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izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

最終日間近の「EIKO 石岡瑛子」展、懐かしさと情熱に触れる

2021-02-10 10:55:14 | アート・文化

東京都現代美術館で開催中の「EIKO 石岡瑛子  血が、汗が、涙がデザインできるか」を観た。

会期が2月14日までと迫り、数日前にテレビ放映されたこともあってか、入り口から会場受付まで「1時間待ちで〜す!」という長蛇の列にビックリ!幸い事前に日時指定チケットを予約してあったので、時間になったらすんなり入場。

会場内は去年第1回目の緊急事態宣言前と同じくらいの混雑ぶり。思えば去年の1月から始まったコロナウィルス感染以来、美術館は閉鎖期間を経て人数制限の日時予約制になって静かにゆっくり鑑賞できていたが、ここはまるでコロナなんて関係ない(?!)混雑ぶり。。。

 

1961年、東京藝大を卒業し資生堂宣伝部入社後、石岡瑛子は「化粧品広告という極めて通俗的な表現の枠の中に、爆弾を仕掛けることに意欲」を持って女を「観客としての立場から送り手としての立場に逆転させようとする、積極的な意思と行動の日々」送る。この間に制作されたポスターは斬新な視線がデザインに生かされ、強いインパクトを与えていた。

1967年に4ヶ月かけて欧米9カ国を旅行。この間、当時のベトナム反戦運動やポップカルチャー、”怒れる若者たち”のファッションや音楽や社会現象を直接肌で感じたことと思われる。石岡瑛子と同時代にコピーライターとして活躍していた小池一子が、後に「60年代の変革が忘れられない」と語ったことがあったのだが、当時高校生だったワタシにとってこの時代は憧れ。「あと10年早く生まれたかったなぁ〜」と何度も思ったものである。

 

振り返ってみれば、前田美波里や沢田研二、オーロール・クレモン等を起用した資生堂ポスターのなんという強さ、美しさ!

当時日本に帰国したばかりの藤原新也の写真を使った渋谷パルコのポスターの、ギラギラとした色彩が伝えるアフリカの民族の明るさ、豊かさ!

三宅一生が発表した黒人モデルだけのコレクションショーの圧倒的な熱量! 

角川書店から出版されていた雑誌「野生時代」の表紙の、個性的で自由な発想!。。。。

 

展覧会は、石岡瑛子のキャリアを資生堂時代、パルコ時代、角川書店時代に分け、平面の仕事の数々を展示。その後1980年にニューヨークに拠点を移してから以降のブロードウェイの舞台や数々の映画の美術・衣装を経て、ヨーロッパでのオペラの衣装、さらに北京オリンピック開会式でのチャン・イーモウ総監督の元での衣装に続く、デザインから大きく空間へと飛躍した過程を辿りつつ、石岡瑛子が時代に残した足跡を通して、彼女の創作への情熱、闘い、時代背景などを知る構成となっている。印刷物への校正赤字入れ、イメージを共有するためのデッサンやコンテ、衣装デザインのスケッチなどに、制作過程での細心なチェックを見ていると、小さなことを積み上げていってこそ大胆で革新的な仕上がりが生まれてくることが見えるのだった。

「ドラキュラ」や「白雪姫と鏡の女王」、「落下の王国」などの映画や、数々のオペラや北京オリンピック開会式、シルク・ドゥ・ソレイユ等の衣装のドラマティックな斬新さには目を見はる!まさに「血と、汗と、涙」が創り出した芸術作品!

これまで手がけた作品を一堂に眺めると、時代への懐かしさと同時にどれも今に通じる新鮮な感覚と訴求力があることに気が付くのだ。

 

石岡瑛子が広告デザインを共に手がけた写真家ー横須賀功光、十文字美信、操上和美氏たちは、ワタシがかつてファッション雑誌の編集をやっていた当時に一緒に仕事をしていた方達で名前も懐かしかったのだが、懐かしさだけでなく「今!この熱量が必要!」との思いを強く感じた。今やっていることがなんであれ、流されない、自分自身を保つ、目先のことに集中しつつ遠く高く見つめるーーなんだか励まされたような気分でありました。

 

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シャネル・ネクサス・ホールのピグマリオン・デイズ・コンサート動画で聴いた「悲愴」に感動!

