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ジョン・レノンの死をめぐるいくつかの本 その1

2013年06月29日 | ジョンレノンをめぐる本

 

ケネディ大統領没後30年の頃、1992年頃だが、オリバー・ストーン監督の『JFK』製作の動きが報じられ、まだまだ事件の真相が明らかにされていないことが明らかとなり、興味が湧いたことがあった。また『JFK』の映画の見た後は、「日本のJFK事件」とも言われる下山事件や、松川事件などにも再び関心がいくようになり、ぽつぽつと、その方面の本を探し求めるようになってきた。占領下の事件から60年後の2009年の年には、少しばかり、下山・松川事件に関する著書が刊行されたが、まだまだ、知りたいことが、深められていないことがあり、ならば、ほんの僅かでも残された資料を再・再読しながら、事件を追ってみたいとしきりに思うようになった。

そのような中で、レノンの死にも、アメリカの(チャップマンの単独犯)公式見解とは違うことが、この本には明晰に書いてあった。

上の2冊は、ジョン・レノンは、チャップマン単独犯によるものではなく、平和主義者のレノンを、「アメリカの国益に逆らう、国賊として」、複合陰謀の用意周到な工作の上に抹殺されたとするもの。

随分前に読んだので、細かいところは覚えていないのだが、少し、ラインを引いたところを引用してみようと思う。

左の本はフェントン・ブレスラーの『誰がジョン・レノンを殺したか?』 島田三蔵訳 学習研究社 2000年

この本はジョンレノン没後10年の1990年に音楽之友社 から最初に刊行され、その後学習研究社の文庫になった。犯人とされたチャップマンが住んでいた地元の警察も調べない事を、著者は、事件後8年もかけて、足で調べ上げた調査を元にしていて、次々と隠蔽されている事項を発見している。

職業も転々とし、稼ぎもすくないチャップマンが、なぜ、犯行前に大金の必要な世界旅行などができたのか、またなぜ、リスクが高いと判断されると考えられる男に簡単に融資したのか? 世界旅行中に雲隠れするかもしれないのに、雇われて間もない チャップマンを誰が保証して、借金を用立てできたのか。・・・

ニューヨークで、レノンを暗殺するチャップマンが、なぜか最初にシカゴに向かい、滞在した理由も謎のままである。マインド・コントロールの指導のにおいを著者はかぎつける。出発日の謎、また彼が故意にホテルに残したとされる航空券の日付と、目的地が違う謎。航空券ねつ造の疑い。・・・・

 

上右の本は アラン・パーカー、フィル・ストロングマン共著 小山景子訳  『ジョン・レノン暗殺 アメリカの狂気に殺された男』 K&B パブリシャーズ 2004年 である。

1980年11月4日火曜日、レーガンは大統領選で勝利、50州の内、44州で勝ち、選挙人489票。

マーク・チャップマンが、レノン暗殺のため? 空港を飛び立ったその日。

ラテンアメリカでは、アメリカ大統領選でのレーガンの勝利によって、それまでカーター民主党政権で押さえられていた、CIAのタカ派が、一斉に動きを見せる。

「1980年11月27日、エルサルバトルでは、イエズス会高校で行われていた記者会見の会場で、当局の秘密警察が、計画的に右翼のガンマンたちを会場に招きいれた。警察の警備が傍観する中、記者会見開催中のFDR民主党野党のメンバー20人が誘惑される。翌日、そのうち六人のバラバラ死体が、サンサルバドル郊外に捨てられていた。犠牲者の一人は、FDRのリーダー、エンリケ・アルバレス・コルドバだった。

(1980年)12月2日、アメリカから来た四人の修道女が、サン・サルバトル空港を出たあと、忽然と消えた。エルサルバドルの秘密警察は、ずっと前から、モラルを重んじる一部のアメリカ女性が、ひそかに自国の国家犯罪を見張っているのではないかと疑っていた・・・・・。」 『ジョン・レノン暗殺 アメリカの狂気に殺された男』 K&B パブリシャーズ 2004年  270頁。

「マーク・チャップマンが、またもや空港から飛び立ったのも、これと同じ日のことである。(ブログ主 注 12月2日)

