原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎<孤立無援の被爆者たち> ※24回目の紹介

2015-10-02 22:00:00 | 【被爆医師のヒロシマ】著者:肥田舜太郎

*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。24回目の紹介

被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎

はじめに

  私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。

 私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかっ た からです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされていません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱 が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。

 だから私は世界の人たちに核 兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、 核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。

----------------

**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介

前回の話『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎<孤立無援の被爆者たち> ※23回目の紹介

 脈をとり、胸元をはだけさせると、肋骨が高く出っぱって聴診器のあてようもないほどです。腹部は落ち込み、皮膚はカサカサで、まさに末期症状でした。看護婦に、大きい注射器とブドウ糖をすぐ届けるよう、診療所に電話をかけに行かせて、姿が消えるのを待って、「もう誰もいない。私も広島の被爆者だから、安心して話しなさい」と、患者の目を見つめました。彼はようやく手ぬぐいをはずしました。予想通り、首の後ろから右耳の下にかけて大きなケロイドがありました。彼は広島で被爆したことを話し出しました。当時は、自分が被爆者であることを知られてプラスになることは何もなかったのです。

 彼の症状は慢性の原爆症に違いありません。即刻、入院が必要でしたが、その方法が思いつきませんでした。近くに私立病院と国立第一病院がありましたが、そこまで運ぶまでに息が絶えるだろうと思いました。往診して最期まで診る以外ありませんでした。朝晩往診して輸液と輸血を続けましたが、結局、3日目に亡くなりました。本人の遺言通り、区役所に葬儀を出させ、無縁墓地に葬ったのです。


 1ヶ月くらいしたころ、彼の戦友だったという人が訪ねてきました。それで、患者の被爆の模様がわかりました。彼らの部隊は8月4日、原爆の落ちる2日前に中国大陸から広島の宇品港に着き、配属部隊の都合で船内に待機していて6日の朝、上陸を許されたところで被爆。彼は親戚の家に行く途中で吹き飛ばされ、首から肩に火傷を追って、やっとのことで船に戻ったそうです。数日後から嘔吐、下痢、発熱する人が出始め、仲間とともに海軍病院に送られます。やがて復員命令が出て、仲間は下痢の止まらない彼を残して退院し散り散りになって、戦友だと訪ねてきた人も東北の実家へ帰ったと言います。

 その後、文通が絶え、病院に問い合わせるとすでに退院していて、行方知れず。それが、彼と一緒に東京でニコヨンで働いていた仲間から彼の死を知らされて、私に聞いたら最後の状態がわかるだろうということで訪ねてきたのでした。

 亡くなった彼の実家には相続問題で複雑な事情があり、原爆にあった人は家系のなかにいてほしくないという家族の意向で、彼はえん曲に帰郷を拒否されていました。そのため、実家へ帰れず、被爆者であることを世間に隠しながら働いていたとのことでした。

 被爆者の過去には、被爆したときはこうだった、ああだったという話以上に、被爆したあと、どんな人生を送ったのか、なぜそういう人生を送らざるをえなかったのかということが、みんな原爆とかかわりを持っています。ここを知らないと、ほんとうの被爆の恐ろしさを知ることにはならないのです。熱かった、苦しかった、恐ろしかった、ケロイドができた、だけではないことを知ってほしい。被爆した後の人生もふくめて、そのすべてを知ってほしいと思います。それが、人間と核兵器がなぜ共存できないかという事につながっていくのです。

「10 孤立無援の被爆者たち」は、次回に続く)

続き『被爆医師のヒロシマ』は、10/5(月)22:00に投稿予定です。

 

被爆医師のヒロシマ―21世紀を生きる君たちに


10月1日(木)のつぶやき

2015-10-02 03:01:35 | つぶやき

武田邦彦氏
2011.3.21福島原発事故1カ月で白血病の危険も

どのくらいの放射線でなにが起こるのか
目安:400ミリSv=白血病
 
「原発から20km(浪江町)の放射線は330μSv、
1カ月あまり住む人は330ミリSvを浴びることになり
子どもも親も白血病になるだろう」

2 件 リツイートされました

セシウムの「環境的半減期は180~320年」

1986年のチェルノブイリ原発事故から
20年以上たち、周辺の放射性セシウムが

予想されたペースでは消失していないことが
2009年12月14日米国地球物理学会の秋季大会で発表された
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/487f7…

4 件 リツイートされました

2012-04-24
東京北区在住女性

近所(北区)の犬猫が
心不全でばたばた死んでいった。

(昨年秋ごろから)放射能の噂が流れたが、
信じなかった。

が自分のネコ2匹(どちらもまだ5歳未満)も突然死。
心不全と糖尿病

7 件 リツイートされました

[ENENEWS]福島で働く医師の告白『多くの人々が死につつある』「髪を失い、健康状態が悪化、出血」(VIDEO) blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/7d3f4…

10 件 リツイートされました

(元原発技術者・菊池洋一さん)
ヘリコプターからボーリングの玉を落とせば
原発の屋根は壊れる

何が堅固な建物か
屋根なんてオブラートみたいに薄い

柱を立てられないんだから軽くするしかない。
原発の屋根はないのと同じ
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/f26c6…

4 件 リツイートされました

スイスの内科医マルティン・ヴァルター氏

骨に吸収されるストロンチウム90は
ベータ線を出すため、内部被曝の測定は不可能。

唯一の方法は、子供の抜けた乳歯を取って置きそれを測ること。
乳歯を焼いて灰にすれば測定できる。
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/5cbe7…

5 件 リツイートされました

2013-07-18
ダウン症が8倍!染色体異常の増加
2003年度で、1万出生数あたり11人。2013年1万出生数あたり、104人
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/998e1…

ダウン症では、若年性アルツハイマー病や白血病などの合併症が
高い確率で発生することが知られている

10 件 リツイートされました

2012-04-23
2011年3月11日の時 乳児を抱えたポーランドの友人が
薬局にヨウ素を求めた所、 販売出来ないと言われた。

薬局店員から国の通達ヨウ素販売の自粛の用紙を見せ
国から通達がきてるので販売出来ないと言われた。

13 件 リツイートされました

2012/03/24
衝撃的な電話が来ました。
0.96μSv/hの汚染報告を社宅管理事務所が圧力をかけて削除
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/90fa7…

消された汚染データ
神奈川県川崎市麻生区千代ケ丘5丁目
屋外(側溝) 地表 5cm0.96μSv/h

6 件 リツイートされました

ツイッターには多数の電通アカウントが存在、今も量産され続けているようです。それらはフォロワーやRTを水増しし、仲間内同士でロンダリングRTして拡散、話題を組織的に同時発信してブーム演出を図ってます。発言影響力を独占した世論形成とミスリードが狙いです。

neko-aiiさんがリツイート | 164 RT

友達から「いとこの旦那が46歳で膵臓癌で亡くなった。習い事の友達は肺腺癌、高校時代の友達は脳炎で入院、別の知人は心筋梗塞で亡くなって、昔の同僚も無事だったけど心筋梗塞。もー怖すぎるんだけど」と連絡きた。最後の助かった人は東京で、あとは関西だけど。うむー。

neko-aiiさんがリツイート | 18 RT