シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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鬼っ子か … 新生児取り違え

2013年11月30日 | 事件事故の多い世
下写真は、映画「そして父になる」。
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現代の “王子と乞食” は実際に存在していたのでしょうか。 また最近 話題となった映画でも産院での取り違えが主題でしたね (私は見ていませんが)。 記事の実例のように、親が子に十分な教育を施す余裕があれば、能力の優劣があろうとなかろうと 高等教育を受けさせることができるでしょう。 親にその気があっても余裕がなければ、高等教育を受けさせない可能性が大きいと想像します。
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「”違う人生あったのか” 60年前取り違えの男性」(読売新聞 11月28日) _ ※追加1へ
「新生児取り違え 原告男性会見 “生まれた日に時間戻して”」(産経新聞 11月28日) _ ※追加2へ
「”赤ちゃん取り違え” 男性が戸籍 “復帰” 相続を巡って複雑な争いがすでに起きていた」(JCAST ニュース 11月28日) _ ※追加3へ
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記事の親が2組ありますから、図の左をA家、右をB家、取り違えられた子をA家の子をa、B家の子をbとします。 aはB家の子の四男として育てられ、中学卒業後 働きに出て、今はトラック運転手。 bはA家の長男として弟3人も含め4人が大学や大学院へ進学。 弟3人は一部上場企業へ就職したという。

これだけを読んでも、取り違えがなければ aはA家の長男として大学や大学院へ進学、bはB家の子の四男として中学卒業後 働きに出たはずで、人生が狂ったのは誕生後の取り違えが原因であるのは明白です。 取り違えの責任は産院にあり、地裁の判決で賠償するよう病院側に命じたのは当然です。
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もう既にA家の両親は他界、B家も父親は他界 母親は健在かどうかはっきりと記事には書いてないから不明です。 これが同じような境遇、つまり裕福度というか貧乏度が同じ程度だったなら大きな問題にはならなかったでしょう。 しかし そうそう “運命” は優しくない。 この記事のケースは厳しい運命だと思います。

B家には財産があるとは書いてないから、B家の財産相続には問題化してないようですが、問題は裕福だった “A家の財産相続” です。 血縁関係がなければ bはA家の財産を相続できないのでしょうが、約60年間 A家の長男として育てられたことから、最高裁判所はどういう判断を出すのでしょうか?

私は、bがA家の両親に対して どういう態度、行動を取っていたのかで相続に関わることが判断される、と想像します。 つまり 子どもとして他の兄弟らと同じく 亡くなるまで両親の面倒を見ていたら、4人の兄弟で等分に分けるのがスジでしょう。 しかし ここにA家本来の子のaが出てきたから、財産相続がややこしくなってしまいました。

もし bがA家の両親に対して 他の兄弟らとは違う態度、行動を取っていたら、4人の兄弟で等分とはならないでしょう。 またその場合も 本来の子のaの相続分をどう勘案するかは、判断が難しい。
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記事文面から 読者がああだこうだと勝手に判断するのは良くない。 aもbも等しく幸福な人生を過ごす権利があります。 私の回りにはこういうケースは聞いたことはありませんが、よく 両親に似てない子は “鬼っ子” とか、”トンビが鷹を生んだ” とかいわれることがあるようです (前者は必ずしもいい表現ではなく 後者はいい表現と解釈しています)。

以前は親を確認する科学的手段は血液型を調べることだけでしたが、今はそれに加えて DNA 鑑定が取り入れられていますから、もし 両親に似てないことが多々あるようでしたら、”新生児取り違え” を一度疑ってみることも必要ですね。

記事から 1つ救われる思いがするのは、「A家の実弟からは『あと20年は生きられるから、これまでの分を取り戻そう』と声をかけられたという。 aは『うれしかった』と振り返った」とあることです。 本来の兄弟から暖かい言葉をかけられて、幸せの一端を実感したことでしょう (bは本来の兄弟からどういう言葉をかけられているのか、文面がないので不明です)。
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映画『そして父になる』__ 2013年制作、是枝裕和監督の日本映画。 第66回カンヌ国際映画祭にて審査員特別賞を受賞。
 