今回は、三十八口径の拳銃と強力なホロー・ポイント弾を携えて、ホノルルからシカゴに向かった。確かにシカゴには、彼の祖母が住んでいたが、銃を用意して、祖母の家に三泊しに行くというのは、いかにも不自然だ。しかも弁護士フェントン・ブレクスラーの暴露した証拠によって、実は、彼が祖母の家に行ったのではなく、もっと邪悪なほかの目的のために、シカゴに行ったのではないかという疑惑が浮上している。チャップマンの宿泊したニューヨークのホテルで、犯行後に発見された航空券には、偽装工作がされていたのだ。チャップマンが実際にハワイを発ったのは(12月)2日なのに、部屋においてあったチケットでは、12月5日に発ち、シカゴには寄らずハワイから、ニューヨークに直行したことになっていた。」  『ジョン・レノン暗殺 アメリカの狂気に殺された男』 K&B パブリシャーズ 2004年 270頁

「(1980年)12月4日、失踪した修道女たちのバラバラ死体が、サン・サルバドルの空港に近い場所で、地表から浅いところにこっそり埋められているのが見つかった。被害者のイタ・フォード、ドロシー・キャゼル、モーラ・クラーク、ジーン・ドノヴァンは、いずれもレイプされ、拷問されたうえ、時間をかけ、殺害されたことが判明し、アメリカ社会は恐れおののいた。しかしエルサルバトルの秘密警察は、〈死の部隊〉に殺害された犠牲者達とアメリカのプレスに対する軽蔑を隠そうともしなかった。もう一人のアメリカ人記者のジョン・サリバンという男も失踪していたが、この事件にエルサルバトルの財務保安部が関わっていることが、同じ十二月に明るみに出た。カーター大統領は、エルサルバトルに対し、ただちに経済制裁及び軍事援助の差し止めを決定した。修道女達の遺体発見現場で、駐在大使ロバート・E・ホワイトは殺人者を激しく非難して叫んだ。「こんなことをして、逃げおおせるとおもうなよ!」・・・・・しかし彼の予測ははずれ、死の部隊に殺害を指示した黒幕が裁かれることはなく、エルサルバトルへの(アメリカの)援助は、数週間後にまた再開された。

数日後率直な意見を述べたホワイトは、元俳優で、新大統領のロナウド・レーガンによって、(エルサルバトル大使の職を)解任されてしまう。続く1981年の1年間で、アメリカは、この軍事政権に総額3000万ドルもの経済援助を行い、この国では、さらに1万人以上の市民が殺害された。

1981年に、元俳優で、現ミュージシャンのジョン・ウィストン・オノ・レノンには、アメリカ市民権取得の資格が生じるはずだった。市民権を得れば、会社経営もできるし、市長にも立候補できる。望むなら州知事にも・・・・ 。」

『ジョン・レノン暗殺 アメリカの狂気に殺された男』 K&B パブリシャーズ 2004年 270頁~271頁

ここまで引用してくれば、ジョン・レノン暗殺前後のアメリカの、右派台頭の雰囲気がよくわかる。多言を要しないであろう。

また、オリヴァー・ストーン監督の1985年作品 『サルバドル』 は、上に引用した、レイプされた上、拷問され、虐殺された、アメリカ人の修道女失踪事件を含む、レーガン政権発足前夜のアメリカと、ラテンアメリカのエルサルバトルを描き、必見の映画である。例によって、ニューヨーク・タイムズは、オリバー・ストーン監督の映画をこきおろしたのだが。

 

▲ オリバー・ストーン監督の 初期の傑作映画 『サルバドル』 1985年 

ジョン・レノン暗殺の男チャップマンがハワイのホノルル空港から飛行機に乗った同じ1980年12月2日、アメリカからエルサルバドルの空港サン・サルバドルに降り立った4人の修道女に起きたこととは。ラテン・アメリカでは、こんなことが起きていた。エルサルバドルでの事件や内戦を目撃した記者の目を通してラテン・アメリカの小国を描いているが、底でジョン・レノン暗殺前夜の空気と どこかで深く つながっている。2013年の現在、そのことが明瞭に見える。 

レーガンの、大統領選の劇的な大勝によって( カーター大統領の、例のイランのアメリカ大使館員救出失敗の責任を負わせたことによる・・これ自体カーター大統領失脚のための陰謀くささがプンプンするのだが) アメリカの流れが、激変するのである。11月下旬から、12月初旬はまだ、政権移行期のカーター政権下なのだが、CIA右派の政府内裏政府は、レーガン新政権発足を待ちきれず、秘かにスタンバイしていた極右的工作を一気に進めることになったのではないかと現在の時点では見えてくる。FBI監視記録からすれば、充分にCIA内極右グループ内には、レノン排除の動機はあった。

