原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

7月20日(水)のつぶやき

2016-07-21 02:29:33 | つぶやき

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~一次下請け企業~> ※22回目の紹介

2016-07-20 22:20:08 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。22回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

----------------

**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

一次下請け企業

(前回からの続き) 

 社長の谷川さんは2013年、創業者の父の跡を継いだ。大熊町に生まれ育ち、千葉県の大学を卒業した後、東京で3年間サラリーマン生活を経験し、Uターンした。会社は富岡町にあったが、結婚後、いわき市にアパートを借りて会社に通っていた。「創業者が長い間社長職に就いている会社には未来がない」という父の経営理念で、若くして社長の任を譲り受けた。跡を継ぐにあたって、「年齢的には他の選択肢もあったが、実際に経営に携わるようになって、今更投げ出せなくなった。むしろこれから迷うことが多いかもしれない」と語る。

 柏崎の事業所は、再稼働に向けた東電の働きかけもあって、2013年6月に再開した。だが、福島第一原発の廃炉が決まり、第二原発の運転再開も見込めない。今後、国の原発政策がどのようになるのか、先が見通せない中、経営の課題は山積みしている。最大の課題は人事の育成だ。メンテナンスの仕事は5年程度の経験が必要だ。原発事故後は毎年高卒、大卒を採用し、資格を持つ熟練の技術者に経験の浅い従業員を見習いでつかせ、技術を学ばせていた。新しいメンバーを育てるため、新卒の採用を検討しているが、長期的に現場勤めができる人材を確保できるかむずかしい。(略)

 孫請け会社

 2014年夏、郡山市。中井昭三さん(70歳)は郡山市発注の除染作業を行っていた。

「うわあ、こんなあ」。放射線量の測定結果を見て驚き、思わず声を上げそうになった。線量計は毎時15マイクロシーベルトを示している。除染作業中、「いやあ、ここは線量が高いなあ」とは絶対に言わないように指示されている。だが、近くには幼稚園があり、中井さんら作業員は夏場でも長袖にマスクをしながら作業しているというのに、子供たちは半袖で遊びまわっている。「子供達がかわいそうだとつくづく思った」。

 ※「第2章 原発と生計「孫請け会社」」は、次回に続く

2016/7/21(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月19日(火)のつぶやき

2016-07-20 02:30:27 | つぶやき

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~一次下請け企業~> ※21回目の紹介

2016-07-19 22:20:36 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。21回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

----------------

**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

一次下請け企業

(前回からの続き) 原発事故で業務は一変した。

 原発事故直後、従業員は避難所を転々とし、混乱の日々を送る中、元請け企業から仕事の発注があり、3月18日から事業を再開した。当時の社長と専務ともう一人の3人が真っ先に駆けつけ、当時の社長のいわき市の実家を事務所にして従業員をかき集めた。原発事故前は建物、設備のメンテナンスを行っていたが、原発事故後の発注依頼は汚染水タンクの水位計の取り付けや海水をくみ上げるモーターの点検、計装品の取り付けやメンテナンスだ。夜間24時間ライトを点灯し続けるため、ガソリンを給油する仕事もあった。

「以前とはだいぶ違う内容だが、できることなら何でもやっていこうという意欲でやっている」という。

 原発事故前にはなかったもう一つの業務が除染だ。事故後の福島第一原発の作業で被曝線量が高くなり、原発構内で働けなくなった従業員の仕事を確保するため、従業員と話し合い、除染の業務をはじめ、樽葉町の除染作業や除染前後のモニタリング業務を請け負っている。

 原発事故後、他の仕事がよいといって辞めた従業員もいる。だが、従業員の生活を考えると、元請けから発注のあった仕事を受けざるを得ないという。従業員の7割が40~60代で、年齢的に、再就職が難しく、新しい仕事をはじめるには厳しい現状がある。

「実際は食べていくための仕事。原発の仕事は就労手当も悪くない。転職してそれ以上もらえるかというと難しい。費用対効果を考えて残る人もいる」という。

 ※「第2章 原発と生計「一次下請け企業」」は、次回に続く

2016/7/20(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月18日(月)のつぶやき

2016-07-19 02:27:49 | つぶやき

7月15日(金)のつぶやき

2016-07-16 02:29:34 | つぶやき

 