学歴、仕事、家庭、子供など 自分の能力で全てを手にいれ、自分は人生の勝ち組だと信じて疑っていなかった良多。 ある日病院からの連絡で、6年間育てた息子は病院内で取り違えられた他人の子供だったことが判明する。 血の通わぬわが子に変わらない愛情を迷わずに注ぎ続ける妻と、一見粗野だが温かい相手方の家族との交流を通し、そもそも自分は「父親」であれたのかを問い始めることとなる。 人生ではじめての壁にぶつかり、自分自身と向き合う男の葛藤を描く感動のドラマ。

ウィキペディアから__『王子と乞食 The Prince and The Pauper』はは、アメリカの作家マーク・トウェインが1881年に発表した児童文学作品である。 16世紀のイングランドを舞台に、実在の若き国王エドワード6世を主人公とした冒険譚 _ ※追加4へ

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以上


※追加1_ 60年前の出生直後に別の新生児と取り違えられたとして、病院に損害賠償を求めて勝訴した東京都内の男性 (60) が27日、記者会見に臨んだ。

「訴えを認めてもらい、判決には感謝している」「60年前に戻りたい」と語る一方で、これまで育ててくれた “母” については、「精いっぱいのことをしてくれた」と感謝の言葉を繰り返し、複雑な胸の内を明かした。

男性はこの日、東京・霞が関で記者会見した。26日の東京地裁の判決は、墨田区の病院で1953年、新生児の取り違えがあったことを認定し、男性と実の弟ら計4人に計 3800万円 を賠償するよう病院側に命じた。 DNA 鑑定の結果、取り違えが確定したのは昨年1月。「まさか。そんなことがあるわけない」と衝撃を受けたが、周囲からずっと「兄たちと似ていない」といわれ続けた理由が分かって納得したという。

男性は取り違えられた先で、四男として育てられた。 2歳の時、育ての “父” が死亡。 6畳一間のアパートで生活保護を受けながら、“母” が一人で子ども3人を育てた。 中学卒業後、進学を諦めて町工場に働きに出て、今はトラック運転手をしている。

一方 取り違えで男性と入れ替わった男児は、裕福な家庭に育った。 大学を卒業したと聞き、「自分も大学を出て、違う人生を歩んだのだろうか」と考えた。 後日、実の弟から、生前の両親の写真を受け取り、「生きている間に会いたかった」と何度も涙を流したという。

26日の判決は「男性は重大な不利益を受けた」と指摘した。 ただ、男性は会見で、「『父』を早くに亡くしたから、『母』はとりわけ自分に愛情を注いでくれた。 精いっぱいのことをしてくれた」と感謝の言葉を繰り返した。
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※追加2_ 東京都墨田区の産院で60年前、13分差で産声を上げた2つの人生が入れ替わった。 別の新生児と取り違えられ、本来と異なる人生を余儀なくされたとして、都内の男性 (60) と実弟3人が産院側に賠償を求めた訴訟。 3800万円 の賠償命令は出たが、実の両親はすでに他界していた。 男性は27日、取材に対し「生まれた日に時間を戻してほしい。 生きて会いたかった」と複雑な胸の内を明かした。

東京地裁判決によると、昭和28年3月30日、「賛育会病院」で相次いで2人の男児が生まれた。1人は原告の男性で、午後7時17分に実の両親の長男として誕生したが、その13分後に別の夫婦の間に生まれた男児と取り違えられた。

産院側は訴訟で取り違えを否定。 同院では分娩後、10分程度で新生児の足の裏に母親の名前を記載していた上「医師らが容易に取り違えを発見できる状態で、取り違えられたまま退院することはありえない」と主張したが、判決は DNA 型鑑定結果などから退けた。

◆ 環境に大きな “差”
2組の夫婦に面識はなく、原告は血縁関係のない両親の子供として育てられたが、その後の生活は決して楽なものではなかった。 2歳の時に養父が死亡。 養母は生活保護を受けながら女手一つで原告ら3人の子供を育て上げた。 一家が暮らす6畳の部屋には、当時 他の家庭に普及しつつあった家電製品は何一つなく、2人の兄は中学卒業後、すぐに働き始めた。

