シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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リゾート経営の変遷 (1)

2007年06月26日 | 経済あーだこーだ
大規模スキーリゾートの代表に、北海道中心部に位置する「トマム」があります。 それは、短い栄光と倒産/売却の歴史であり、日本のリゾート政策の失敗の歴史でもあります。
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ウィキペディアから … アルファリゾート・トマムは、北海道勇払郡占冠村にあるスキー場を中心とするリゾートで、現経営は星野リゾート (※追加1へ)。
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以下の調査は、1999年3月時点の報告のため、現経営 星野リゾートについては記述がありません。
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「スキーリゾートの経営」(http://www.kawanisi.jp/ski/00.htm) から …
Management X-File は、現代の経営理論を解明し、経営の真実を探すため、河西が研究している成果の一部が掲載されています。 研究ノートは、調査を行った際の簡単なレポートです。 なお この研究ノートは、文部省科学研究費補助金奨励研究 A (平成10年度〜平成11年度) の支援による成果の一部である (※追加2へ)。

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バブル時代、国土庁をはじめとして、農水 / 通産 / 運輸 / 建設 / 自治の6省庁が計画をまとめ、1987年5月の衆議院本会議で共産党を除く与野党が一致して賛成票を投じ、可決成立したリゾート法とは、何だったのでしょうか?

リゾートそのものを充分に経験したことのない日本人が、急に金持ちになって、カネの使い道を考えついたのがこの「リゾート法」ではないでしょうか? にわか成金というか、武士の商法というか、慣れないものに手を出して ヤケドを負う田舎者といった構図がぴったりです。

私も含め 今迄あくせく働いて、余暇を充分に楽しんだ経験のない日本人が、さあリフレッシュのために休日を過ごそうと思っても、あまり思いつかないのも無理もありません。

船旅を楽しむクルーズ、連日コンサートやオペラ/演劇を楽しむ音楽祭滞在型、地方のイベントや美術展/展示会などを中心にゆったりと回遊する滞在型など、欧米には歴史ある施設や休暇のシステム イベントなどの仕組みが出来上がっていますが、日本はまだまだこれからでしょう。

最近 地方では有志たちによる音楽祭が幾つか継続して開催されているのは喜ばしいことです。 20年前のバブル時代には無かったことで、少しずつ 日本にも根付きつつあります。 リゾートといっても、施設などのハコものだけ作ればいいというだけではなく、企画運営などのノウハウがなければ やってきた利用者がヒマを持て余して、二度と来てくれないでしょう。

前に行ったクルーズは良かったのでまた行きたい、去年の音楽祭では出演者の演奏が良かったのでまた聞いてみたい、前に行った美術展ではゆっくり鑑賞できなかったし また展示会も増えているので 今度は余裕を持って行きたい、などなど こういうことが重なると 開催地にお金が落ちて、リゾート地に発展していくと考えます。

サービス業は何でもそうですが、一見の客だけでなく、リピート客が多くなければ成り立ちませんね。 何度も来てもらうのは大変で、そこに頭を絞らなくては、一時の話題だけでは 風船が萎むように いつかは客が遠のいてしまうでしょう。

以上 (つづく)


以下は興味ある人のみ お読み下さい。

※追加1_ 沿革
• 1983年 _ 開業
• 1989年 _ 総合保養地域整備法による重点整備地区に指定される
• 1998年 _ 施設の4割を運営するアルファ・コーポレーション (札幌市) が自己破産、加森観光に運営を引き継ぐ
• 2003年 _ 残りの6割の施設を所有する関兵精麦 (仙台市) が民事再生法を適用
2004年 _ 星野リゾートが関兵精麦より施設を買収し、運営を引き継ぐ

アルファリゾート・トマムは、占冠村のトマム地区開発のために計画された大型リゾートであり、大規模リゾート開発の象徴的な存在であった。 その中心的な施設であるスキー場は 道内でも有数の大規模スキー場として、道内のみならず 道外からのスキーヤーで賑わうこととなった。

総合保養地域整備法 (リゾート法) による重点整備地区に指定されるなど、一時期 隆盛を極めていたが、バブル経済崩壊の影響を受けて客足が遠のき、1998年には運営会社が自己破産を申請するなど、リゾート自体の存続が問われることとなった。

しかし 占冠村は施設を買い取り、その施設を加森観光へ貸与することで立て直しをはかることとなった。 現在は星野リゾートが中心となって経営をおこなっている。 05年からは、冬山を楽しむ文化を創造・発信する「冬山解放プロジェクト」と銘打ち、自然体験型リゾートへのシフトも視野に入れている。
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※追加2_ 1. アルファリゾート・トマムの誕生とその成長
2. アルファ・コーポレーションの経営破綻
3. リゾートの開発と経営

1. アルファリゾート・トマムの誕生とその成長
1-1. リゾート開発の経緯
アルファリゾート・トマムスキー場は、日高山脈と夕張山脈に囲まれた占冠村のトマム地区開発のために計画された大型リゾートの中核的施設で、1983年に開業した多機能型スキー場である。 占冠村は60年代初頭には人口が 4,700人 以上であったが、トマム山開発案が浮上した80年頃には、1,600人 までに減少し、道内でもっとも人口の少ない過疎の村となっていた。

人口の急激な減少は地域社会における諸活動を停滞させ、占冠村としての活性化政策の実行が急務となっていた。 産業振興として肉牛の飼育、野菜や園芸作物の栽培、淡水魚養殖、山菜加工などが行われたが、ある程度の成果はあるものの、過疎化を食い止めることはできなかった。

そこで、リゾートによる振興が考えられ、74年には占冠駅西側の三角山にスキー場を開発する構想が生まれ、三角山を調査したところスキー場には不適切な地質と分かり断念した。 79年には「日高地方特定農山村開発調査」が行われ、北海道開発庁の調査官がトマム山を開発する必要性を提案した。

