原発問題

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[3・14]南相馬 夜十時防護服を着た自衛隊員が小走りで庁舎に「原発が爆発するから百キロ以上離れて」

2012-04-14 20:16:13 | 未分類

【福島原発事故 その時私は】

[3・14]南相馬市防災安全課係長 大石 雄彦さん(47)

◆防護服の自衛隊「原発爆発する」

 驚いたのは、十四日のことです。夜十時ごろ、防護服を着た自衛隊員が小走りで庁舎に入ってきて「原発が爆発するから、百キロ以上離れて」って大声で説しはじめたんです。最初、何のことか理解できませんでした。

 自衛隊はすぐに、隊列を組んで避難していきました。庁舎には市民も大勢いて「どうなってるんだ」と叫ぶ。一斉に飛び出していきました。でも、私たち職員は避難してくる人もいるし、離れるわけにはいかなかった。

 自衛隊が来た後、その話を確認しろと上司から指示を受けました。でも、衛星電話で県に確認しても「そんな情報はない」と。私たちは各避難所を回って「うわさです」と説明するしかなかった。

 四月十一日に警戒区域を決めた時から適用までの十日間は、ものすごかったです。国は大まかな地図を出してきたんです。「こんなのじゃ市民に説明できない」と言っても取り合ってくれない。

 住民に胸ぐらをつかまれて「うちは入るのか」って言われたり。皆さん必死でした。

 (警戒区域の)二十キロ圏の円の中心をどこにするかでも、もめました。市としては(市に近い)一番北側に中心を持っていって、シミュレーションしました。原発は広いですからね。でも、国は適用直前に1、2号機の煙突と、3、4号機の煙突の間を中心にした。これで、百メートルは変わった。

 国と協議して、ちょっとはみ出るように小字単位で区切ることにしましたが、ここでまたもめた。警戒区域になれば家に戻れませんから、役所に詰め掛けた人に「うちは二十キロ圏の外なのに、なんで警戒区域なんだ」って責められました。

 この十日間、かなり苦しかったです。

(東京新聞 2012年3月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/oneyear/120313-3.html


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