2020-10-19 10:45:14 | アート・文化

銀座シャネルのネクサス・ホールには、以前、写真展や絵画展を観に行ったことがある。日本であまり知られていないアーティストが取り上げられることが多く、頻繁ではないけれど素晴らしい作品に出会えるスペースである。

このホールでは、定期的に若い演奏家(主にクラシック系の)コンサートが開かれているのだが、今年はコロナウィルスの影響で開かれず、今回は(10月16日から)、アーティスト達の演奏を動画配信している。

 

その第1回目となる平間今日志郎さんによるベートーベンの「悲愴」を見て聴いて感動!

最初の出だしの音からしてもうビックリ!音が柔らかいのである!

クラシックはあまり聴いていないのだが、そのひとつに、やたら気合いと力が入りすぎて(?)音にビックリする場合がある、という点だ(あくまでもワタシにとって、ですが)。それに、演奏会ではなんか緊張を強いられるような気がして(咳しちゃいけないと思うと咳が出てくるし。。楽章ごとに拍手をしない、というのも感覚的には不自然で堅苦しい気がする。。。見えないルールがあるって感じ)、あまりリラックスして聴けないのだ。

 

で、動画で見た平間今日志郎さんのピアノによる「悲愴」は、出だしを聴いた瞬間に「えっ!?」。知らず知らずのうちに涙が湧いてきたの。音が軽やかで重々しくない。タッチや流れが滑らかで、心にする〜っと入ってくる(もちろん音の強弱はあるし全体の曲想は"悲愴”なのだが)。

動画であるからして、演奏している時の表情や指遣いなどもアップで見られて、「ああ、ここはそんな情感なんだ。。」と彼が表現したいことなどがよく分かる。動画配信では、演奏を聴くことに集中できることも発見(他に観客いないからね)!これはいい!!

画面で映像を見ながらイヤホンで聴いていると、なんだか、雑然とした日々のガザガザした心が洗われるよう。

キャリアや履歴で聴くのではなく、その人について何も知らないまま演奏そのものを聴いて感動する!これって素晴らしいことじゃない?

 

展覧会でイヤホンガイドを通して流れていた音楽と絵が一気に合体して気持ちが震えたり、あるいは好きな曲をたまたまiTunesで見つけてダウンロードしたり。。。たま〜にふとした時にしか聴かないクラシックではあるが、これからちょっと気持ちを向けてみようと思った動画配信でありました。

シャネルのピグマリオン・デイズ・コンサート動画、今後の予定はシャネルのサイト https://chanelnexushall.jp から。

平間今日志郎さんのピアノ演奏動画は、10月23日まで。23日〜29日はヴァイオリンの前田妃奈さん、30日〜11月5日まではチェロの水野優也さん、11月6日〜12日がピアノの八木大輔さん、11月13日〜19日がソプラノの鈴木玲奈さんと、5週連続で配信される。

この機会に今まであまり縁のなかったクラシックの演奏を聴いてみようと思うのでした。

 

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「さとう陽子 ”愛でる”」展が、六本木s+arts にて

2020-09-20 14:19:40 | アート・文化

絵画・写真・詩・パフォーマンス等を通して世界との向き合い方を問い続けているさとう陽子。

初めて彼女の作品を観た時からすでに20年近くになる(多分?)が、周囲へ向ける真っ直ぐな眼差しと自分自身への覚悟はずっと変わらない。

不要な線や面を省いて最小限の線と色とで構成した絵画や、普段の日常にある何気ない景色を切り取った写真、必要最低限の言葉を選らんで語る詩・・・彼女の作品を観るといつも、W.H.オーデンの詩「今日は頭を上げて 僕たち見ている・・・」という一節を思い起す(ここしか覚えてないのでありますが。。💦💦)。孤高を恐れず、妥協せず、美意識と精神性を高く保ちつつ、同時にこれまで以上に他者へ向ける眼は優しく柔らかくなってきているように思える。

今回の作品展のテーマ”愛でる”について、彼女は以下のコメントを書いている。

「私は周囲を見回していて、音楽や小説を味わうようには美術作品が生活の中に溶け込んでいないように感じることがある。

・・・中略・・・

美術という概念が入ってくる以前に日本人の美意識は生活の中にあった。こしらえとしての生け花や掛け軸、のちに民画や民藝と呼ばれるようになる品々・・・

けれど現在私たちは美術の概念と美意識とをごっちゃにしたまま作品をつくり鑑賞し続けている。・・・・・

私は日常の中で愛でられる作品をつくる。そして作品が生きていくことに静かに力を添えるものになる仕事をしたい。」

 

