有名人で、学校時代にいじめられた話しが紙上に出ること多い。最近では、中川翔子さんの記事がある。グループに入れず、差別され不登校にもなったとか。
イジメの対象だった我が身だが、不登校は考えられなかった。
師範学校の付属小学校に入学した。今なら学芸大の付属である。1年の担任は、生物の先生で、生物観察の楽しさを教えてくれた。後に県立図書館長になられた。
2年の担任は、体操の先生で特に記憶はない。3,4年は、国語が専門の先生で、認めてくれた。それがよくなかったらしい。成績がいいのは、付け届けをしているせいだと、誰かが言った。“そうだ、そうだ”で「金(キン)ちゃん」とあだ名がついた。
5,6年は、薩摩の剣術・示顕流の先生である。将来の希望で、クラスで1人だけ、軍人ではなく“科学者”と言った。鹿児島では、軍人を選ばないのは許せなかった。
皆に無視された。遊びは「ケイバケイ」が中心である。騎馬戦の馬の上に飛び乗るゲームだが、私は常に馬だった。
6年間、実験学級の複式(2学年を1人の先生が教える)で、クラス替えがない。20人は6年間一緒である。これはよくない!!
最近は、イジメ対策に、クラス替えや、他校への転出もあるようだ。
中学は県立1中(現・鶴丸高校)を希望したが、先生は許可しなかった。陸軍士官学校、海軍兵学校などへの、日本一の進学率を誇る、県立2中を受験させられた。
2中では、進学強化クラス・軍人組の級長だった。担任の作戦は成功である。
中学に進んで、嬉しかったのは皆が普通に話してくれること、友達ができたことだった。その8月に終戦になり、軍人組も消滅した。何とか、科学者への夢も果たせた!!
異質なものを排除する、イジメの原因は何十年経っても変わらない。
保健室に逃げる発想はなかった。可能な限り、図書館に入り浸った。
今でも、月に20冊近く読む。
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