7月14日(木)のつぶやき

2016-07-15 02:29:24 | つぶやき

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~一次下請け企業~> ※20回目の紹介

2016-07-14 22:12:04 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。20回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

----------------

**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

一次下請け企業

 いわき市の谷川洋平さんの会社は、東電の元請けの一次下請け企業として原発事故前から福島第一原発、第二原発、東京電力柏崎刈羽原発で作業を請け負ってきた。原発事故前は富岡町に本社を置き、各原発の近くに事業所を置いていた。建物のメンテナンスが主で、原発の定期検査時、設備の点検を行っていた。

 原発事故前の従業員は最多で30人という中で経営してきたが、原発事故後、従業員の3分の1が退職した。新潟県柏崎刈羽原発の事業所に地元雇用の従業員が4人いたが、柏崎刈羽原発の運転が停止され、東電からの仕事が途絶えたため、一時的に事業所を閉鎖した。地元雇用の従業員に対して、福島県内の事業所で働かないかと声をかけたが、理解が得られず、2人は退職した。

「福島県の人は地元のためにという意欲があるが、他県の人はなぜ日本で一番危険なところで働かなければならないのかという思いもあったようだ」と谷川さんは言う。

 福島県の事業所の従業員は、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、南相馬市に住んでいた。浜通り地方には東京電力広野火力発電所や東北電力原町火力発電所などがあり、火力発電所と原発の仕事を掛け持ちする人も多い。ほとんどの従業員が避難指示区域の住民で、原発事故後、多くはいわき市内の避難先から通っており、南相馬市原町区や茨城県から通勤している人もいるという。

 ※「第2章 原発と生計「一次下請け企業」」は、次回に続く

2016/7/19(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月13日(水)のつぶやき

2016-07-14 02:29:56 | つぶやき

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※19回目の紹介

2016-07-13 22:25:31 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。19回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

----------------

**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

(前回からの続き)

 その後、バスは双葉町側にある5、6号機にやってきた。こちらは海抜13メートルで、津波で浸水したものの、1~4号機に比べるとその影響はあまり見られない。線量は4マイクロシーベルトと、1~3号機付近と比べると2桁以上低い。車窓越しに6号機の非常用ディーゼル発電機が入っている建物が見えてきた。(中略)

 津波の影響だけでなく、地震による影響も構内で見て取れた。5,6号機の送電鉄塔は津波でなく地震で倒れた。鉄塔の脇にある盛り土部分が崩れ、鉄塔そのものが倒れてしまったのだ。その結果、5、6号機は外部電源を喪失した可能性がある。倒れた送電鉄塔はそのまま残されており、足元の土が大きくえぐられていた。

 バスは海抜35メートルの高台に戻ってきた。東日本大震災当日、構内にいた東電社員約750人の大半が働いていた事務本館は、地震の揺れで天井の化粧板が落ち、水素爆発で窓ガラスが割れて放射性物質が入り込み、現在も一部を除き使用できない。

 2007年の新潟県中越沖地震の教訓で、緊急時の対策室として使用するため、地震に強い設計で建てられた免震重要棟が設置された。福島第一原発の免震重要棟は東日本大震災の約半年前に完成し、現場の指揮はここで執られた。地上2階建て、地下の部分にはゴム等を利用した免震装置が入り、震度7クラスの地震でも十分耐えられる設計になっている発電機も備わり、震災時、パソコンなどの事務機器や通信系統を動かすのに十分な程度の電気を供給した。

 免震重要棟の脇には原発事故当時、原子炉の注水に使用した消防自動車が置かれていた。付近の線量は15マイクロシーベルト。

 バスは最後に、使用済み核燃料を保管する乾式キャスク置き場の脇を通った。原発事故前はグラウンドだった場所だ。使用済み燃料はいったんプールで水中保管され、発熱量が少なくなった後、キャスクと呼ばれる容器に入れて乾式保管する。キャスクはコンクリート製の倉庫に保管される。もともとグラウンドだった場所に、50基のキャスクを置くスペースを整備しているところだという。

 かつてグラウンドや林だった場所は使用済み燃料や汚染水、放射性廃棄物の保管場所として使用されているが、広い1F構内の敷地もすでにこうした廃棄物置き場で手狭になっている。いずれ限界を迎え、増え続ける廃棄物を構内に保管し続けられなくなる。だが、1F構外に保管場所を確保するのは容易ではない。

