曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

11月で、丸1年

2014年11月03日 | 高齢者

オット父Gオさんが急死してから、もうすぐ、1年になろうとしています。

ちょうど、カレンダーだの手帳が変わる時期で、ちょっと1年を振り返ってみました。

というか、もうすぐ、実家母Yこさんも、オット母Bこさんも、介護認定の審査があるというのもありまして、どの位、介護というか介助が必要だったかを、調べてみたんです。

 アナログな手帳ですけど、赤は仕事関係、緑は介護・介助関係に塗り分けています。

Gオさんが亡くなり、四十九日の法要を無事終えた直後にBこさん、圧迫骨折。それまでは独りで通院も可能でしたが、この後はすべて付き添いとなりました。

      

4月にパート先を退職し、暇になるはずが、特に7月は新盆を新暦の7月に行い、ばっちり、家に縛られ状態でした。

そして、どんどん、歩行が怪しくなり、でも、体の方は検査をしても何もないと言われ、相変わらず、あちこちの医院に行きたがるBこさんに、実家の弟たちが不在になりY子さんの見守りも必要だった、先月10月は

よくもまあ、こんなに病院に行くようがあるもんだって感じですわね。

Bこさん、これで、要支援Ⅱですからね。

実家母Yこさんは、交通事故から丁度1年が過ぎ、一応「完治(元通りではないけれど)」となりましたので、今要介護1ですけど、たぶん介護は外れてしまうかと思います。

って、事は?

これからは、実家母Yこさんの見守りも必要になると思われ、ますます介護な日々が…。

見なければよかった!みたいな、現実でごぜえますだあ~~。

 

追記

↑を書いて、丁度昼食の時間になったので、「仕方なく」昼食の用意に行きました。

実は、毎日にお昼はかなりの大変さが伴います。

こちらの用意(ま、いろいろ、都合もあるわな、こっちには)したものが、不服ってことも多々あり、今日も何を食べたいのかわからないので、とりあえず、常備菜だの、糠漬だの出して、目玉焼きを焼いていたら、Bこさん、「さっき○○(私のオット)にわたしん食パンを頼んだだけえが、まだ帰って来ない?」とぬかしやがった!食パンも食べる日と食べない時があり、常備していた時には食べないで置いて、いつも期限切れになってしまうので、(それはわたいが食べるし(--〆))今回は買わなかったんですわ。ああそうですかい!と今気分が悪いんで、目玉焼きをぼ~~んと出して、2Fに上がってきてしまったつうわけです。

めんどい!

フン



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