時間をかけ、おそらく、ニクソン時代の時に立案されていたのだが、ウォターゲート事件発覚によるニクソン大統領辞任により、やり損ねていた、用意周到に準備されてきた軍産複合体・右派暴走のシナリオのスイッチが、決定的に、1980年の年末から、入ったのである。ジョン・レノン暗殺の時期に並んで、ラテンアメリカの左派抹殺の軍事大統領の大量出現も、単独の小国軍事大統領のファシズム暴走なのではなく、多額の武器・弾薬供与・経済援助と、軍事独裁による暴虐行為のアメリカの黙認・承認・奨励があったからなのである。かくもおぞましい犯罪国家群に、アメリカは共産化されるよりまし、国益になるとして長期にわたり肩入れを続けていく。レーガンは三文役者のお飾りなのだから、後ろに控えている父ブッシュが、実権を掌握して、軍産・複合体国家の黄金時代を築いていくのである。地球の裏側では、小ファシズム国家を操り人形のように、アメリカが糸を引いて思いのまま操っていたのである。

この上記の二つの著書は、当時のアメリカ裏社会の狂気の沙汰を活写して、時代を経れば経る程、より、アメリカのとんでもない国家ぶりが立体的に見えてくるから不思議である。父ブッシュ元大統領のCIA時代・副大統領時代の工作日誌など回想記にでもしてくれれば、大変助かるのだが。これは、永遠に秘匿されるであろう。それにしても多くの工作に父ブッシュは関わっており、いつ情報が漏れ出すか、心配で心配で健康を損ねているのでは。

これに対して下の写真右端の著書

▲ 右端の本は ジャック・ジョーンズ著 堤雅久 訳 『ジョン・レノンを殺した男』 リブロポート 1995年

本日到着したばかりで、まだ、ざっとめくっただけなのだが、著者はチャップマンのインタビューから、真相にせまるつもりでいるらしいが、、まだマインドコントロールが解かれていない人物かもしれない上に、裏社会や、精神科医監視付きの中で、真相が語られるか、は、はなはだ疑問。よくある話題の人のネタで食べていくだけの著者もアメリカには数多いので、これは注意が必要な類の本と考えたほうがよいかも知れない。訳者は、あとがきで、これは「ほとんど小説である」とまで言っている。翻訳しながらがっかりしたのではないだろうか。もしかすると公式政府見解を代弁するためだけのインチキ本の類では?。この本は先に紹介した本を読んだあとに、眉に・・・ して読むべき本である可能性が高い。あまりお薦めできない本であるだろう。CIA補助金付きの本も陰謀をめぐる本には多いので、それはそれなりの歴史資料としては確保しておこう。このほか、日本では、下記のように、レノンの死に関していくつか、翻訳されたり、著書も出ているので、読了後にまた紹介したい。

日本語に翻訳された、或いは、ジョン・レノンの死に関連する本として

1990 年 フェントン・ブレスラー 『誰がジョン・レノンを殺したか?』 島田三蔵 訳 音楽之友社 のち 2000年に、学習研究社 から文庫本となり、学研M文庫に収録

1990 年 山川健一 『ジョン・レノンを殺したのは誰か』 八曜社

1995 年 ジャック・ジョーンズ 堤雅久 訳 『ジョン・レノンを殺した男』 リブロポート 

1995 年 『ジョン・レノン狙撃事件』 週刊マーダー・ケースブック 10 省心書房

2000 年 ジョン・ウィーナー 高橋結花 訳 『ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4~HQ-33』 角川書店

2004 年 アラン・パーカー、フィル・ストロングマン 小山景子訳 『ジョン・レノン暗殺 アメリカの狂気に殺された男』 K&B パブリシャーズ

2010 年 キース・エリオット・グリンバーグ 刈茅由美 訳 『1980年 12月8日 ジョン・レノンのいちばん長い日』  ブルース・インターアクションズ

などがある。

この他にも、雑誌や大学紀要に掲載されたものも多くあるだろうが、入手できるもので気がついたのはこの7冊である。国会図書館の資料検索もやってみたい。

6月は、他所に置いていた書庫の本を自宅に搬送する整理に時間を費やし、ブログ更新は最低限になってしまった。7月からは、搬送してきた荷を解きながら、熱い夏に備えるとしよう。

次は 2000 年 ジョン・ウィーナー 高橋結花 訳 『ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4~HQ-33』 角川書店 あたりを紹介したい。

この項しばらく続く

 

 

 

 

 

 



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