う〜む。「美術の概念と美意識をごっちゃにしたまま」か。。。これ言えてるよなぁ〜。。。自分自身がそうだもの。

「美しいものを見つづける

 逃げではない

 責めでもない

 ひとつの覚悟として」

お正月に彼女がくれた賀状に添えられた言葉を時々取り出しては、ワタシも、私自身の美意識を問い続けることを忘れたくないと思うのでありました。

 

■さとう陽子 ”愛でる”

会期:2020年10月2日(金)〜10月11日(日)

時間:12:00-19:00(最終日は17:00まで。会期中無休)

場所:s+arts(スプラスアーツ)港区六本木7-6-5 六本木栄ビル3F

https://www.splusarts.com

 

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時間予約で国立近代美術館に。「ピーター・ドイグ展」を観る

2020-06-25 15:15:52 | アート・文化

外出自粛制限が出て以来、どこもここも閉館になっていた美術館・博物館・映画館が再開した。

休館にかかって見逃した展覧会もいくつか。待ちに待った再開!で、まずは近代美術館の「Peter Doig ピーター・ドイグ展」。日本初の個展だ。

主要な美術館は、まだどこも時間予約による人数制限をしている。空いた時間にプラッと寄るのが習慣だったので、時間を決めて予約、というのはとっても苦手。でも、近代美術館は大々好きな(!)原田直次郎の「騎龍観音」の絵があり、時々それを見たくて出かけていっていたところでもあり、「ピーター・ドイグ展」は興味があったので、頑張って14:00の回で予約。

時間をずらして入場させているので、館内はほどほどの人数。人が気にならない程度にゆっくり鑑賞できた。

 

ピーター・ドイグは、1959年エジンバラ生まれ。トリニダード・トバコとカナダで育ち、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得し1994年、ターナー賞にノミネート。2002年よりトリニダード・トバコ在住の、今最も”旬”の現代アートの画家である。

彼の絵は、どれもタッチが暖かく、どこか懐かしく、それでいて今までこんな感覚の絵は観たことないナと思わせる新しさがある。

例えばある作品では、ゴーギャンやマティスを思わせる素朴で力強いタッチが印象的だし、また別の作品では、画面を上下三等分にして景色と水に映るその景色とが渾然一体となってそこに非現実的な風景が現れていたり、しばしば描かれるモチーフである小舟は「13日の金曜日」からのモチーフだったりと、現実と想像の世界が反転しているかのような錯覚に陥るが、それがとても懐かしい感覚でもある。

微妙な色合いの組み合わせで色彩豊かに描かれた「スキージャケット」という作品は、日本のニセコスキー場の新聞広告を元に描かれている(!)し、「ラペイルーズの壁」という墓地の壁沿いに歩く男を描いた作品は「小津安二郎監督の映画「東京物語」における”計算された静けさも念頭に置いて描いた”とのことで、じっと観ていると日射しや乾いた空気、音の消えた昼下がりの匂いなどを感じることができる。

ピーター・ドイグは、トリニダード・トバコで「STUDIO FILM CLUB」という私設映画上映会を主催していたが、その上映作品のドローイングが素晴らしく(!)ワタシ的には一番親しみを感じた。展示会場の最後、出口に到る廊下の両側に、額に入ったそれらの絵がズラッと並んでいる。「気狂いピエロ」、「真夜中のカウボーイ」、「羅生門」、「暑いトタン屋根の上の猫」、「Stranger than Paradise」・・・etc. 写真や広告、映画などから着想を得て作品を描くというピーター・ドイグの作品群を観ていると、何だかワクワクしてきて自分でも絵が描きたくなってきた。 

 

ピーター・ドイグの現代アートを堪能して、コレクション展4階に。1890年制作の原田直次郎の「騎龍観音」は今日も入口を入った正面に立っている。荒ぶり岩に打ち寄せる波しぶき、大胆な構図で描かれた龍の動きと眼の輝き、龍の頭に立つ観音の気品に満ちた表情と身に纏う衣の軽やかさ。。。絵全体はドラマティックで大胆な動きがあるが、とても静謐な雰囲気に満ちている。コロナの自粛やら混乱やらが収まらない今、いつにも増していろいろな思いが沸き上がる。

今回は、「騎龍観音」の隣りに展示されている岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」にもなんだかとても惹きつけられた。

切り通しの土手の土が盛り上がる坂道と白い柵と黒い石壁、上り切ったその上の青い空。。。これまでも観ているはずなのに、これほど圧倒的な強い力を感じたのは初めて。”大地の胎動”、というのか、”生きてるって素晴らしい”というのか(月並みだが!)、そんな言葉が素直に出てくる。

