シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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湖はさまよっていなかった?(3)

2013年08月16日 | 歴史をひも解いて
写真上左は、グーグルマップからA地点は楼蘭の位置 (大きな水色は何かの人工の施設のようだ)。 上右は、最近のロプノール湖。 衛星写真でみられる “大きな耳たぶ” 状の旧湖岸線 (夏ら、2007 による)。 下左は、Youtube「ゆれる砂漠 -楼蘭- さまよえる湖ロプノール」から (時期不明)。 下右は、豪雨の後に一時的に形成されたロプノール湖の一部 (夏ら、2007 による)。
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“さまよえる湖” と呼ばれてきたロプノール (ロプ湖) は、実はさまよっていなかった? ヘディンは1901年に仮説『ロプノールは “さまよえる湖” 』() を発表、ロプノールは河川の流路の移動により南から北へと移るに違いないと予言、1934年 ヘディンは北に戻ったロプノールを発見し、1000年周期で南北をさまよっているとしたのだが__

「夏訓誠 (シア・シュンチョン 中国科学院 生態・地理研究所) らによると ロプノール湖は1959年には存在が確認されていたが、62年には消滅したという。 夏研究員は、ロプノール湖は広く浅い湖で、水深はわずか 3m。 水が新たに流れ込まなければ、湖水は1年に 1m の速さで蒸発すると説明した」(2008年12月25日 Record China)

現代科学では、ロプノールは “さまよえる湖” ではなかったと説明されました。 “さまよえる湖” のままの方が何やらロマンを感じさせますから、ある意味 そのままでも良かったのかも知れません。 だからヘディンが自説 () を発表して暫くの間 その説が信じられてきたんでしょうね。
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「2004年頃 中国科学院ロプノール科学調査隊の現地調査によって、ロプノールが20数年ぶりに復活したことが判明した。 しかし 2005年には再び水がなくなり消滅した」(ウィキペディアから) 

また 豪雨の後に一時的にロプノール湖の一部が形成されることもあるようで、2007年にも冒頭の写真が撮られていますね。 何十年かに一回でも たまに砂漠地帯で雨が降ると、普段は水はけなど考えられてませんから、一気に水が溢れ、洪水が発生するなどの報道がされています。

それを読むと、ロプノール湖の付近で たまの雨があれば、水はけのない低い土地 __ つまり かつての湖底には水が貯まり、湖が復活ということになるものと想像します。 けれど、また何ヶ月も何年も雨がなければ、貯まった水もいつかは蒸発してしまうのでしょう。
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冒頭上右の衛星写真では、ロプノールの旧湖岸線が “大きな耳たぶ” 状に見えますが、これはロプノールが塩湖のため、蒸発して湖が縮小するたびに塩が残り、それが跡になってあのような形になったのだと想像できます。

現代の科学技術はすごいですね。 現地に行かなくても、上空からの様子がインターネットで眺められます。 その映像は上左で 白い湖岸線までは映っていませんが、“大きな耳たぶ” 状の地形は映っていますね。

また 下左の Youtube 映像は、ロプノールかどうかは不明ですが、いかにもロプノールらしく、砂漠の中の水たまりといった趣きです。 回りに木も草も生えてないから、まだ “若い水たまり” なのでしょう。 左端に鳥の影らしきものも映っていますから、数十メートルから百メートル位の大きさはありそうです。

また この水たまりには流れ込む川がないようですから、このままなら数ヶ月で蒸発してしまいそうですね。 左端の水たまり線を見ると、もう最初の水たまり線から徐々に縮小しているのが分かります。 “余命 数ヶ月の水たまり” かも。
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中央アジアでは、世界最大の湖カスピ海は縮小してないようですが、隣のアラル海が干上がって縮小しています。 大きな湖が縮小したり なくなったりすると、回りで生活用水として利用している人々にとっては、死活問題でしょう。 ロプノールもほぼ消滅か縮小したことで、沿岸の都市 楼蘭も存在できなくなったものと推測されます。

今後 温暖化が進む地球では、人が何らかの手を打たないと、湖沼はどんどん減っていくのでは? 日本も江戸・東京や新潟はかつては遠浅の海でした。 それを新田開発として埋め立てた新しい土地なのです。

ヴェネツィアも遠浅の海に杭を打って、その上に建物を築いた人工の土地の街並みです。 そういった有効利用ならばいいのですが __ さて 次にロプノールが、水を貯えて “湖としてタクラマカン砂漠の中に姿を現す” のはいつなのでしょうか? 
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ウィキペディアから__ ロプノールは、約 200万年以上前に形成されたと考えられている。 この地は、中国で古来から西域と呼ばれていた地域で、シルクロードの途中に位置し、漢の時代にはロプノール西岸に都市国家 楼蘭が栄えていた。 _※追加1へ
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※追加1_ 3世紀頃からロプノール一帯の乾燥化が始まったと見られ、4世紀頃に楼蘭は急速に衰退した。 以降 楼蘭とロプノールは長く伝説とされていた。 13世紀のヴェネツィア商人で中国を旅行したマルコ・ポーロは、この湖の近くを通過した。

ヘディンは、1900年に楼蘭遺跡とその南側に2つの湖 () を発見した。 ヘディンは、これらがかつてのロプノールの現在の姿と考え、ロプノールは河川の流路の移動により南から北へと移るに違いないと予言した。 1934年 ヘディンは北に戻ったロプノールを発見、ロプノールは ”およそ1000年周期で南北をさまよっている” と説明した。

しかし その後の調査で流路上の河床が干上がることがあることが発見されて、このため湖も消滅することが判明、また2つの湖 () はロプノールの代替と説明するには小さ過ぎ、現在では ”さまよえる湖” 説は否定されている。

以上

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