シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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バイロイトで2作目の指輪を録音しなかった理由は?

2022年07月03日 | 指揮者あれやこれ
『ショルティ自伝』、VPO との名演集、コヴェントガーデン管とのライヴ録音 (1963)。
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サー・ゲオルク・ショルティは “作られた指揮者” ともいわれます。

それは ほぼ無名だったショルティが、『指輪』4部作のスタジオ録音 (1958~65) を成し遂げ、4部作いずれも高い評価を得てからです。

しかも 他の6作も併せて、初期作を除く10作品のワーグナーの代表的楽劇をスタジオでステレオ録音しました。 これはショルティしか達成していません。 カラヤンも形の上では10作品の録音を残しましたが、『タンホイザー』はライヴもの、しかもモノーラル録音で、音質がいいとは聞こえてきません (私も未聴です)。

これだけ 高い評価を得ているのですから、発売元のデッカが 1983年のバイロイトに登場したショルティ指揮による『指輪』のライヴ録音を企画したのは自然な成り行きです。

しかし これは実現しませんでした。 私は演奏品質か録音品質の理由から達成できなかったのだろうと想像していました。 今回『ショルティ自伝』を熟読し、やっと納得しました。 演奏上の問題だったんですね。
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「スターを招く予算が不足していた バイロイト音楽祭事務局は1982年までは低額予算で東独の優秀な奏者と契約できたが、東独の元首ホーネッカーが国外旅行を制限した 1983年以降は西独の奏者で管弦楽団を構成した。

だが事務局は、西独の (高額の) 優れた奏者を雇えず 楽団は二流にならざるを得なかった。 しかし 最大の問題は配役だった。 私が『指輪』を録音した20年前にいた歌手たちと拮抗 (きっこう) する顔ぶれではなかった」(『ショルティ自伝』226~227p)

これが録音できなかった理由ですね。 歌手たちについて 実名を挙げて細かく記述していますが、それは割愛します。
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カラヤンの『指輪』DG 録音も、ショルティ・デッカ盤に比べ 歌手が小粒だという批評が一部でありましたから、ワーグナーの楽劇を歌いこなす歌手を揃えるのは、いつの時代も最大の難関のようです。

そう 今はニルソン (S) もホッター (B) もいないのです。 今 思うに、彼らを採用できたデッカのカルショーは、天の配材を得た “幸運のプロデューサー” だったのかも知れません。



『マイスタージンガー』(1975・1995)。 『トリスタン』(1960) の字体は史劇映画のタイトル画面のようですね。
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もう1つ ショルティが2度録音したワーグナーものが、『マイスタージンガー』です (1975・1995)。 その理由について ショルティは、最初の録音で デッカが揃えた歌手たちの大半に不満があったと自伝で述べています。

この時 カルショーは既にデッカを去っていました。 録音時のプロデューサーはレイ・ミンシャルですから、彼の集めた歌手たちとショルティは相性が悪かったのかもしれません。 シロウトの私はどこが、どの歌手が不満なのか全く解りません。 みな立派な歌唱だと思います。
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また1998、99年にウィーンで『トリスタン』の再録音も計画していましたが、ショルティの97年の死で実現する事はありませんでした。 60年録音の『トリスタン』ではオケが出過ぎているとの不満を持っていたからです。 当時はオケと歌手を同時にミキサーでバランスを取って2チャンネルにまとめ、それを2トラック録音機に落として録音していましたから、後でバランスを変えるなどできなかったのです。

今はマルチトラック録音が普通ですから、演奏収録後の編集段階でオケと歌手のバランスを自由に変えるなど 朝飯前でしょう。 デッカがマルチトラック録音機を導入したのは、1965年の『神々の黄昏』からと意外と遅いのです。

ですから カラヤンのデッカ録音の『トスカ』第3幕の処刑場面で複数の鉄砲音がしますが、あれは前もって録音した鉄砲音のテープを実際に再生してスピーカーから音を出しながら、実演に被せて録音したのだそうです。 当然 鉄砲音の音質は良くありません。

『ジークフリート』でも 洞窟の中で大蛇になったファフナーのバスの大声は、ホールに大口径のスピーカーをいくつも置いて、そこから大音量で拡声するバスの声とオケを同時録音したとありますから、意外と単純な音処理をしていたんですね。
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でも そうやって録音した音が優秀録音といわれて、この半世紀もの間 批判が出なかったのですから、マルチトラック録音機なしでも 当時からデッカの録音技術は優秀だったのが想像できます。

デッカが使っていた2トラックのアナログ録音機はスイス スチューダー社製と推理しますが、1980年前後のデジタル時代に入り スチューダー社は開発乗り換えに失敗したらしいです。 同じように消えていったのが米アンペックス社です。

様式が大きく変わる革命時に 時代の趨勢 (すうせい) に合わせていけないメーカーは、淘汰されるしか残された道はないのかも知れません。 しかし 今でも アナログ時代に大量に記録された録音済みテープが残っており、順次デジタルに置き換えられていますから、スチューダー社はそこで細々と生きているとも …

今 世界のスタジオで最も採用されているデジタル・マルチ録音機はソニー製の24チャンネルらしいです。 しかし 仮に世界中のスタジオ向け録音機を全て獲得したとしても、微々たる数 (数百台?) だそうで、プロ向け機材の需要が如何に少ないか想像できますね。

今日はここまでです。

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