シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

小澤録音の系譜は …

2024年02月16日 | 指揮者あれやこれ

左から ①チャイコ:ピアノ協奏曲第1番/ヴァイオリン協奏曲 J. ブラウニング (P)、E. フリードマン (V)、小澤&ロンドン響 (1965~66)。 ②メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 フリードマン (V)、小澤&ロンドン響。 ③ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲1・2番  I. パールマン (V)、小澤&ロンドン・フィル (1973)、④チャイコ/シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 V. ムローヴァ (V)、小澤&ボストン響 (1985)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小澤の初期録音は、協奏曲の指揮が多かったように記憶しています。 新人ソリストの指揮には有名指揮者よりは、やはり新人指揮者を採用しやすいのかな なんて感じました。

 

レコード会社が中堅・有名指揮者に話しを持っていくと、断られるケースが多いんでしょう。「えー? そんな新人ソリストのサポートより、超有名とまではいわなくても ある程度知られたソリストの話しを持ってきてくれよ。 例えば …」なんて返事が来る事は大いに想像されます。

 

上記ソリストの2人 (ブラウニングとフリードマン) はその後 活躍したとは聞いておりません。 パールマンは大御所になりました。 ソリストの世界も厳しいですね。

………………………………………………

60年代 小澤が名門シカゴ響を振って、超有名曲のカップリング「運命・未完成」(1968) を録音したのには驚きましたね。 あれはシカゴ響の夏のラヴィニア音楽祭での成功を記念して、オケ側からの提案だったらしいのですが (?)、あまり練習時間がとれず 殆どオケのペースで録音が進んで完了したらしいです。

 

その後 1980年頃 優秀録音 LP で有名なテラーク社からボストン響との「運命」が発売されましたが、テラーク社でのベートーヴェン交響曲はこれっきりでした。 想像ですが あまり売れなかったのでしょう。 売れたら続いたと思います。 3枚目の「運命」(2000) はサイトウ・キネン・オーケストラと、そして4枚目 (2016) は水戸室内管とです

が、サイトウ・キネン・オケと水戸室内管は殆ど同じメンバーです。 他にも バイエルン放送響を振った映像もの「運命」(1990) もあるそうです。

 

「運命」4種。 左からシカゴ響、ボストン響、サイトウ・キネン、水戸室内管。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ボストン響とは29年間も常任を務めていましたが、演奏会の定番 ベートーヴェン交響曲・ブラームス交響曲は、上記のテラーク盤とブラームス1番 (DG 1977) しか残しませんでした。 ドイツのレコード会社が、日本人指揮者でブラームス交響曲を録音したのは初めてで、売れると見込んだのでしょうが 続かなかったのはやはり …。

 

私はボストン響日本公演 (1986) でのブラームス1番の映像ものを保有していますが、残念ながら あまり面白い演奏だとは思えません。 後に録音したサイトウ・キネン・オケとのブラームス交響曲全集 (Philips) は良かったですね。

 

それらを考えると ボストン響とはベートーヴェン・ブラームス交響曲は合わなかったのかも知れません。 元々 C. ミュンシュがフランスものを得意としていた楽団ですから、そのフランス嗜好が染み付いていたのだろうと想像します。

 

でも マーラーは当たったのでしょう。 第8番 (1980) をボストン・シンフォニー・ホールでデジタル録音したのは、レコード会社 (Philips) にとって ある意味 “賭け” だったのではないでしょうか? レコード・ジャケット左上に “digital recording” と目立つロゴが印刷されていました。 80年当時 最高の音質での「千人」録音だったと記憶します。

 

これ以降、86年 (2番) から93年 (3番) にかけて続々と小澤のマーラー CD が出てきます。 当たらなければ レコード会社は発売しないと思います。 3番・5番・6番・9番・10番はライヴです。 ミュンシュ後の常任 E. ラインスドルフは、ボストン響とマーラー1番・3番と、ベートーヴェン交響曲全集 (RCA) を残しました。 ラインスドルフのマーラーは評判だったと思いますから、元々マーラーとの相性は良かったのかも。

 

左からブラームス1番、マーラー1番 (花の章付き)、マーラー8番・交響曲全集。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小澤が常任を務める前から在籍していたコンマスは「小澤は重い音を求めた」といっている記事を読んだ事があります。 基本的に (?) フランスものに向いた軽やかな響きだったのでしょう。 でも 小澤もこの楽団とラヴェル管弦楽全集 (DG) を作っていますね。

 

60年代は RCA、70年代は DG 録音が多かったのが、80年代以降は Philips 録音が増えてきます。 EMI とはずっと録音していましたが単発ものが多いようです。

………………………………………………

常任を務めた楽団は、トロント交響楽団 (1965~69)、サンフランシスコ響 (1970~77)、ボストン響 (1973~2002) です。 ウィーン国立歌劇場では音楽監督 (2002~10)、ほか 新日本フィルハーモニー、サイトウ・キネン・オケ、水戸室内管にも関わっています。

 

トロント響とは メシアンの『トゥーランガリラ交響曲』・武満徹『ノヴェンバー・ステップス』・ベルリオーズ幻想交響曲などの録音があります。 小澤が退いた以降は、トロント響が話題にならないのは残念です。

 

サンフランシスコ響とは、『新世界・英雄』(Philips)『パリのアメリカ人』(DG) などの録音が残っています。 ウィーン国立歌劇場を母体にしたウィーン・フィルとは『シエラザード』ドヴォ8・9番・『アルプス交響曲』・ニューイヤーコンサートがあります。

 

このニューイヤー … 練習では 曲をしっかり勉強してきた小澤に対し、ある楽員は「(小澤以上に知っている) 俺たちに勉強の成果を披露しないでくれ」といったとか __ のエピソードも残っていますが、ニューイヤー … CD は百万枚売れたと記憶しています。

 

日本人以外のアジア人で、ニューイヤーコンサートを指揮した人はインド人のメータだけです。 早く2人目の日本人に登場してもらいたいですね。

………………………………………………

左からラヴェル管弦楽曲集、カルメン、スペードの女王、ニューイヤーコンサート。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小澤征爾はコンサート曲目ではレパートリーが広かったですが、オペラ曲目はそうとはいえなかったようです。

 

60年代半ば ザルツブルク音楽祭でモーツァルトのオペラ『後宮からの誘拐』を指揮して好評を博し、レコード会社から録音を要望されたそうですが、なぜか断り オーストリア人指揮者による録音が残っています。

 

カラヤンの推薦で指揮したのですが、好評でも本人の心の中では “満足できない何か” があったのかも知れません。

 

2000年代に 世界最高といわれるオペラ劇場のウィーン・オペラの監督となりましたが、そこでのオペラの録音は残っていません。 また有名オペラ録音は『カルメン』のみで、他に残されたものは定番のイタリア・ドイツものではなく、フランスやロシアものが多いようです。

 

オペラ指揮者として定評があったなら、有名なイタリア・ドイツ (ヴェルディ・プッチーニ・モーツァルト・ワーグナー) ものオペラ録音を残さないはずがないという事は、そうではなかったのだろうと推理します。

 

それでも 多くの録音を残してくれた事には、日本人としても誇りに思いたいですね。 彼の録音数を超える日本人指揮者はまだ出ていません。 これから続々と小澤の録音全集が発売されると予想します。 出たら 幾つか購入してみたいですね。

 

今日はここまでです。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。