おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

『令和の社長像』 北川さんは木村さんを超える社長になるのか?・・・その2

2020年03月10日 21時17分00秒 | サッカー




ファジアーノ岡山に関する新着コラムの後編です。前編では現社長の北川さんが二代目社長に就任した際の裏話というか顛末記のような感じでした。後編は、どのような纏め方になっているのでしょうか?

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【後編】
ファジアーノの未来はCRM事業にあり!?
Jリーグ新時代 令和の社長像 岡山編

https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202003070003-spnavi
宇都宮徹壱
※以下、引用です。

ゴールドマン・サックスの執行役員を岡山に呼んだ男
私が初めてファジアーノ岡山を取材したのは、木村正明が社長に就任する直前の2006年1月のこと。チーム運営はNPO法人に委ねられており、スポンサーはわずか6社で収入は約200万円だった。ところが06年にクラブを株式会社化して、その社長に木村が就任すると、スポンサーは180社を超えて年間収入も約9000万円にまでアップ。この異能の経営者を岡山に引っ張ってきたのは、小中学校時代の旧友であり、現在はクラブの代表取締役にも名を連ねる、岡山学芸館高校副理事長の森健太郎であった。

「あれは05年でしたね。ユースの国際大会を岡山で開催するために、あちこちから資金を集めていたんです。それでポンとお金を出してくれそうだと思って(笑)、木村にも声をかけたんですね。実はその年いっぱいでゴールドマンを辞めるという話も、何となく耳にしていました。彼は執行役員でしたが、30代半ばですでに最古参だったんですね。『いかに若くしてリタイアして、セカンドライフで社会貢献をするか』というのがゴールドマンの社員の考え方らしく、『自分もそろそろ』と思っていたようです」

その後のカリスマ社長による岡山の成長の物語は、すでに語り尽くされた感もあり、また本稿の主題でもないのであえて触れない。ここで注目したいのが、木村と森との信頼関係。生まれ故郷のクラブに引き合わせてくれた旧友に対し、木村は最も早いタイミングで岡山を離れる可能性があることを打ち明けていた。再び、森の証言。

「実は(退任する)半年前から、役員会の時に『こいつ、いなくなるかも』という予感があったんです。ですから(18年)1月に相談を受けた時も、そんなには驚かなかったですね。法人営業のノウハウも社内の仕組みも、ベースとなる部分は木村が残してくれていました。もし彼がいなくなっても、若手がしっかりやってくれるから大丈夫だろうと。ですから『いずれ岡山に戻ってくるのであれば、Jリーグでしっかり働いて、そこで得た経験をフィードバックしてほしい』ということだけ伝えました」

では、木村の後継者を誰にするのか。実は外部から、社長を招く案もあったらしい。しかし早々にその芽がなくなり、クラブ内から昇格させることになった。前任の池上に代わって、15年からGMに就任した「徳さん」こと鈴木徳彦は、代表取締役になることは受け入れたものの「社長をやるつもりはありません」ときっぱり固辞。役員会で議論を重ねた結果、鈴木よりも社歴が長く、法人営業で財界ともパイプがある北川に白羽の矢が立つこととなった。まさに「おまえに断る権利はない」(木村)状況だったのである。


<前編>カリスマ社長が残したクラブ経営術とは?

黎明期のFC東京にも通じる経営と現場のツートップ体制
かくして後継者は決まったものの、実質的には社長の北川とGMの鈴木によるツートップ体制で、ファジアーノ岡山はリスタートすることとなった。サッカー経験がまったくない北川と、東京ガスを皮切りに現場一筋だった鈴木。キャリアも正反対ならば、年齢も鈴木が20歳も上。それでも今のところ、この凸凹ツートップはうまく機能しているように見える。この状況について「意外と初めてではないんですよ」と語るのは鈴木である。

「実は、東京ガスからFC東京に変わる時に似ていたんですね。あの時、フットボールに関することは僕が、会社経営については専務の村林さん(裕=のちの社長)が担っていました。だからといって、まったく交流がないわけではない。むしろ経営と現場は、垣根のない隣近所という感じで、お互いの顔が見える距離感を保っていましたね」