 ※次回は、「第2章 原発と生計「一次下請け企業」」

2016/7/14(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月12日(火)のつぶやき

2016-07-13 02:31:35 | つぶやき

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※18回目の紹介

2016-07-12 22:06:26 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。18回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

----------------

**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

(前回からの続き)

 4号機に近づくと、「心をひとつに がんばろう! 福島」という標語が見えてきた。付近の線量は50マイクロシーベルト。4号機は東日本大震災時、定期点検中だったため、建物の周りには点検に必要な資材や機材が置かれていた。津波で流された機材やがれきが道路をふさぎ、1,2,3号機の現場に向かうのを妨げたという。

 今では道路のがれきは撤去されたが、道路から少し離れたところにあるがれきはまだそのまま残されている。車両やタンク、分電盤、柵等が倒れたままの状態で放置されている。クレーンも傾いたままだ。付近の線量は140マイクロシーベルト。

 バスは4号機から3号機、2号機の横を通りながら1号機へと北上していく。線量は最大で720マイクロシーベルトに達したが、3号機の端に来ると300マイクロシーベルトに下がった。1号機付近の建物は、放射性物質の飛散を防止するために散布された薬剤で緑色に染まっている。建物の窓ガラスは割れている。津波で割れたのか、水素爆発で割れたのか。

「線量が高いのでこれぐらいにして、車はUターンします」

 原子炉建屋の対岸では、仮設防潮堤の工事が行われていた。従来の防長堤は津波で流され、ところどころ倒れた防潮堤の破片が見える。防潮堤の代わりに、今では消波ブロックが一時的に置かれている。津波で大きく変形したタンクが海側から陸側に流され、挟まりこんでいるのも見える。

 ※「第2章 原発と生計「汚染水タンクの森」は、次回に続く

2016/7/13(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月11日(月)のつぶやき

2016-07-12 02:32:43 | つぶやき

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※17回目の紹介

2016-07-11 22:06:11 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。17回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

----------------

**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

(前回からの続き)

 構内に入ってまもなく右手に見えてきたのは汚染水タンク郡だ。タンクは大きいもので1基当たり約1000トンの汚染水が貯蔵されている。驚くのはタンクの大きさだけでなく、その数の大きさだけでなく、その数の多さだ。まさに林立状態。タンクの設置置き場場所は原発事故前、林で木が生い茂っていたが、増え続ける汚染しを蓄えるタンクを造るため、伐採された。それでもタンクはまだ足りず、増設工事が進められている。

「現在、車は海抜35メートル、高台の上を走っています。左手にテントが見えてきました。多核種除去設備ALPSです。セシウムを取り除いた後、まだまだいろいろな種類の放射性物質が入っていますが、これらを除去するために設置したのがこの多核種除去設備になります。ALPSで処理した水は正面にあるタンクに蓄え、分析測定を行い、放射性物質の除去を確認してから除去済みの方のタンクに戻します」

 構内の高台にある展望台から眺めると、原子炉建屋が見渡せる。水素爆発を起こして屋根が吹き飛び、クリーム色の建屋カバーに覆われた1号機。2号機は原型を保っているが、隣の3号機は爆発を起こして1フロアが損傷し、2号機より約10メートル低くなっている。4号機は使用済み燃料プールから燃料を取り出す作業を行うため、白いカバーで覆われている。2号機の排気塔近くには巨大なクレーンが設置されていた。

 バスは坂道を下り、高台から原子炉建屋に向かった。高台の放射線量は毎時3.3マイクロシーベルトだったが、海抜10メートル付近に降りると13マイクロシーベルトに上がった。東日本大震災時の津波は高さ約15メートル。原子炉建屋は5メートル程浸水したことになる。震災から3年がたとうとしていたが、原子炉建屋付近は津波による被害がそのまま残されている。左手に見えてきた小さなタンクは、よく見ると変形しており、点検用のはしごとその脇にある電源制御盤も大きく損傷している。草木がはぎ取られ、土がむき出しになっている場所もある。

 ※「第2章 原発と生計「汚染水タンクの森」は、次回に続く

2016/7/12(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月10日(日)のつぶやき

2016-07-11 02:33:51 | つぶやき