それを受け、80年から開発を前提としたトマム山の調査を行い、同年4月には「石勝高原総合レクリエーション施設計画書」が策定された。 81年からは鉄道弘済会北海道支部長が座長となり、北海道開発局 / 北海道 / 上川支庁 / 北海道東北開発公庫 / 北海道拓殖銀行 / 札鉄 / 日本交通公社 / 占冠村らが「石勝高原総合レクリエーション施設開発協議会」を結成、その場で具体的な事業計画が話し合われた。

事業計画が大規模化することと、リゾート経営に関する民間企業のノウハウが必要であることから、民間企業からの出資をあおぎ、第三セクターの形式で開発することが決定された。 以前からトマム地域の開発に関心を持っていた株式会社ホテルアルファと協議を開始し、ホテルアルファ側から開発への参加承諾を得た。

ホテルアルファは仙台に本拠を置く関兵精麦株式会社の子会社で、北海道ではホテルの経営に携わっていた。 同年には札幌、新千歳空港、帯広を結ぶ国鉄石勝線が開業し、トマム駅が開設され、トマム山開発の課題の一つである交通条件が改善されることになり、スキー場としての立地がより好ましいものになった。

82年にトマム地域の開発を行う株式会社シムカップ・リゾート開発公社が設立された。 資本金 9,800万円 のうち、占冠村は 5,000万円 (出資比率 51%) を出資、残りをホテルアルファが 2,800万円 (同 28.6%)、関兵精麦が 2,000万円 (同 20.4%) 出資し、代表取締役社長には 観音信則占冠村村長が就任した。

トマム地域の開発に関して、スキー場関係はシムカップ・リゾート開発公社が行い、スキー場内の宿泊施設やレストラン等の付帯施設はホテルアルファが行った。 スキー場は国有地を使用するため、林野庁の方針でスキー場開発会社へ地元自治体が出資をすることを求められており、トマム山開発でも第三セクターがスキー場開発をするというやり方を採用した。

82年9月から第1期工事としてスキー場とホテルが着工され、83年12月に 2,500m のゴンドラ1基とリフト4基を持つスキー場、ゴンドラの出発駅を併設するリゾートセンター、スキー場からトマム駅に直結する連絡橋とインフォメーションセンター、155室のリゾートホテル「アルファトマム」が完成、営業を開始した。 本格的スキーリゾートとして人気を集め、初年度から索道利用者数は 74万人 を超えるほどであった。

自動車で行くには札幌や旭川からは2時間以上かかり 便利とはいえないが、石勝線トマム駅が隣接しているため、国鉄を利用すれば札幌駅から1時間半でゲレンデへ行ける。 そのため、列車利用者が多いのが特徴であった。 ホテルやレストラン施設も充実しており、北海道以外の地域からも多くの利用客を集めていた。

1-2. リゾートの拡張
1984年5月にはアルファリゾート・トマムの新たな開発計画が策定され、宿泊施設、ゴルフ場、野球場、屋内体育館、インドアウォーターパーク、ショッピングモール、キャンプ場、国際会議場、ヘリポートなどの新設や増設が盛り込まれた総投資額 2,000億円、隣接の南富良野地域をも含む総エリア面積 5,000ha にのぼる山岳リゾート都市を創造する計画であった。 スキー場エリアでは 84年と85年にリフト施設を2基ずつ増設しているが、スキー場エリアの拡張はリゾートの拡張を支援する手段であった。

アルファリゾート・トマムスキー場は集客の手段であって、収益源の中心は、1口 400万円 から 500万円 の宿泊施設の会員権販売であったようである。 そのため、リゾートとしての付加価値を高めていく必要があるのだ。 同時にスキー特別列車「アルファエクスプレス」が運行を開始されて、アルファリゾートへのアクセスの利便性を高め、こうした国鉄との協調戦略もアルファリゾートの価値を高めるものであった。

85年12月には、305部屋を持つ北海道内で最大規模の分譲方式のリゾート・コンドミニアム「ザ・ビレッジアルファ」が完成し、宿泊面での充実をはかって大規模リゾートへ成長した。 ホテルの宿泊施設が拡充されると、稼働率の上昇が課題となり、スキーシーズン以外の夏期に集客できるレジャー施設が必要となる。 スキー場エリアの山麓はなだらかで、冬期間以外はテニスやゴルフができる通年リゾートとして当初から設計されており、86年5月から18ホールのゴルフ場が造成開始され、7月にはテニスコート19面が完成した。

関兵製麦が中心となったリゾート開発の過程は、後にいうバブル経済の形成期に当たり、資金調達も容易に行えたようで、アルファリゾート・トマムは順調に拡大を続けていく。 88年に総合保養地域整備法 (通称リゾート法) の適用を受けたことも追い風になった。

投資金額の大きい建造物の増設を見ていくと、87年12月には地上36階、401部屋を持つ会員制ホテル「ザ・タワー I 」が完成し、ホテルアルファが運営した。 89年12月には地上36階、376部屋を持つ会員制ホテル「ザ・タワー II 」が開業する。

「ザ・タワー II 」の開業により、コンドミニアム形式の施設を含めてアルファリゾート・トマムの宿泊施設の収容人員はリゾート・オープン時の10倍にあたる 4,700人 強となった。 一方、スキー場の索道施設の利用者に関する推移を見ると、89/90年のシーズンには開業時の3倍にあたる 225万人 が索道を利用している。 スキー場事業に関する損益は、少なくとも単年度黒字になっていたと考える。 そして、90年にはリフト2基が増設され、ゴンドラ1基、リフト10基、18コースを持つ、道内でも有数の大規模スキー場へ成長した。

以上

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