舎人(とねり)公園からは真っすぐ帰らず
ちょっと回り道をして東岳寺へ。
初代歌川広重の墓があるが
小さな寺で広重の墓くらいしか見るものがない。
東岳寺は浅草にあったけど
関東大震災や東京大空襲などの罹災に遭い、
ついに1961年(昭和36年)に現在地に移転した。
昭和36(1961)年、東岳寺と一緒に広重の墓も足立区に移転した。
山門に「東京都指定旧蹟 初代安藤広重墓及び記念碑」の石碑があります。
記念碑。
石の筆とハケが置かれ、歌川広重の肖像画、浮世絵2つ、
辞世「東路へ筆を残して旅の空 西の御国の名どころを見ん」が刻まれています。
よく見る広重の肖像も貼り付けられている。
記念碑の隣に「一立齊廣重墓」、後年は一立齊廣重と名乗ったようです。
東岳寺の本堂。あまり見るものがない中で本堂は立派です。
境内を回ってみました、
よく見ないと分からないほど風化した狛犬?。
大きな灯籠が立っていた、この小さな境内には不釣り合いほどに大きい。
今では見なくなった釣瓶付きの井戸、
滑車も桶も残っているけど井戸の中には草が生えていた。
池があるのは知っていたのでハナショウブでも咲いているかな、
と思って行ったけどわずかにアジサイが見られた程度だった。
広重は江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、
一時は火消しの現場にも出たようだけどやがて浮世絵師に。
歌川豊広に入門して歌川広重の名を与えられデビューしました。
辞世「東路へ筆を残して旅の空 西の御国の名どころを見ん」
今ごろは絵筆は置いて西方浄土の見どころなどを見物しているのでしょうか。
data:EOS70D/EF70-200 1:2.8 L。 撮影 6月 19日 東岳寺