外出自粛制限が出て以来、どこもここも閉館になっていた美術館・博物館・映画館が再開した。
休館にかかって見逃した展覧会もいくつか。待ちに待った再開!で、まずは近代美術館の「Peter Doig ピーター・ドイグ展」。日本初の個展だ。
主要な美術館は、まだどこも時間予約による人数制限をしている。空いた時間にプラッと寄るのが習慣だったので、時間を決めて予約、というのはとっても苦手。でも、近代美術館は大々好きな(!)原田直次郎の「騎龍観音」の絵があり、時々それを見たくて出かけていっていたところでもあり、「ピーター・ドイグ展」は興味があったので、頑張って14:00の回で予約。
時間をずらして入場させているので、館内はほどほどの人数。人が気にならない程度にゆっくり鑑賞できた。
ピーター・ドイグは、1959年エジンバラ生まれ。トリニダード・トバコとカナダで育ち、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得し1994年、ターナー賞にノミネート。2002年よりトリニダード・トバコ在住の、今最も”旬”の現代アートの画家である。
彼の絵は、どれもタッチが暖かく、どこか懐かしく、それでいて今までこんな感覚の絵は観たことないナと思わせる新しさがある。
例えばある作品では、ゴーギャンやマティスを思わせる素朴で力強いタッチが印象的だし、また別の作品では、画面を上下三等分にして景色と水に映るその景色とが渾然一体となってそこに非現実的な風景が現れていたり、しばしば描かれるモチーフである小舟は「13日の金曜日」からのモチーフだったりと、現実と想像の世界が反転しているかのような錯覚に陥るが、それがとても懐かしい感覚でもある。
微妙な色合いの組み合わせで色彩豊かに描かれた「スキージャケット」という作品は、日本のニセコスキー場の新聞広告を元に描かれている(!)し、「ラペイルーズの壁」という墓地の壁沿いに歩く男を描いた作品は「小津安二郎監督の映画「東京物語」における”計算された静けさも念頭に置いて描いた”とのことで、じっと観ていると日射しや乾いた空気、音の消えた昼下がりの匂いなどを感じることができる。
ピーター・ドイグは、トリニダード・トバコで「STUDIO FILM CLUB」という私設映画上映会を主催していたが、その上映作品のドローイングが素晴らしく(!)ワタシ的には一番親しみを感じた。展示会場の最後、出口に到る廊下の両側に、額に入ったそれらの絵がズラッと並んでいる。「気狂いピエロ」、「真夜中のカウボーイ」、「羅生門」、「暑いトタン屋根の上の猫」、「Stranger than Paradise」・・・etc. 写真や広告、映画などから着想を得て作品を描くというピーター・ドイグの作品群を観ていると、何だかワクワクしてきて自分でも絵が描きたくなってきた。
ピーター・ドイグの現代アートを堪能して、コレクション展4階に。1890年制作の原田直次郎の「騎龍観音」は今日も入口を入った正面に立っている。荒ぶり岩に打ち寄せる波しぶき、大胆な構図で描かれた龍の動きと眼の輝き、龍の頭に立つ観音の気品に満ちた表情と身に纏う衣の軽やかさ。。。絵全体はドラマティックで大胆な動きがあるが、とても静謐な雰囲気に満ちている。コロナの自粛やら混乱やらが収まらない今、いつにも増していろいろな思いが沸き上がる。
今回は、「騎龍観音」の隣りに展示されている岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」にもなんだかとても惹きつけられた。
切り通しの土手の土が盛り上がる坂道と白い柵と黒い石壁、上り切ったその上の青い空。。。これまでも観ているはずなのに、これほど圧倒的な強い力を感じたのは初めて。”大地の胎動”、というのか、”生きてるって素晴らしい”というのか(月並みだが!)、そんな言葉が素直に出てくる。
その時の心情や社会的状況や、観る人観る時によって、絵は様々に見える。どちらも重要文化財指定作品に指定されているのだが、時代を超えて伝わってくるものが確かにある。そんな初歩的なことにも改めて気がついたほとんど4ヶ月ぶりの美術館でありました。
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