おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

『一家に遊女もねたり萩と月』 「季重なり」と「体言止め」

2022年06月09日 19時48分00秒 | ノンジャンル

今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云ふ北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引よせて寐たるに、一間隔て面の方に、若き女の声二人計りときこゆ。年老たるおのこの声も交りて物語するをきけば、越後の国新潟と云所の遊女成し。伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、あすは古郷にかへす文したゝめて、はかなき言伝てなどしやる也。白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、日々の業因、いかにつたなしと、物云ふをきくきく寐入て、あした旅立に、我々にむかひて、「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と、泪を落す。不便の事には侍れども、「我ゝは所々にてとゞまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護、かならず恙なかるべし」と、云捨て出つゝ、哀れさしばらくやまざりけらし。

一家に遊女もねたり萩と月

曾良にかたれば、書とヾめ侍る。




金田一耕助氏が表れる訳ではありません(笑) この句も横溝正史著の「獄門島」に取り入れられたことで有名になった句です。自らを地味な萩に例え、遊女を華やかな月に例えた句といわれています。今で言えば「月とスッポン」の意味でしょうか? 

この句の季語は「萩」、季節は「秋」です。ところが、「月」も秋を表す季語とされています。この2つをどちらも季語だととらえれば、この句は「季重なり」ということになります。俳句の初歩の段階で「季重なり」は避けるべきと教えられますから、芭蕉ほどの俳人がそれを容認したとすれば若干違和感を覚えますね。ただ、違った季節を表す「季重なり」があれば問題ですが、同じ季節の季語を重ねて、この場合「秋」を強調したかったのだとすれば、かなりのテクニックと言えそうです。

「季重なり」の代表的な句といえば、山口素堂が詠んだとされる「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」が有名です。夏の季語が3つ連なる季重なりで「青葉」「ほととぎす」「初鰹」の夏を表す季語が三度重なっています。この句の場合は、目で楽しむ青葉と耳で楽しむほととぎす、そして味覚を味わう初鰹と、五感をフル回転させるものとして、「季重なり」が問題視されることなく、むしろ高評価を得ている名句とされました。



また、語尾を名詞や代名詞などの体言で止める俳句の技法を「体言止め」といいます。この句は「萩と月」の2つの名詞で体言止めを行っていて、ことさらに「萩と月」を際立たせたいという意図が感じられます。

何せよ、この句も奥の細道の中では好きな句の一つです。

ところが、これが事実ではなく芭蕉の創作ではないかという説が有力です。「曾良旅日記」の中にはこの遊女の件が残っていない所を見てもそれが創作だとする説を後押ししています。

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現在の糸魚川市市振あたりで詠まれています。有名な難所の親不知子不知を通っている話がかかれていますね。



これからも気が向いたら何かの句や歌を取り上げてみようと思います。

よろしくお願いします。
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