ネコ 2008年11月28日 | 脊椎動物門 ネコですが、寝てるわけじゃありません。 実はこのように道路の真ん中で轢かれ死んでたのですが、撮影後に傍らの空き地に移動させたのです。 GX200 国分寺市 *ところで、このネコを顔面から広角で撮った写真もあるのですが、見たい人はいないですよね? なんせリアルにデフォルメされてグロいですから・・・ しかしどうしても見たい!グロいの平気!と言う人だけここをクリックしてください。 « ガの一種 | トップ | カゲロウの一種 »
13 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 押したい! (夏海) 2008-12-01 14:59:20 「ここ」押したい!、でも怖い~ 結局、まだ見られません orz 返信する Unknown (soeno) 2008-12-01 20:02:11 開くんじゃなかった・・・・ 返信する Unknown (871) 2008-12-05 20:02:28 うっ、、、想像以上でした。。。 返信する 一生祟ります・・・ 貴方を怨みます (一生祟ります・・・ 貴方を怨みます) 2010-12-05 12:19:03 他の写真も見ましたが・・・貴方、虫や動物の遺体が好きなのですか。興味本意でやっているのならやめたほうがいいですよ。 返信する Unknown (糸崎) 2010-12-07 00:07:24 過去に遡って見ていただきましてありがとうございます。また、率直なご意見ありがとうございます。>一生祟ります・・・ 貴方を怨みます (一生祟ります・・・ 貴方を怨みます)ぼくのブログに、こういう反応があるのはもっともだとは思います。「こういう反応」とは、「呪い」ということであって、「呪い」としての言葉には実際的な効果があるのです。テクノロジーが発達した時代に何を馬鹿なことを言ってるかと思う方もおられるでしょうが、「言葉」には「物質」に負けないくらいの直接的作用があるのです。分かりやすく言えば、言葉は「気分」に作用し、気分は「肉体」に作用し、そのように全体的なダメージを与えることができるわけです。そしてインターネットが普及した時代だからこそ、それに乗って「呪い」の効果も伝達するようになった、というのが今の時代でもあります。まぁ、このあたりは内田樹さんの受け売りですが、「呪い」というのは「発信者不明」であるからこそ効果があるのです。「誰か分からない相手」からの「呪い」の言葉が、「他ならぬ自分」に対して届くからこそ効果があるわけです。このたびの「呪い」のコメントは匿名の投稿であり、対するぼくはブログ主宰者として本名を明らかにしているので、効果としては理想的です。これが例えばお互いが匿名の「2ちゃんねる」であれば、相手に「呪い」をかけても「オマエモナー」と返され終わってしまうでしょう。しかし、このブログでいくらぼくが「呪い返し」をしようとも、相手が匿名である限り、全く無効です。ですので、ぼくがきちんと「呪い返し」をするのであれば、相手の匿名性を暴き、人物を特定する必要があるのです。と言うか、発信者を特定するだけで「呪い」は自動的に発信者の元へ跳ね返ってくるわけです。まぁしかし、そう言う作業は面倒だし、そんなことしなくても、自分に向けられた「呪い」を解消する方法はあるのです。(続きます) 返信する Unknown (糸崎) 2010-12-07 00:07:55 >一生祟ります・・・ 貴方を怨みます (一生祟ります・・・ 貴方を怨みます)こういう反応があるのはもっともだ、というのは、ひとつはある意味このブログが「高いレベル」に設定されてるからです。「高いレベル」というのは「日常的感覚」より高いレベル、と言う意味です。ぼくは「写真家・美術家」という肩書きを名乗ってますが、美術=芸術というのは、言ってみれば日常的感覚から離れた、より高いレベルへの表現を模索する行為であるわけです。ですからそれは、日常的な「生」の世界からレベルアップした、日常に垣間見える「死」の世界への表現へと向かうのも、当然のことと言えるのです。また、ぼくはいちおう科学雑誌に連載を持つ「自然科学写真家」であり、「自然科学ライター」であり、このブログにも当然「自然科学」としての目的があります。そして「自然科学」という学問は、人間以外の生物を調べることによって、結局は「人間とは何か」を知ろうとする学問だと言えます。