曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

Bこさん、転院後の最後の時を迎えるまで

2022年12月24日 | 高齢者

オット母96才。歩行は不自由ではあったものの、自宅で悠々自適な日々を暮らしていたオット母Bこさん。高血圧や胃腸の薬は常用していたものの、脊柱管狭窄症や背中の曲がりはひどくはなってきていたものの、いわゆる異常があったわけでもなく、「おしっこが出ない」だの、血尿が出たとか騒いでも何度検査しても異常がなかったBこさんですが、早朝の転倒以降「坂道を転げ落ちるように」どころか「真っ逆さまに落ちていく」感じで、終末期の宣言を受けてしまいました。でも、面会が叶わなかった為、その実感はなく、療養型病院へ転院の時もいつものように、オットに「ああしろ、こうしろ。そうじゃない。ああだ、こうだ。」と指示しまくっていたので、オットも私はもちろん、義弟に至っては何度もBこさんが危ないなんて言われていたので、まだ今度もかと思っていたのではないかと思います。

久しぶりの面会の時の様子からすると、お正月は迎えられないだろうなと、あわせてくれると言うときに義弟夫婦が来てくれればと思っていましたが、なかなか面会に来ず、やっと義弟が面会に来たのは亡くなる2日前でした。

もう、全く食事がとれない。経鼻経管栄養も誤嚥してしまうため出来ない。もちろん、胃ろうは形成しないとしていたので、全く栄養補給が出来なくなっていました。

自分たちでそれを選んだのですが、それでよかったのか?入院中に胃ろうを形成してもらったほうが良かったのか?そもそも救急車を呼んで入院させてしまった事がBこさんの命を縮めてしまったのではないか?

今更そんなことを言っても仕方がないのですが、もしもコロナがなければ入院と言う事態にはならなかったかもしれないとも思います。Bこさんの場合発熱があったため、丁度掛かりつけ医が休診だったので、別の病院に診察をお願いしたら、救急車を呼んで大きい病院に行くようにとなってしまいました。

コロナがなければ、その病院も診察してくれたのではないかと思いますし、週末になってしまうためお願いした入院がこのような事態になるとは思いもしませんでした。結局何が発熱の原因かはわからないまま、何度目かの発熱で、衰弱してしまったと言う事のようです。

自然に任せる。

つまり積極的な治療をしないと言う事ですから、「食べられなくなったら、数日で死に至る。」と入院時にも念を押されましたが、すでに食べられなくなってから2週間を越えました。

義弟は火曜日しか来れないとの事で、また時間がないと言う事で、オットが駅に迎えに行き、そのまま病院に行き、うちには寄らずに帰宅しました。

Bこさんと話が出来たか聞いたら、酸素マスクをつけて、寝ていたと言うか意識がなかったようです。もう少し前に面会に来ていれば少しは話も出来たと思うのですが、なんせ、うちには寄らなかったので、義弟がどう思ったかも知るすべもなく、2日後の早朝、Bこさんは旅立ちました。

何度か、看護師さんに「家に帰るからタクシーを呼んだから、タクシーが来たら教えてください。」と言っていたというBこさん。

オットはGオさんと同じく(Gオさんは、Bこさん夫=オット父)葬儀場の安置所で預かってもらうと、言い張りましたが、うちに帰りたかったんだから、家に連れてきてあげようよ、と嫌がるオットを説得して自宅に連れてきました。

Gオさんの時にはやはり早朝に亡くなりそのまま、葬儀場に安置してもらい、そのまま、数時間、葬儀場ロビーでの打合せで拘束されて、夕方になって家に帰ってからもその時には義弟1家も駆けつけていたので、休む間はなく、そのまま私達夫婦はお寺の方に出向くという、大変な思いをしたのですが、Bこさんも自宅に帰ってきましたが、私たちも自宅にいたほうが多少でも楽です。

Bこさんは兄弟が多くみんな近隣にいるので、入れ代わり立ち代わりお参りに来てくれましたが、今回はコロナ禍と言う事で、お茶も何も出さずにお参りだけして頂きました。義弟一家は通夜葬式に来るとの事で、葬儀葬祭についてはこちらにお任せで、との事で、いいか悪いか(いや、はっきり言っていなくてよかった)私たち夫婦だけで日程なども決めることが出来ました。

とはいえ、全く何もなかったかと言うとそんなことはなく、やはり嵐は嵐です。Bこさんの甥で口出しをしてくる人もおり、はっきり言ってその人が居なければ平和?だったかと。まあねえ、どこにでもいますよね。そういう人。

Bこさんは、連れて帰って来た時には、骨川筋衛門で、ほおも尋常でないこけ方でしたので、入院直前に遊びに来ていた私のムスメ家族、ムスコ家族は、元気がおばあちゃんが文字通り変わり果てた姿になって帰って来たので、ショックを受けていました。高齢でいつ何があっても不思議ではないのに、それでも、やはり、哀しみは尽きません。

葬儀葬祭に関する諸々は次回に。



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