原告も家計を助けるために中学卒業とともに町工場に就職。 学費を稼ぎ、仕事の傍ら定時制高校へ通ったが、大学進学は断念した。 対照的に、本来の家族は子供4人がいずれも大学や大学院へ進学。 弟3人は一部上場企業へ就職した。

◆「本当の兄」捜し出す
交わることのなかった2家族の運命が動いたのは平成20年。 実弟3人が「兄」とされてきた男性を相手取り、自分たちの両親との間に親子関係がないことを確認する訴訟を起こした。

実は原告の実母は生前、「長男の出産で用意した産着と新生児が着ていた産着が違った」と話していた。 さらに実父の介護に長男だけが協力的でなかったことなどから 弟らは血縁関係を疑うようになったという。 訴訟での DNA 型鑑定で、長男と弟3人に血縁関係がないことが判明したため、弟らは産院の資料を調査。 区役所や法務局に問い合わせ、ようやく「本当の兄」を捜し出した。

取り違えという話に当初は半信半疑だった原告だが、実弟から送られて来た家族の写真には自身の若い頃の姿が重なった。 かつて養母に「兄たちは父親や私に似ているのに、お前は誰に似たんだろう」といわれたこともあったという。 実の両親と育ての両親はすでに死亡していた。 27日に記者会見した男性は産院に対し「悔しさと怒りがある」と話した。

一方 2組の家族への思いを問われると、「この世に生を受け、実の両親には感謝している。 育ててくれた親はできることをやってくれたと思うし、兄たちにもかわいがってもらった」と感謝の言葉を繰り返した。 実弟からは「あと20年は生きられるから、これまでの分を取り戻そう」と声をかけられたという。 男性は「うれしかった」と振り返った。
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※追加3_ 「赤ちゃん取り違え」で実の家族が分かった男性 (60) について、今後 遺産相続をやり直すのかが関心を集めている。 しかし 取り違え相手もまだこの家族にいて、複雑な事情になっているようだ。 男性と血のつながっている弟たち3人が、血のつながっていない兄とトラブルになったことがそもそもの始まりだった。

遺産相続は5人でやり直されることになるのか
弟たちは、父親の介護などを巡ってこの兄と意見が対立し、DNA 鑑定で血縁関係にないことを2009年に突き止めた。 その後 病院に記録を出させることに成功し、それを元に東京都江戸川区の男性宅を割り出した。 男性を説き伏せて、12年に DNA 鑑定してもらった結果が取り違えだった。

男性は13年6月 長男として弟たちと同じ戸籍に変更された。 しかし 男性と血のつながっている両親は亡くなっており、遺産相続の手続きもすでに行われている。 とすると 前出の兄も含めて、遺産相続はこの5人でやり直されることになるのだろうか。

実は 男性の存在が分かる前に、相続を巡って、兄と弟たちの間で訴訟沙汰になっていた。 10年9月6日の東京高裁判決によると、弟たちは裁判で 母親が亡くなった後に病気の父親を在宅介護すると兄がいい出したため、3000万円 相当の母親所有の土地などを兄に譲ることにしたと主張した。 

しかし 兄は父親を高齢者施設に入れようとしたとし、反発した弟たちは分担して介護することにした。 それでも兄は協力が十分でないため、態度が冷たいのは血がつながっていないからだとの疑念を強めた。 そして 父親が死亡した後、遺言で兄が父親の住んでいた家をも相続することになると、弟たちは08年7月 兄と両親が親子でないことを確認する訴訟を起こした。

兄と弟たちが DNA 鑑定で血縁関係にないことが分かったのは、裁判中に兄が鑑定することに同意したからだ。

取り違え相手の DNA 鑑定がまだ残っている
1審では、弟たちが勝訴した。 しかし 兄が控訴し、東京高裁の判決では、訴訟を起こしたのは権利の濫用だとして、弟たちは逆に敗訴することになった。

その理由として 高裁では、親子関係がなくなって実の親が分からなくなると、兄のアイデンティティが失われ、その娘2人も不利益を被ることを挙げた。 兄が裁判で主張したところでは、DNA 鑑定の結果に激しいショックを受けていて、未だに心の傷は癒えていないという。