そうするとやはり日常的な感覚の「生」だけではなく、人間にとって最大の問題である「死」を扱うことになるわけです。「自然科学」とは言っても、このブログはそれほど厳密というわけではなく、ぼくが日々見かけたものを撮影してアップしているまでです。ですので虫を見かければ虫を撮り、死体を見かければ死体を撮り、それらをなるべく分け隔て無くアップしています。>貴方、虫や動物の遺体が好きなのですか。> 興味本意でやっているのなら>やめたほうがいいですよ。正直言うと、死体は芸術の意味でも、科学の意味でも、哲学的問題としても、好きだし興味があります。これは日常的感覚からは「悪趣味」と言えるかもしれませんが、逆に言えば日常的感覚とは「きれいごと」の世界に過ぎません。しかし、実際の我々の「世界」は「きれいごと」では済まない世界であり、そのように世界の負の側面、イヤな側面に向き合うのが「芸術」であり「科学」であり「哲学」であるのです。と、そのような意味でこのブログは「高いレベル」に設定されていますので、「日常的感覚」のみお持ちの方がご覧になると、ダメージを受けることはあるかも知れません。(続きます) 返信する Unknown (糸崎) 2010-12-07 00:08:53 人間はお互い「感覚の違い」の違いはどうしようもありません。ぼくが日常感覚より「高いレベル」と表現したのも便宜上のことでして、実際にどちらの感覚が「高いレベル」かはどうでもいいことで、肝心なのは「感覚が違う」ということです。そして「感覚が違う」人間同士が共存するためには、普通は「ゾーニング」と言うことが行われます。ゾーニングとは、感覚が違う人同士のゾーンを分けるということですね。例えば、一頃コンビニでエロマンガが堂々と売られてましたが、最近は紐で縛って子供が立ち読みできないようになっており、これが「ゾーニング」の例です。ネットの世界でも、アダルトサイトならトップに「18歳未満禁止」の表示があり、ゾーニングされてます。だからこのブログも「*グロ画像注意」などの表示をすればいいのかも知れません。しかし、ぼくとしてはどうもこのブログに、そのような警告表示をする気になれないのです。というのも、「虫」や「死体」などの対象物が「グロイ」「キモイ」などと思えるのは、単なる「先入観」でしかなく、先入観は変えられるものだ、とぼくが思ってるからなのです。と言うより、ぼく自身が虫や死体に「グロイ」「キモイ」といった言葉をあてはめ、人々に先入観を与える側に回りたくないのです。虫について言うと、「グロイ」「キモイ」も先入観ですが、「カワイイ」というのも先入観に過ぎません。だったらよりポジティブにどんな生き物も「カワイイ」と思った方がより「善」である、と言うのがぼくの考えです。また、死体というのはどんなに「グロイ」「キモイ」と思っても、それを見つめることは「死」と向かい合うことであり、その意味でどんな死体も尊いものです。インターネットの世界には、動物のみならず人間の死体を集めたサイトなどもありますが、どんなに興味本位であっても、死体を見る行為は「死」と向かい合うことであり、一概に「悪趣味」とは言えないのではないかと思うのです。と言うわけで、このブログは特に「ゾーニング」をしておらず(上記ネコの死体写真はさすがにゾーニングしてますが)、きれいなチョウチョの写真の後に、死体写真が載ってたりしますが、それは「世界のあるがまま」を示したのであり、気を悪くされたら申し訳ないですが、どうか気を鎮めていただければと思います。(終わり) 返信する こういうのやめろや (miyake) 2013-12-26 00:57:15 なに?面白半分でやってるわけ?どーゆう気持ちでやってんの?こういうの楽しい?頭大丈夫かよ。ブログやめちまえばいいのによ。 返信する そこまで言うか? (名無し) 2015-07-12 19:00:38 >miyake言い過ぎだろ見なければいい話だろ。 返信する Unknown (糸崎公朗) 2015-07-12 23:51:41 呪われたスレ… 返信する 好奇心 (st) 2015-11-26 07:47:07 文芸誌?の表紙に起用されていた記事を見つけ、そこから検索して辿り着きました。小さいころ、路上でひき殺されていた猫や鳩を見ては「じっくり観察したいけど、路上に出られない」と、悶々としていたのを思い出しました。一度歩道寄りに死体があったので、たまらずしゃがみこんでじっくり観察したことがあります。