実は岡山でも、社長が木村でGMが池上だった時代から、経営と現場は独立性を保ちながら運営されていた。木村が現場に口出しすることはなかったし、その逆もなかった。そして、それぞれのトップが変わって以降も、このスタイルは不変である。北川の証言。

「ウチがスタートした時からの伝統ですね。木村さんがそうだったように、僕も現場には100%口出しをしないし、徳さんもこちらに口出しをしません。予算だけ決めて、あとは話し合いで調整していくスタイルです。それができるのは、徳さんがフロントの状況を理解しているからだと思います。だから、現場のエゴを押し通そうとはしない。サッカー界では、なかなか得難い人材だと思いますよ」

ちなみに岡山では、クラブ社長が集まるJリーグ実行委員会には、いつも北川ではなく鈴木を送り出している。この理由について北川は「社長に就任した当初、代表権がなかったので行けなかったんです」とした上で、こう続ける。

「今は代表権を持っていますが、それでも徳さんに行ってもらったほうが、情報を取ってこれますからね。何しろ、あれだけサッカー界に精通した人ですから。僕自身は実行委員ではないけれど、アウェーには全部行っていますし、そこで他の社長さんともコミュニケーションは取れています。ですので、この役割分担は今後も変えるつもりはありません」


「J2で最もデジタルを活用したクラブにしたい」
ここまでの話を聞く限り、前任者の方針を踏襲しているように感じられる北川だが、一方で独自色が感じられるのが集客のアプローチ。木村時代の16年は、長年の目標としていた1試合平均1万人を超えたものの(1万17人)、17年は9,471人、そして18年は8,599人。とりわけ木村が退任した18年の数字を見ると、やはり「踊り場感」は否めない。ところが19年は、9,444人と逆に盛り返している。これは、北川が社長になって力を入れているCRM(顧客管理)事業の成果と見られる。

「僕はファジアーノを、J2で最もデジタルを活用したクラブにしたいんです。具体的にはCRM事業。Jリーグでも今、toC戦略をやっていて『チケットを3回買ったお客さんはリピーターになる』と言われています。ウチでも調べてみても、同じような結果が出ました。18年に1回だけ来た人は、次の年に来場しているのは28.9%。つまり71.1%は戻ってこない。逆に3回見に来た人は、81%の確率で次の年も来場してくれる。ですから今年も3つの山を作る必要があって、その意味でも開幕戦は特に重要ですね」

そのための人材は、すでにそろえている。ファンエンゲージメント部部長の森繁豊は、IBMでのプロジェクトマネージャーから転身。年収が半減しても「木村さんが作ったこのクラブに魅力を感じたから」と、故郷のクラブで自身のナレッジを還元する人生を選んだ。

「CRMが事業としてスタートしたのは18年9月からです。チケッティングで得られるJリーグIDから、その人がいつ、どのチケットを購入したかというデータが取れます。それらを分析・検証して仮説を立てていけば、打ち手がイベントなのかキャンペーンなのか、あるいはプロモーションなのかを判断できるわけですね」

前編でも触れたように、岡山時代の木村は「CRMよりも営業」というスタンスだったようだ。そのためか、森繁も入社当初は法人営業を担当していた(本人は『貴重な経験でした』と語っていたが)。しかし北川が社長を引き継いでからは、新たにCRM事業部を立ち上げるなどして、集客のデジタル活用が一気に進んだ。その先に見据えるのは、フットボール専用の新スタジアムへの道筋。北川は「これは僕らがほしいと言うのではなく、県民の皆様が本当に必要と感じているかどうかなんです」とくぎを刺した上で、こう続ける。

「お隣の広島では、カープの球場が新しくなったことで、平均1万人も入場者数が増えているんです。約70試合だから70万人増えたことになります。今や3万3000人のスタジアムが満員で、そうなると年間で約200万人以上の方が駅の周りに滞留することになります。それを街づくりの観点からどう考えていくかという話になるんですね。ウチの場合は、今のスタジアムが毎試合満員になって、初めてそういった議論になっていくと思うんです。そうした観点からも、われわれはここ数年、集客というものを強く意識していく必要があると思っています」