その時の心情や社会的状況や、観る人観る時によって、絵は様々に見える。どちらも重要文化財指定作品に指定されているのだが、時代を超えて伝わってくるものが確かにある。そんな初歩的なことにも改めて気がついたほとんど4ヶ月ぶりの美術館でありました。

 

 

 

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ギャラリーナユタで、不思議なフォトグラムと出会った!〜西村陽一郎展「光る玉」

2020-02-07 15:46:18 | アート・文化

先月末に続いて、銀座奥野ビルの「ギャラリーナユタ」。

佐藤香織さんから「是非みてくださいね」と言われたこともあり(佐藤香織さんのオススメは全幅の信頼を寄せているのだ!)、暖かな陽気となった2月の水曜日、この日は京橋「ギャラリー檜」でさとう陽子さんの個展も開催中でもあり、ギャラリー2件のハシゴ。

 

ギャラリーナユタでは、西村陽一郎展「光る玉」に驚きと感嘆!印画紙に直接ものを置き、光をあてて画像を得る”フォトグラム”という技法を観るのは初めて。不思議な感覚だ。

今回展示されているのは印画紙の上にシャボン玉をのせて撮影したモノクロの作品。

印画紙の上のシャボン玉が細長く引き延ばされ、光を受けて輪郭が白く中に黒い芯があるような不思議な写真。まるでロウソクの炎か細長いランプが並んでいるよう。。。幻想的だ。

2016年に発売された西村さんの写真集『青い花』という”スキャングラム"という技法で創られた作品集を見せてもらったが、これがまた素晴らしい!のひと言!!

”スキャングラム"とは、スキャナーに置いた花や葉をネガデータにした言わば『”フォトグラム”のデジタル版』。ネガは色が反転するから、例えばめしべやおしべが白くなり、花弁は白くなり、花びらの重なりは透明に細部まで鮮明に写し出されている。さらに補色による色の変換が生じるので、黒いバックに浮かぶのは青と白の幻想的で宇宙的な世界。。。

ハイビスカスやツツジなどの赤い花が青く浮かび、めしべが白く輝き、おしべの先は白く長くゆらゆらヒョロヒョロと伸びているように動いて見える。。。ページを繰っていくうちに、どこまでも広がる空間に音楽が響いているような雰囲気だ。。凄い(!!)作品集であった!この写真集は、国立印刷局理事長賞、部門賞金賞をダブル受賞したとのことだが、どこか妖しくも美しい青い花の世界に引き込まれるような気分だ。

たまたま作者である写真家の西村陽一郎さんがギャラリーに来られていろいろお話しを伺ったのだが、とても穏やかで優しい眼差しの方。印画紙やスキャナーの上にいろいろなものを置いて撮影して作品を創り出していくその作業は、まるで自ら遊びながら面白がっている少年のような素敵な方でありました。

西村さんの素晴らしい世界を垣間見ることができるオフィシャルHP https://www.yoichironishimura.com 

西村陽一郎展「光る玉」〜フォトグラム作品

 

 

銀座奥野ビルの「ギャラリーナユタ」と京橋の「ギャラリー檜」までは、歩いて10分程度の距離。

2月3日から15日までの、まったく同じ期間に開催中の「さとう陽子展ーすきをすくー」。

時期が同じって嬉しい。散歩気分で両方観られる。

さとう陽子さんは結構長いこと見つづけてきている作家さんで、最初の頃から段々と色が増え、明るさが出て来て、写真作品も加わり、独自の世界を広げ深めてきているように思う。

画や写真、それにときおり添えられる短い詩がまたとてもクールだけど叙情的でもあり、全部が相まってひとつの世界を創り出している。

今回添えられた言葉は、「美しさを見つづける」というシンプルかつ真っ直ぐな眼を感じるもの。

佐藤さんの言葉には、例えば「とてもな」というものがあったが、解釈の仕方は多様。今回の「すくをすく」って、好きを好く(?)、鋤を鋤く(?)、隙を透く。。。いろいろな意味が広がる。

作品のいくつかの画面には、鋤きで鋤いたような規則的な線が隠れていたり、好きだな〜この色、といった感想が浮かぶものがあったり、多面的で包容力のある表現がどんどん広がってきているように思える。

ひたすらに美しさを求めて、ただし「逃げでもない。責めでもない。ひとつの覚悟として」見つづけること。その面白さと孤高を引き受けて表現し続ける。発表し続ける。さとう陽子さんの強さと深い優しさを感じる個展でもあった。

「さとう陽子展ーすきをすくー」

 

 

 

 

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