しかし「動物(特に野良)は病気を持っていたりするから近づくな」と親に教育されていたのと、ランドセルが目立つだろうと思い早々と退散しました。私は死体愛好でも動物愛好でも無いのですが、単純に “見る機会の少ない状態” だから、気になるんですよね。ペットロスを想像するだけできついので、動物は飼わないし、スプラッターな描写も苦手なのですが、生き物の死骸にだけは好奇心が勝ります。責任が持てないし、一般的とされる倫理観がどうしても具わっているので死体を作るなんて無理で…それこそ一部職業でないと、魚以外を捌いた状態は目にする機会が少ないと思います。何が言いたいのかというと、日陰の好奇心を満たしてくれてありがとうございます。という事です。そしてこういう死体を頻繁に目にしないのは、しっかり焼かれたり土に還ったり、他の生物に食べられたり、循環しているからだと改めて実感出来ました。 返信する Unknown (糸崎公朗) 2015-12-01 21:15:27 コメントいただきましてありがとうございます。返信が遅れまして申し訳ありません。文芸誌、と言うのは『楽04』の事ですね、よくぞ見つけて下さったと思います。こんな写真ですが、お喜びいただけて良かったです(笑)動物の死体は、実はこのブログをやっている間はたびたび撮っていたのです。路上で虫などを探していると、動物の死体も見つかって、それも撮るようにしているのです。しかし、これだけ劇的なネコの死体は、この時限りでした。実は、東京都写真美術館で開催された企画展「路上から世界を変えてゆく」に、路上の動物死体をテーマにしたシリーズを作品の一つとして展示させていただいたのです。しかしさすがにというか、このネコの写真は学芸員さんに却下されました(笑)しかし、ネズミや鳩などの死体写真はお客さんには好評で、みなさん食い入るように見て下さいました。やはり怖いもの見たさというか、人は「死」というものから逃れられないわけで、そうしたテーマに惹き付けられるのかも知れません。動物の死体を路上で目にしないのは、おっしゃるとおりの理由のようで、ハトの死骸などカラスがついばんでるのをたびたび目にします。 返信する Unknown (Unknown) 2022-11-17 22:42:02 1回死んでこい 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
押したい!、でも怖い~
結局、まだ見られません orz
貴方、虫や動物の遺体が好きなのですか。
興味本意でやっているのなら
やめたほうがいいですよ。
また、率直なご意見ありがとうございます。
>一生祟ります・・・ 貴方を怨みます (一生祟ります・・・ 貴方を怨みます)
ぼくのブログに、こういう反応があるのはもっともだとは思います。
「こういう反応」とは、「呪い」ということであって、「呪い」としての言葉には実際的な効果があるのです。
テクノロジーが発達した時代に何を馬鹿なことを言ってるかと思う方もおられるでしょうが、「言葉」には「物質」に負けないくらいの直接的作用があるのです。
分かりやすく言えば、言葉は「気分」に作用し、気分は「肉体」に作用し、そのように全体的なダメージを与えることができるわけです。
そしてインターネットが普及した時代だからこそ、それに乗って「呪い」の効果も伝達するようになった、というのが今の時代でもあります。
まぁ、このあたりは内田樹さんの受け売りですが、「呪い」というのは「発信者不明」であるからこそ効果があるのです。
「誰か分からない相手」からの「呪い」の言葉が、「他ならぬ自分」に対して届くからこそ効果があるわけです。
このたびの「呪い」のコメントは匿名の投稿であり、対するぼくはブログ主宰者として本名を明らかにしているので、効果としては理想的です。
これが例えばお互いが匿名の「2ちゃんねる」であれば、相手に「呪い」をかけても「オマエモナー」と返され終わってしまうでしょう。
しかし、このブログでいくらぼくが「呪い返し」をしようとも、相手が匿名である限り、全く無効です。
ですので、ぼくがきちんと「呪い返し」をするのであれば、相手の匿名性を暴き、人物を特定する必要があるのです。
と言うか、発信者を特定するだけで「呪い」は自動的に発信者の元へ跳ね返ってくるわけです。
まぁしかし、そう言う作業は面倒だし、そんなことしなくても、自分に向けられた「呪い」を解消する方法はあるのです。(続きます)