ボトムアップと見せかけながら、実はトップダウンだった?
電撃的な社長交代から2年。前任の木村がすっかり「Jリーグの人」となっていく一方で、岡山では社長3年目の北川が、独自のカラーをクラブに浸透させようとしている。2代にわたる社長就任に関与してきた森は、それぞれの時代を比較しながらこう語る。

「良きにつけ悪しきにつけ、社長の木村とGMの池上はカリスマでした。それと、統括本部長だった小川(雅洋)もそう。いわゆるベンチャー系で垂直推進型の組織にはそういう人材が必要だったのかもしれない。でも今のファジアーノは、特定のカリスマに頼り切るのではなく、いい意味で普通の会社になっていっているんだと思います。社内の雰囲気も、昔はかなりピリピリしていましたけれど、今はみんな生き生きしていますよね(笑)」

ならば現社長は、どのように考えているのだろうか。木村退任後、確かに社員が結束して当事者意識を持つようになった。しかし北川は「ボトムアップと見せかけながら、実はトップダウンだったのではないか」と、木村のしたたかな戦略に気づいている様子だ。

「木村さんという絶対的なトップがいなくなって、これまで以上に社員は『全員経営』『全員営業』を意識するようになりました。30代後半から40代前半の若手部長も、ぐんぐん伸びてきています。もし木村さんが残っていたら、これだけの成長はなかったかもしれない。実はそこまで、あの人は考えていたのかもしれないですね」

最後に、今回の取材に関して「宿題」を出してくれた、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎のコメントをもって本稿を締めくくることにしたい。「BM(ビジネス・マネジメント)を担う北川さん、FM(フィールド・マネジメント)を統括する鈴木さんとの関係性というものは、われわれも注視していた分野でした」と語る里崎。「木村さんが確立したツートップ体制をいじらなかったことで、社長交代はスムーズだったようですね」とした上で、今後のクラブの発展に期待する旨のコメントを寄せてくれた。

「どんな社長でも、いつかは交代します。その時に『変えてはいけない事』『変わってはいけない事』がしっかり引き継いでいけないと、クラブは求心力を失って存在意義も薄れてしまう。だからこそ『仕組み化』は重要だと思います。岡山は今のところ、BMとFMの両輪はうまく回っているようです。これを社長とGMだけでなく、さらに組織としての仕組み化ができれば、岡山は今後も地域にとって重要なクラブになっていくと思います」

<この稿、了。文中敬称略>



クラブの現状が理想の何パーセントに達しているとお考えなのか、そこは知る由もありませんが、確かに北川社長が就任して以降、特に昨季辺りからはJリーグとの連携も含めて、かなりデジタル化へ舵を切ったなという印象はありました。
かつてのような、アナログ記録によるお誘いプロジェクトもデジタル化されてきましたし、グッズ購入、ファジフーズ購入に至るまで、個人IDによって履歴が確認できます。アナログ人間の我々にとっては、何となく煩わしく感じられる場合もあるかも知れませんが、一人一人の動向を掴み、それに応じた動員促進策が打てるのであれば、より効果の高い施策が期待できます。

Jクラブにとっては、死活問題にもなりかねないトップの交代。それは、大企業を親会社に持つNPBの球団とは、かなり違ってきます。広島カープは独立採算ですから、似たような存在ですから、文中にも顔を出したのだと思います。ただ、その危機とも言える状況を、何となくすんなりと二代目に引き継ぐことができたのは、木村さんや北川さんだけでなく、周りの皆さんの力あってのことだと感じました。こういう話は、中々聞くことができませんので、ここで掲載していただいたことには深く感謝いたします。

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今、世界的な危機とも言える新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大によって、世界中のスポーツシーンが奪われようとしています。しかし、人類はそんな危機にも打ち勝って、更なる盛り上がりを手にするでしょう。いや、そうならないといけません。その喜びと歓声を取り戻すためにも、一人一人が立ち向かっていきましょう。

歓声がこだまする明るいスタジアムを取り戻すために。

100年、いや1000年続きますように。
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