原発問題

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『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~孫請け会社~> ※25回目の紹介

2016-07-26 22:13:15 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。25回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

孫請け会社

(前回からの続き) 

 これから先どうなるか。避難指示の解除後、集落に戻ったのは高齢者ばかり。かつての生活バランスを取り戻せない限り、若い世代が戻ってくることは見込めない。それでも、「命ある限りここにいて頑張る」という。

 中井さんにとって、忘れられない出来事がある。1953年、自家発電が地域に初めてやってきた時のことだ。かやぶき屋根からコードでつるされた電球が、ピカッと光ってやってきた時の衝撃が忘れられない。当時、小学生だった。

 その後、自分が電力の仕事に関わり、原発で働くことになるとは全く想像がつかなかった。「福島第一、第二原発は、東京に電気を送るためのものだった。でも、東京の人はどこから電気が来るのかを知らない(略)


原発技術者

「1Fの応援に行ってくれないか」

 2011年4月、原発事故の発生から約3週間後、自宅が避難指示区域に指定され、長男の自宅で避難生活を送っていた広田春一さん(66歳)の元に、勤め先の会社の社長から1本の電話が入った。「電源復旧作業をする資格を持っている人がいないんだ。行ってくれないか」。

 家族の心配をよそに、広田さんは1Fに向かった。通い慣れたはずの1Fは、それまでと全くの別世界に変わっていた。広野長から全面マスクを着用し、防護服を着込んでの作業。建物の陰にいないと、たちまち放射線を浴びる。作業は1日2時間のみ。放射線量計の数が足りず、10人程度の1グループにつき1個が支給されるのが常だった。

 ※「第2章 原発と生計「原発技術者」」は、次回に続く

2016/7/27(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


7月25日(月)のつぶやき

2016-07-26 02:28:34 | つぶやき