おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

昔を懐かしめば、昭和は辛く悲しい、忍耐の時代であった !? だからこそ良き時代だったと思えるのかも知れない。

2024年06月06日 00時45分56秒 | 日記

昭和を30年と7ヶ月生きて、平成を30年と4ヶ月生きて、令和を5年と1ヶ月と来て、今の歳になりました。考えてみれば恐ろしく長かったと感じていた昭和を生きた年数と平成を生きた年数はほぼ同じなんですよ。感じ方の違いは、子供の頃の長い時間があったかなかったかによるものかと思っています。子供の頃の1年は、歳をとってからの10年に匹敵するほど長く濃い時間でしたから。

何故、人は年を取ると時がたつのが速くなるのか? それは感動することがあるか、ないかだそうです。子供の頃は日々が感動に満ち溢れていたのですが、大人になると感動することがなくなるのです。その無味乾燥した時間はあっという間に過ぎて行くのですね。まさに「光陰矢の如し」とはよく言ったものです。

私は勿論「戦争を知らない子供たち」でした。

「戦争を知らない子供たち」は昭和45年8月23日に大阪万博会場でのコンサートで初めて歌われた曲です。作詞は北山修、作曲は杉田二郎でした。当初は「全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ」名義でシングルカットされました。翌年に杉田二郎と森下次郎の2人組『ジローズ』歌唱によるシングル盤が大ヒットしました。背景にはベトナム戦争が影を落としていました。日本国内には反戦平和運動が盛り上がりを見せ、この曲が反戦歌として祭り上げられてしまったという流れもありました。ベトナム戦争は宣戦布告のない不正規戦争で、南北ベトナムの内戦に米国が横槍を入れて泥沼化させたということもあって、米国は圧倒的な悪者であったのですが、日本国内でそのことを報道することはありませんでした。戦前戦後、平成から令和にかけてもマスメディアは絶対に真実を報道しないという姿勢が貫かれており、ある意味感心させられますね。

作詞した北山修は盟友の加藤和彦に作曲を依頼したのですが加藤に鼻で笑われて突き返された為、やむなく杉田二郎に話を持って行ったという裏話があります。北山氏は国内でも有名な精神科医、臨床心理学者という一面と歌手・作詞家という一面を併せ持つ人でしたが、当時は東大卒のエリート銀行員で人気のシンガーソングライターだった小椋佳氏などの存在もあったので特段の違和感はありませんでした。


戦争を知らない子供たち

作詞:北山修 作曲:杉田二郎

戦争が終わって僕等は生まれた 戦争を知らずに僕等は育った

おとなになって歩き始める 平和の歌をくちずさみながら

僕等の名前を覚えてほしい 戦争を知らない子供たちさ

 

若すぎるからと許されないなら 髪の毛が長いと許されないなら

今の私に残っているのは 涙をこらえて歌うことだけさ

僕等の名前を覚えてほしい 戦争を知らない子供たちさ

 

青空が好きで花びらが好きで いつでも笑顔のすてきな人なら

誰でも一緒に歩いてゆこうよ きれいな夕陽のかがやく小道を

僕等の名前を覚えてほしい 戦争を知らない子供たちさ

戦争を知らない子供たちさ


昭和は必ずしも輝いているばかりではありませんでした。昭和を彩る光と影のコントラストが思い出を彩っているのかも知れません。昭和は辛く苦しいことの方が多かった時代であるにもかかわらず、楽しく輝いていたように感じられるのはそういうことなのでしょう。

昭和50年、私は高校生でしたがこの年のレコード大賞は布施明の「シクラメンのかほり」(作詞・作曲:小椋佳)でした。「なごり雪」や「いちご白書をもう一度」「木綿のハンカチーフ」に「およげたいやきくん」などヒット曲が目白押しだったのですが、この年の年間ヒットチャート1位が何だったか分かりますか?

それは、さくらと一郎の歌った「昭和枯れすゝき」です。発売は前年の7月だったのですが当初はほとんど売れずにいました。しかし、10月16日から放送開始された『時間ですよ 昭和元年』の挿入歌に採用されてから有線放送で火が付き昭和50年5月5日から3週間オリコンシングルチャート1位を獲得し、曲はミリオンセラーになりました。


昭和枯れすゝき

作詞:山田孝雄 作曲:むつひろし

貧しさに負けた いえ世間に負けた

この街も追われた いっそきれいに死のうか

力の限り 生きたから 未練などないわ

花さえも咲かぬ 二人は枯れすゝき

 

踏まれても耐えた そう傷つきながら

淋しさをかみしめ 夢を持とうと話した

幸せなんて 望まぬが 人並みでいたい

流れ星見つめ 二人は枯れすゝき

 

この俺を捨てろ なぜこんなに好きよ

死ぬ時は一緒と あの日決めたじゃないのよ

世間の風の 冷たさに こみあげる涙

苦しみに耐える 二人は枯れすゝき


紆余曲折を経て昭和・平成を駆け抜け、令和の今日まで生きてきたのですが、やはり昭和は良かったと思えてくるのは、良し悪しに関わらない思い出の多さによるのだと感じています。

「歌は世につれ世は歌につれ」と言われてきましたが、世相を反映するのはその時々に流れていた歌になるのだと今になって思っています。


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