歩いてみたり、咳払いなどもしてみたが、父のお前そこにいるのか等の呼びかけは無かった。そこで、私は思い切って階段に足を掛けると、そろりそろりと上り始めた。階段途中で、こそこそしている自分の姿に思い至ると何だか恥ずかしくなった。私は何時もの様によいしょ、しょいしょ、とばかりに声を掛けて後半の階段を昇り詰めると、お父さんと声を掛けて階上の部屋に勢いよく踏み入った。

 父の返事はやはり無かった。お父さん、と次の間に向かうと、父はこちらに背を向けて床の間に向かいきちんと正座していた。彼は俯いて膝に視線を落としているようだった。私は父が何か用を足しているのだろうと考えたので、彼の邪魔にならない様に小声なるともう1度お父さんと声を掛けてみた。が、彼からやはり返事は無かった。

 そこで私は、父のしんとした背に、彼は私が2階に来ている事に気付いていないのだと判断した。それ程彼が没頭する様な何か重要な用事をしているのだろう。それなら彼の邪魔にならない様に退散した方が無難だと私は考えた。そこで私は来た時とは逆に音を立てない様に父の方を見ながら後退りした。

 パラリ!

パラリと、紙片をめくる音が聞こえた。静寂の内に響いた微かな音。私は父の膝の上に何かある、本か何かを彼が読んでいるのだと勘付いた。そこで背伸びをしたり、左右の方向に体を傾けてみたりして父の背の向こう、膝の上、彼の手元等窺ってみた。確かに父の手は何か紙を捲っていた。それは帳面の様な物らしいと私は見て取った。白い紙の端やそれを捲る父の指等がちらりと私の目に入ったからだ。彼は一心に何か調べ物をしているらしかった。そしてそれを沈思黙考して読み取っているらしい。自分の子供の声等耳に入らない程にこの時の父は集中していたのだ。

 そう気付くと、私はやはりここは父の邪魔をせぬように引き返そうと決心した。今迄にも増してそうっと足音を忍ばせると次の部屋、階段の上り口直ぐに有る部屋まで後退りの儘で戻って来た。ここ迄来ればもう大丈夫、そう考えた私は体の向きを変えようと回れ右をした。階段迄はもう少しだ。

 その時父の咳が聞こえた。『気付かれたか!。』私は肩を竦めて仕様が無いなぁという様に顔に苦笑いを浮かべて父の方を振り返った。

「ええい、畜生。」

父が手元の帳面に向かって何か叫んだ。すると父はその片手に有る物を彼の胸元迄持ち上げた。父は自分の目の前に紙面を近付けると、その内容を読み返しよく確認しようとしているようだ。お陰で私には父の目にしている物の正体がハッキリと分かった。

 それは手帳だった。そしてそれは思っていたより小さな帳面だった。気付いた私は案外と拍子抜けした。私は小さな手帳に没頭する父の様子に、彼が未だその手帳の内容に夢中であり、現在私が2階にいてここ迄来ているのだという事に全く気付いていないのだという事にも気付いた。私はこの儘で、父の気付かぬ前に階下に降りようと決意し、注意しながら階段口迄戻って来た。そして再度父の様子を確認すると、父は相変わらず手帳を読む事に没頭していた。


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