また 高裁は、両親が亡くなった後では養子縁組もできず、兄が母親から譲り受けた後に家を建てて住んでいる土地などを失うことになるとしている。 ただ 兄には、配慮が不足していた面があるとして、反省することも求めている。

男性や弟たちの代理人をしている大島良子弁護士は、高裁の判決を不服として、最高裁で現在争っていることを取材に明らかにした。
「高裁は、血のつながっている本当の兄がもう見つからないだろうと考えて、権利濫用というあいまいな判断になったのだと思います。 判決後に本当の兄が見つかったので、最高裁では 新しい証拠として今回の DNA 鑑定結果などを出すことにしています」

大島弁護士によると、母親所有だった土地については、母親名義への回復を求める訴訟を起こし、鑑定結果も出たことから、勝訴して判決が確定している。 最高裁でも勝訴すれば、父親の住んでいた家についても、母親の土地とともに、男性を加えて遺産相続をやり直すことができるとした。 すでに父親の遺言が無効であることを確認する訴訟には勝っているという。

ただ 高裁では、兄のアイデンティティの問題などを指摘していることから、兄も生き別れた家族と DNA 鑑定を行う必要がありそうだ。 大島弁護士も、兄が本来の家族に戻るために鑑定してほしいというが、兄は難色も示したこともあり、まだ分からないという。 兄が母親の土地に建てた家をどうするかという問題などもあり、解決には時間がかかりそうだ。
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※追加4_ 物語
イングランドに2人の男児が生を受けた。 1人は時の国王ヘンリー8世の嗣子として生まれたエドワード・テューダー。 もう1人はイングランドで最も賤しい貧民窟に生まれたトム・キャンティだった。 エドワードは未来の国王としての期待を一身に受け、豪奢な宮殿に住んで温かい食事や高級な衣服を与えられ、何十人もの家臣や侍女に傅かれ、何不自由無い暮らしの中で育った。

一方 トムは、飲んだくれで乱暴者の父親を持ち、汚いあばら家に住み、金も無い為にパン一つ買う事すら出来ず、常に寒さに震え、飢えと乾きに苛まれていた。 また 働かない父の代わりに物乞いとして道端で金や食べ物を貰っては、「たったこれっぽっちか」と父から暴行を受ける日々を送っていた。

やがて10歳の誕生日を迎えた2人は、エドワードの住居であるウェストミンスター宮殿の門前で運命的な出会いを果たす。 日頃から自分とは全く違う恵まれた生活を送るエドワードを羨んでいたトムは、王子の姿はどんなものかと宮殿の柵に駆け寄り、一目見ようと身を乗り出す。 その時透かさず番兵がトムを捕えて宮殿の敷地から摘み出そうとした。

すると「やめよ!」という威厳ある声が背後から聞こえた。 その声の主は今まさにトムが見ようとしていたエドワード王子だった。 危うい所を助けられ、トムは王子に礼をいう。 すると王子はトムに宮殿の中へ入るように勧めてくれた。 トムは身分の差を感じて一度は断るも、遂に宮殿の中へ入る事に。 エドワードは見たことの無いトムたちの生活をしきりに聞きたがった。

話し合ううちに2人は気付く。 お互いがまるで双子のように顔が酷似している事に。 エドワードはこれを知ってある事を思い付く。 それは今だけ互いの服を交換し、それぞれの人物として過ごすというものだった。 実はエドワードも堅苦しい宮廷生活に嫌気が指し、外に暮らしている子供たちの持つ自由に憧れていたのだった。

しかし “乞食のトム” として外へ出たエドワードは早速番兵に見咎められ、外へ追い払われてしまう。 独り残されたトムは宮殿内で家臣や貴族たちに訝しがられる度に事情を説明しようとするが、どうしても “王太子エドワード” としてしか見られない。 だがエドワードは下々の人々と会って話をし、貧困に喘ぐ民の姿を見る事で世の現実を身を以て味わわされる事になる。 トムもまた、どう見ても馬鹿げているとしか思えない宮廷の制度を見るうちに、富に囲まれていると思われた王室の生活に空しさを覚えるようになった。 そして互いが偽りの生活で受難する日々の中、ある一つの事件がイングランドに忍び寄ろうとしていた ……。

以上

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