こういう反応があるのはもっともだ、というのは、ひとつはある意味このブログが「高いレベル」に設定されてるからです。
「高いレベル」というのは「日常的感覚」より高いレベル、と言う意味です。
ぼくは「写真家・美術家」という肩書きを名乗ってますが、美術=芸術というのは、言ってみれば日常的感覚から離れた、より高いレベルへの表現を模索する行為であるわけです。
ですからそれは、日常的な「生」の世界からレベルアップした、日常に垣間見える「死」の世界への表現へと向かうのも、当然のことと言えるのです。
また、ぼくはいちおう科学雑誌に連載を持つ「自然科学写真家」であり、「自然科学ライター」であり、このブログにも当然「自然科学」としての目的があります。
そして「自然科学」という学問は、人間以外の生物を調べることによって、結局は「人間とは何か」を知ろうとする学問だと言えます。
そうするとやはり日常的な感覚の「生」だけではなく、人間にとって最大の問題である「死」を扱うことになるわけです。
「自然科学」とは言っても、このブログはそれほど厳密というわけではなく、ぼくが日々見かけたものを撮影してアップしているまでです。
ですので虫を見かければ虫を撮り、死体を見かければ死体を撮り、それらをなるべく分け隔て無くアップしています。
>貴方、虫や動物の遺体が好きなのですか。
> 興味本意でやっているのなら
>やめたほうがいいですよ。
正直言うと、死体は芸術の意味でも、科学の意味でも、哲学的問題としても、好きだし興味があります。
これは日常的感覚からは「悪趣味」と言えるかもしれませんが、逆に言えば日常的感覚とは「きれいごと」の世界に過ぎません。
しかし、実際の我々の「世界」は「きれいごと」では済まない世界であり、そのように世界の負の側面、イヤな側面に向き合うのが「芸術」であり「科学」であり「哲学」であるのです。
と、そのような意味でこのブログは「高いレベル」に設定されていますので、「日常的感覚」のみお持ちの方がご覧になると、ダメージを受けることはあるかも知れません。(続きます)
ぼくが日常感覚より「高いレベル」と表現したのも便宜上のことでして、実際にどちらの感覚が「高いレベル」かはどうでもいいことで、肝心なのは「感覚が違う」ということです。
そして「感覚が違う」人間同士が共存するためには、普通は「ゾーニング」と言うことが行われます。
ゾーニングとは、感覚が違う人同士のゾーンを分けるということですね。
例えば、一頃コンビニでエロマンガが堂々と売られてましたが、最近は紐で縛って子供が立ち読みできないようになっており、これが「ゾーニング」の例です。
ネットの世界でも、アダルトサイトならトップに「18歳未満禁止」の表示があり、ゾーニングされてます。
だからこのブログも「*グロ画像注意」などの表示をすればいいのかも知れません。
しかし、ぼくとしてはどうもこのブログに、そのような警告表示をする気になれないのです。
というのも、「虫」や「死体」などの対象物が「グロイ」「キモイ」などと思えるのは、単なる「先入観」でしかなく、先入観は変えられるものだ、とぼくが思ってるからなのです。
と言うより、ぼく自身が虫や死体に「グロイ」「キモイ」といった言葉をあてはめ、人々に先入観を与える側に回りたくないのです。
虫について言うと、「グロイ」「キモイ」も先入観ですが、「カワイイ」というのも先入観に過ぎません。
だったらよりポジティブにどんな生き物も「カワイイ」と思った方がより「善」である、と言うのがぼくの考えです。
また、死体というのはどんなに「グロイ」「キモイ」と思っても、それを見つめることは「死」と向かい合うことであり、その意味でどんな死体も尊いものです。
インターネットの世界には、動物のみならず人間の死体を集めたサイトなどもありますが、どんなに興味本位であっても、死体を見る行為は「死」と向かい合うことであり、一概に「悪趣味」とは言えないのではないかと思うのです。
と言うわけで、このブログは特に「ゾーニング」をしておらず(上記ネコの死体写真はさすがにゾーニングしてますが)、きれいなチョウチョの写真の後に、死体写真が載ってたりしますが、それは「世界のあるがまま」を示したのであり、気を悪くされたら申し訳ないですが、どうか気を鎮めていただければと思います。(終わり)
どーゆう気持ちでやってんの?
こういうの楽しい?頭大丈夫かよ。
ブログやめちまえばいいのによ。
言い過ぎだろ
見なければいい話だろ。