左は「徹子の部屋」から 小澤征爾・征悦 (ゆきよし)。 右は2008年 征爾氏の文化勲章の親授式での家族写真(左から征良さん、征爾氏、ベラさん、征悦氏)
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小澤征爾という指揮者ブランドは国内でピカイチでした。 彼を超える存在はなかったでしょう。 これは、それだけファンが集まる、集客力がある、つまり “オカネも集まる” ことを意味します。
オカネが集まると、必ず これを管理・マネージする人が必要です。 業界の事務所が行うか、家族や連れ合いが行うか、その形態は様々でしょう。
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「小澤征爾氏の30億円資産を巡って家族が分断」(2022年3月24日 女性セブン ※1)。
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※1によれば 小澤征爾の場合 ファミリーがマネージしていたらしいです。 小澤とは桁が違うカラヤンの場合は、はっきりとは知りませんが個人事務所だったと想像します。
フィギュアスケート界のプリンス 羽生結弦もファミリーですね。 半世紀前の歌姫 マリア・カラスは夫の煉瓦屋だったメネギーニでした。 オペラ公演の度に出演料を釣り上げた彼は、興行するオペラ座からすれば “嫌われ者” でした。
小澤の場合も ファミリーがしなくとも、他の誰かか どこかの事務所がマネージしたと想像します。 オカネも集まれば、どうしてもそうなるのはどの業界でも同じです。 そのこと自体は、何ら非難すべき対象事案ではありません。
家族が何か事業や別の仕事をしていなければ 今後は小澤の残した遺産を食い潰していくだけの ただの管理会社になります。
小澤征爾というブランド指揮者はもはや存在せず、集まるファンがいなければ オカネも集まりません。 小澤の残した遺産が再生産されて、何かを生み出すことは無くなりますからね。
NHK交響楽団が定期演奏会初日にボイコット、楽団員を待つ小澤 (2月10日 スポーツ報知 ※2)
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小澤征爾の経歴の中で、唯一 影がさしているのは、『N響ボイコット事件』です。 NHK 交響楽団が、招聘した小澤をボイコットし、感情的な軋轢のため 1962年の演奏会が中止になった件で、結局 次にN響の指揮台に立つのは32年後になるほど 両者の関係が冷え込みました。
「小澤はまだ27歳の若輩で、大半の楽団員は年長だ。 しかも N響の楽団員は東京藝術大学の卒業生が多く、新興の桐朋を出た小澤を見下す雰囲気にあった」(中川右介 著『至高の十大指揮者』から ※3) ともあり、当初「マスコミは、小澤を海外で賞をとり、チヤホヤされて増長した困った若者という論調で揶揄し、批判した」(※3)。 しかし「定期演奏会会場で小澤はひとりで座り、楽団員を待っていたのを石原慎太郎と浅利慶太が写真に撮らせ、若き天才を権威主義で意地の悪い狭量な楽団員がいじめている構図になり、世論は一気に小澤に同情的になった」(※3) というものです。
仏指揮者コンクール・カラヤン指揮者コンクールで優勝、タングルウッド音楽祭でクーセヴィツキー賞を受賞、ニューヨーク・フィル副指揮者に就任した後、(日本のプロ楽団指揮を経験せずに) N響の指揮を引き受けてしまったという経緯を想像すると、日本の “楽団のしきたり” を未経験のまま 老練なN響の前に立つという不運に、様々な行き違いが重なったのかも知れません。
けれど これで国内の仕事を諦めて、小澤は欧米に向かい、結局 そこで世界的な名声を確立したともいえますから、逆境を跳ね返す底力を持っていたのですね。 N響はこれをどう評価したのでしょうか? N響関係者は誰も何も語りませんから、何ともいえませんが、あの対応 (ボイコット) で良かったとは思っていないでしょう。
事実 小澤の訃報を伝えるニュースでは、この『N響事件』には触れなかったそうです。 NHK サイドとしては、”喉に刺さったトゲ” というか、世界的な指揮者と “皆様の NHK が30年以上も確執状態にあった” といったネガティブな話しですから言及したくなかったのは容易に想像できます __「訃報に際し NHK が触れなかった “N響事件”」(2月14日 デイリー新潮 ※4)
幾つかの記事を読み合わせると、関係修復を取り持ったのは小澤の盟友 チェリストのロストロポーヴィチだったらしいです。 その演奏会ではロストロがドヴォルザークの協奏曲の独奏を引き受けています (出典を明示できないので、詳細は省きます)。
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冒頭写真の息子と並んで座る小澤征爾を見ると、80台の頃と想像します。 体が縮んでしまっているのが明白です。 小澤は食道がんを手術しましたから、その影響があったのでしょう (大病を経ると体が縮むらしいです)。
私の友人が50~60台の頃 膵臓炎で3ヶ月入院して退院したら、背が縮んでしまったと嘆いていたのを記憶しています。「大病すると背が縮むのが初めて判りました」と。
彼はビール党で、退院後も毎日晩酌でビールをひと缶飲んでいたそうです。 「もう 毎日 ビールひと缶飲んでますから大丈夫」というので、私が「えー 毎日 350ml 缶を? 大丈夫ですか」と訊くと、「いや 500ml です」と嬉しそうに応えてました。 その彼は60台後半で晩酌中に亡くなりました。
今日はここまでです。